第四十五席 灰色の天明釜
黒田殿の言うとおり、北条家は豊臣家に攻められた。
総勢、二十万の大軍勢である。畿内だけではなく、西国を手中に収めた秀吉にとっては造作もない規模だ。
これならばあっさりと降伏させられるだろう。それに武将ではなく、同朋衆の僕には関係ないことだ。そう考えていたが――何故か戦場に向かうように命じられた。
「こたびの戦は心を摘むものである。さすれば小田原城の外で極楽を作ろうではないか」
宗匠から聞いたが、秀吉は得意そうに言ったらしい。
まあ戦うことはないけれど、少しだけ不安だった。
流れ矢が飛んでくるかもしれないし……。
人知れず、冷汗が止まらなかったけど、陣中に向かうとすぐに払拭された。
石垣山に敷いた陣は広大で小田原城を一望できる場所だった。
そこで兵士は賭け事や遊女で遊んでいた。油断しているわけでも命令を聞かないわけでもない。すべて秀吉の指示だった。
「これでは戦っているほうが馬鹿馬鹿しく思えますね」
「そうですね。緊張を解くわけにはいかず、かといって遊んでいるところを見せられると……」
宗匠に宛がわれた部屋で僕は茶をいただいていた。
久しぶりの一服だったが、飾らない作法で心地よい気分になれた。
「兵糧攻めは関白殿下の得意とするところ。加えて大軍で囲みつつ、支城が落とされた報告を聞かされれば兵の士気も落ちます」
「流石に人の心の機微を熟知していますね」
「織田さまもそうでしたが、戦の何たるかを知ってるからこそ――勝ってきたのでしょうね」
感心する一方、恐ろしく思える。
ここまで人の心が分かるとなると――神仏に近い。
天下人ということだけではなく、分かってしまうゆえに孤独となってしまうのではないか。
僕に数寄の天下を取らせてくれた恩もあるので、無用だけれど心配してしまう。
「失礼します。千利休さまにご客人が来ております」
茶席も終わりかけのとき、外から兵士の声がした。
連日、大名が宗匠に茶を習いに来ているので、その類かと思った。
「はて。約束はなかったはず。どなたでしょうか?」
「山上宗二と名乗っております」
その名前を聞いて、ああ無事だったんだと思わずにやけてしまった。
次に宗匠の顔を見ると――無表情のままだった。
喜んだりしないのかな。
「通してください」
山上さんが茶室に入ってくるまで、一切の会話がなかった。
僕も何を言えばいいのかと考えていると「失礼します」と声がした。
がらりとふすまが開く――山上さんがそこにいた。
少しだけ痩せてしまったが、顔色はいい。
身なりもそれなりに整っている。
手には紫の包みを持っていた。胸から腹にかけての大きさの箱らしい。
山上さんはそれを脇に置いて「ご無沙汰しております、宗匠」と頭を下げた。
「宗二。久しいな」
それだけ言って、宗匠は茶の支度をし始めた。
頭を上げることなく、そのままの姿勢の山上さんに「よくご無事で戻りましたね」と僕は声をかけた。
「茶室へどうぞ。今、宗匠が――」
「藤田殿。まだ宗匠の許しを得ていない」
相変わらず頑固だな。
その無骨で芯の通った考え方と信条に喜びを覚えつつ「宗匠、いいですよね」と確認を取る。
「……藤田さまがよろしければ」
「もちろん、僕は大丈夫です。さあお入りください」
「失礼いたします」
僕の隣に座った山上さんは黙ったまま宗匠を見つめる。
その視線を受け流して、宗匠は茶碗を差し出した。
黒茶碗である。
「一服差し上げます」
「いただきます」
口に含んで、ゆっくりと味わった山上さんは――泣いていた。
なんて声をかければいいのか、迷っていると「懐かしさに心が熱くなってしまいました」と山上さんは懐紙で涙を拭う。
「宗二。お前は北条家の者になったと聞く。よく無事で来られたものだ」
「城から逃げ出す者に紛れまして……お恥ずかしい限りです」
「わたくしが幾度も心配したのか……」
宗匠は言葉を噤んだ。
山上さんは再び頭を下げた。
何とか間をつなごうと「こうして来たということは、また一緒に茶の湯を学べますね」とわざと明るく言う。
「関白殿下に謝ってくだされば――」
「私がここにいるのは、ご当主さまの助命のためだ」
ぴしゃりと否定される――宗匠は「お前はいつだってそうだ」と険しい顔になる。
「頑固で融通が利かない。自分の価値観を至上とし、他の茶人の価値観を受け付けない……」
「宗匠のおっしゃるとおりです」
「諸国を巡れば変わると思ったのだがな」
ため息をつく宗匠に「私は変わりました」と紫の包みを開ける。
