第四十三席 重み
天下一の茶人に成れた――喜びよりも驚きが勝つ。
こんなにあっさりと数寄の天下が手に入るとは……。
「うん。老い先短いわしには余りある名誉ですが……辞退させていただきたい」
謙虚ではなく、むしろ鬱陶しいとさえ思っている顔つきの丿貫殿に「何故だ?」と秀吉は詰め寄った。
大事なおもちゃを足蹴にされたような不機嫌を醸し出している。
「数寄の天下が欲しくないのか?」
「そんな肩書があったら、客が凝り固まってしまう。一座建立は成せぬでしょう」
「ふん。偏屈な茶人そのものだな」
つまらなそうに笑う秀吉に冷や冷やしつつどうなるか見守るしかない。
そう思っていると「おぬしはどうだ?」と訊いてくる。
「おぬしも辞退すると申すか?」
「いえ。大変な名誉だと思います。謹んで拝領いたします」
真の礼を取って謝意を見せると「藤田は素直で良い」と態度を緩めた。
「うん。ならば褒美だけ受け取りたく存じます」
「ほう。どんな褒美だ?」
「諸役の免除を賜りたく。さすればもっと茶の湯に耽溺できますゆえ」
「よかろう。しかしおぬしの数寄はわしの心を掴んだ。そのことだけは忘れるでない」
丿貫殿は大きく口を開けて「あっはっは! その言葉が何よりの名誉じゃ!」と大笑いした。
その様子を見て僕も秀吉も笑ってしまった。
確かに人の心を掴むのは上手だった。
「藤田よ。少し話がある――来てくれぬか」
ひとしきり笑い終わった後、僕は秀吉にいざなわれた。
僕は「かしこまりました」とあとをついて行く。
警護の者たちを引き連れて向かったのは宗匠の茶室だった。
「利休、やはりおぬしの予想どおりだったな」
躙口から入ると宗匠は正座で待っていた。
僕と秀吉は客としてもてなされるようだ。
「ええ。藤田さまが数寄の天下を取られましたか」
「丿貫も同じく取ったがな……断られたわ。これまたおぬしの予想どおりにな」
「兄弟子は関白殿下のご厚意を解さぬお方ゆえ……」
数寄の天下を取った興奮でふわふわした気分の僕だったが、違和感を覚えた。
まるですべてを終わらせようとしているような感覚だ。
「なあ藤田。この千利休の弟子となり、修業を重ねて茶聖と呼ばれるほどになった気持ちはどうだ?」
「夢見心地ですね。現実感がありません」
「だろうなあ……わしも上様から天下を引き継いだとき、同じような境地であった」
感慨深い顔で語る秀吉にとてつもない共感を覚えた。
これが天下人になった達成感なのか――
「藤田さま。一つ補足してもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうか?」
「あの夕暮れ時の野点はとても見事でした」
宗匠も見てくれたのか!
表情を変えずに「わたくしならば真夜中に行ないます」と言う。
「黒を好むわたくしはそうするでしょう。つまり、あの野点はまだ工夫の余地があります」
「変化を昼と夕暮れだけではなく、真夜中でもできるようにするのですか?」
「そのとおりでございます。それを茶室でもできるのであれば……」
僕はあれで完成だと思っていた。
しかし美の巨匠である宗匠には先が見えていた。
ここで思い知らされる。
数寄の天下を取っても、千利休という大人物がいる。
その美を超えねば――茶道は完成しない。
「かはは。流石に利休の発想のほうが豊かであったか」
「いえ。藤田さまの数寄の見事さには言葉もありません」
「藤田。おぬしの褒美を聞かなかったな。なんでも良いから申せ」
褒美……数寄の天下以上に望むものがあるのだろうか。
それ以外に考えられないほど、僕は茶の湯に向き合っていた。
真剣に、ひたむきに、他を顧みることなく。
「少し考えさせてもらえませんか?」
「なんだ。考えておらぬのか」
「数寄の天下こそ、褒美を考えておりましたので」