桐の箱には北条家の家紋が入っていた。
その中身は山上さんの頑固で無骨さ、芯の通った心を表した――茶釜だった。
「天明釜にございます」
その茶釜は灰色に彩られていた。
まるで火山灰が積もった山のようだった。
宗匠の好みではない、灰色の茶釜。
僕は――ときめいてしまった。
久しぶりに欲しいと思える名物だった。
「山上さんが創ったのですか?」
「ああ、そうだ。藤田殿、欲しいと思えるか?」
「ええ。平蜘蛛と等しく欲しいと思えます……この言い方は山上さん気に入らないかな?」
おどけて言うと「ふふふ。面白いことを言う」とようやく笑顔になった。
宗匠のほうを見ると――穏やかな笑みをたたえていた。
「宗二……素晴らしい逸品ですね」
「私は半端者です。宗匠の黒茶碗だけではなく、志野焼の白さにも惹かれます。ならばこそ、半端者だけが生み出せる――美を創りたかったのです」
素晴らしい。
僕にはできない美だ。
宗匠とは違う侘び数寄を極めようとする、その心意気が素晴らしい。
「宗二。わたくしも一緒に関白殿下へ謝りに来ましょう」
「……おそらく許してくれないでしょう。北条家に心服した私など」
「僕も一緒に行きますよ」
山上さんは僕の顔をまじまじと見つめた。
「兄弟子というだけではありません。僕は山上宗二さんを茶人として尊敬しているのです」
「噂で数寄の天下を取ったと聞くが……」
「取る前から尊敬していますよ」
山上さんの目から涙が零れ落ちた。
「宗匠、藤田殿。感謝申し上げます……!」
「ではさっそく参りましょう。藤田さまもよろしいですか?」
「ええ。共に行きましょう」
◆◇◆◇
「山上宗二。何ゆえ、赦免の機会を得ようとやってきた?」
「我が身の未熟が原因で、関白殿下の恩情に気づけませんでした。深くお詫び申し上げます」
山上さんと一緒に僕と宗匠も頭を下げている。
秀吉は陣中で椅子に腰かけていた。周りは兵士で囲まれている。
物々しい空気の中「おぬしが北条家にいたことは裏が取れている」と秀吉は言う。
「まあそれは良い。寛大な心で許そう」
「ありがとうございます」
「しかしだ、嘘をついて許してもらおうとは……少し図々しくないか?」
二つの罪?
思わず顔を上げると――石田殿が感情を殺した顔で立っていた。
手には――北条家の家紋が入った桐の箱を持っていた。
「これは北条家の者に依頼されて作った……相違あるまいな?」
石田殿の厳しい問いに「ま、間違いありませぬ」と山上さんは答えた。
「北条家から出奔したはずが何故――北条家の家紋を用いる? まだ与しているという証ではないか!」
「そのようなことは、決して――」
「ならばこの茶釜を破壊しても良いな?」
石田殿の冷酷な一言に「何をおっしゃっているのですか!?」と思わず口を挟んでしまった。
「その天明釜は名物に匹敵する逸品ですよ!」
「同朋衆ごときが口を挟むな! たかが茶釜ではないか!」
たかが茶釜?
山上さんが生涯かけて生み出したものを、そんな言い方――
「山上宗二。お前の忠誠を確かめたい」
秀吉が威厳を込めて山上さんに言う。
「その茶釜を自らの手で壊せ。そうすればまた迎え入れてやろう」
「関白殿下! それは――」
「ええい、黙れ! 関白殿下がまだお話しているところだ!」
石田殿の一喝に怯むことなく「あまりにも非情でございます!」と僕は怒鳴ってしまった。
「この逸品、いや名物を創り出すまで、どれだけ山上さんが努力したのか! 血のにじむ思いで修行を重ねて、血反吐吐くまで思案し続けて、ようやく至れたんですよ!」
「…………」
「それを壊すなんて――」
「もういい。藤田殿」
山上さんが僕の言葉を遮った。
何か言おうとして、止まってしまう。
山上さんは穏やかな表情だった。
「関白殿下。もしも破壊しなければ私はどうなりますか?」
「見せしめに打ち首とする。その前に鼻と耳を削ぎ落してな」
「そうですか。ならばそうしてください」
晴れ晴れとした表情の山上さん。
すると「宗二! お前はここでも曲げられないのか!」と宗匠が怒鳴った。
初めて怒鳴ったところを見た――全身が怒りに包まれているのがよく分かる。
「宗匠ならばお分かりになるでしょう。もう曲げられないのですよ」
「お前は、侘び数寄の後継者となれる男だ! ここで死なせるわけにはいかん!」
「ふふふ。冥土への良き土産話になりました……」
山上さんは背筋を伸ばした。
それは処刑を受け入れた者の態度だった。
「宗匠、ありがとうございます。藤田殿、出会えてよかった――」