「そうであろう。まったく、丿貫はもったいないことをしたものだ」
鷹揚に頷く秀吉を尻目に僕は考える。
ここで茶頭筆頭の地位を求めたらどうなるのだろうか。
もしかしたら宗匠を助けられるかもしれない。
秀吉と近づき過ぎたから切腹まで追いやられたと皆川先生が言っていた。
だからその運命を変えるのなら――
「お、恐れながら――」
茶頭筆頭の地位を、と言いかけたとき。
宗匠がにっこりと微笑んだ。
僕の心を見抜いたのか。
それなのに、笑った――
「ええ。その野心と向上心こそ、藤田さまの原動力なのです」
「そ、宗匠?」
「関白殿下。もはやわたくしの時代は終わったようですね」
「どうした? 二人して何の腹積もりだ?」
秀吉が困惑する中、宗匠は深く頭を下げた。
「今日をもちまして、茶頭筆頭の地位を降りさせていただきます。代わりに藤田さまを推挙いたします」
言われてしまった――同時に随喜を感じてしまう。
僕が望んでやまなかった茶頭筆頭に成れる。
これから新しい茶道を創ることができる――
「……ならぬ」
途端に険しい顔になる秀吉。
その身体から怒りを感じてしまう。
一方、涼しげな顔の宗匠は「何故でございましょうか」と訊ねる。
「確かにわしの心を掴んだ茶の湯を見せた。しかし藤田は若すぎる。諸大名の信頼を得ることは難しいであろう」
「こたびの北野大茶湯では不十分であると?」
「そもそも、おぬしは投げていただろう。誤魔化しても無駄だぞ」
高まる緊張感の中、宗匠は「では藤田さまへの褒美は取り消すと申されますか」と応じた。
「それこそ諸大名さまが納得しないでしょう」
「まだ藤田は申しておらん。ま、申したところで受け付けられぬがな」
「頑なですね。なにゆえ――」
「分からぬか。わしは――おぬしの侘び数寄を高く評価しておるのだ。藤田よりもな」
宗匠の目が見開いた。
息を飲むのが伝わってくる。
秀吉は「わしは侘び数寄を理解しているとは言えん」と目線を下げた。
「日の本の最先端の美である侘び数寄。それを政に利用しているわしはおぬしにとって鼻持ちならない男だろう。成り上がり者の道楽として思っているのだろう。しかしだ、心を掴まれた自分がいるのも否定できん」
「関白殿下……」
「もう少し力を貸せ。天下を統一するまでで良い」
僕は今まで秀吉のことを人たらしの名人だと考えていた。
だけど、この会話で違うことに気づく。
天下人である威厳を十二分に備えている。
分かった上で悲しい気持ちになる。
数寄の天下を取れないことではない。
こんなにも信頼関係のある二人が、道を違えて、宗匠を死なせる形になる。
それが悲しくて、物悲しくて――つらい。
「藤田よ。すまぬな」
ここで秀吉は僕に頭を下げた。
天下人にあるまじき行ないだ。
「か、関白殿下。頭をお上げください!」
「ここは茶室だぞ。身分の上下は関係ない」
それから秀吉は顔を上げて「利休、茶を点ててくれ」と笑った。
猿のような、太陽のような――天下人の明るい笑顔だった。
「もう日が暮れておる。せっかくだから黒茶碗を使ってくれ」
「……かしこまりました。藤田さまもどうぞ。一服差し上げます」
僕は姿勢を正した。
宗匠が茶を点てている間に「茶頭筆頭は望みません」と秀吉に告げる。
「代わりに新しい茶器を創るための禄をいただけましたら光栄に存じます」
「かはは。いいだろう。好きなだけ創れ……なあ藤田よ」
畳の上に置かれた黒茶碗を秀吉は手に取る。
手触りを楽しんでいた。
「どうだ、数寄の天下の重みは。さぞかし重かろう」
「はい。ずっしりという言葉では収まらないほどの重みです。しかし――」
秀吉の後に黒茶碗を持つ。
薄暗い茶室でも漆黒に佇んでいた。
おそらく、僕は満面の笑みを浮かべているのだろう。
抑えられないくらい、笑ってしまっていた。
「――存外、心地の良い重みでございます」




