第四十二席 北野大茶湯の伝説
北野大茶湯は千人以上が集まる大茶会だ。
その中で目立つためには数寄心を理解しなければならない。
そして僕なりの創意工夫を魅せなければ――数寄の天下は取れない。
「そう決めて、僕はこの場を整えました」
「これが藤田次郎の集大成、ということか」
目の前の天下人――豊臣秀吉は感心していた。
長五郎に頼んで作った、艶やかな鳳凰の赤茶碗を差し出して、反応を窺った。
「点てる茶も見事だが……まさかこのような明るい野点は初めてだ」
まず白い天幕を四方に敷いた。だが周りを囲んでいるのではない。三分の一ほどしか閉めていない。日光が入り込むように工夫している。むしろ光を集めるように仕切っていた。
下には白い敷物を用意した。
正方形のそれは場に結界を結んでいた。
かつて弥助に語ったように――礼儀をもって結んでいた。
僕の理想とする茶室は光あふれるものである。
黒を至高とする侘び数寄とはかなり異なるだろう。
しかしそれこそが狙いである。
「千利休殿の弟子なのに、侘び数寄の定石を外している……」
「このような茶の湯は見たことがない!」
「革新的かつ、斬新過ぎる」
秀吉がいることで見物する客が多かった。
それも狙いだった。午後には周りの茶の湯を見に来ると聞いていたからだ。
「使う道具も面白い。その茶入は瓢箪ではないな」
「ええ。『水滴』を作る際に生まれた勢高肩衝ですね」
「茶杓も出来がいいが、これも製作したのか?」
「いいえ。織田源五郎さまにいただいたものです」
秀吉は腕組みをして「名物を使っていない、今焼を用いたもてなしか」と唸った。
箔を好む関白殿下にはあまり好まれないと思ったら、意外と高評価だった。
「しかし、その茶釜は価値がありそうだ。生憎、寡聞にして知らないが――名物に匹敵しそうだ」
流石に数々の名物を所有し、目が肥えている秀吉だ。
蓋だけ変えた古天明平蜘蛛に気づいた。
「ええ。僕の好んだ平蜘蛛です」
「あれは松永弾正と共に吹き飛んだと聞くが」
「……上様にはご内密に」
とぼけたように言うと、秀吉は唖然としたが「なんとまあ、強欲なことだ!」とすぐに笑った。
北野天満宮を清涼な風が吹いている。程よい緊張感のまま、僕は秀吉に茶を振る舞えた。
「良き茶ではあったが、数寄の天下を取れるほどではないな」
腰を上げた秀吉に素直な感想を言われた。
天下人らしい歯に衣着せぬ言い方だった。
「そうでしょうね。これはまだ序の口ですから」
「なに? 本気ではないのか?」
「夕暮れ時に来てくださったら――違ったものを見せられますよ」
これは強がりではない。
僕の狙いは時間が経ってからの茶席である。
秀吉は目を細めて「何か策でもあるというのか?」と訝しがっている。
「先ほど、関白殿下はこの茶席を僕の集大成とおっしゃいましたが、正しくはありません――まだ藤田好みの茶席は成せていませんから」
「ふふふ。面白い……だがわしは北野大茶湯で一等の茶席を既に味わっている」
まさか――宗匠ほどの茶人がいるとでも言うのだろうか。
僕は努めて冷静に「どなたでしょうか?」と問う。
「千利休が兄弟子、丿貫だ。わしはあやつの数寄に心奪われてしまった」
丿貫……宗匠との会話で聞いたことがある。
清貧を体現する茶人だと――
「藤田よ。夕暮れ時まで時間はある。一度見に行くといい」
秀吉に促されて――あるいは挑発だ――僕は丿貫殿の茶席を見に行くことにした。
僕は自分の数寄を完成させている。
だから参考までに見ようと軽い気持ちで向かった。
丿貫殿の野点は北野天満宮の片隅に開かれていた。
見た瞬間、簡素すぎると思えた。
次にとんでもない趣向だと気づかされる。
丿貫殿は小さなゴザを敷いていた。多くて三人しか座れないほどの面積だ。
しかし、それを覆うように――大きな朱塗りの傘を広げていた。
みずぼらしいゴザだけならば驚かない。
だけど傘を広げることで尊いお方を招いてもおかしくない空間――茶席を完成させていた。
見事、としか言いようがない。
「うん。立ってないで茶でも飲まんか」
茶釜の前でぼうっとしていた老人が僕に声をかけてきた。
いきなり声をかけられたので面食らったが、ゆっくりとゴザに座る。
老人は禿げ上がった頭をひと撫でして、茶を点て始める。
道具は名物ではない。それどころか使い込まれた古いものだ。
その古さが何とも言えない味を出しているのは気のせいではない。
「与四郎から聞いてるよ。優秀な弟子だとな」
「よしろう……宗匠のことですね」
「あの男がそのように呼ばれるとは……光陰矢の如しだ」
そっと出された井戸茶碗。
作法どおりに飲む――美味しい。
「うん。若いのに違いが分かるようだ」
喉奥で笑う丿貫殿を改めて見る。
皺だらけの焼けた肌。商人と聞いていたが農作業をしているように見える。
背丈は高くない。痩せているが愛嬌のある顔をしている。
「関白殿下が褒めておりましたよ」
「光栄だな。お前も気に入ってくれたようだ」
「ええ。野点において天下無双と言えます」
「老人を持ち上げても何の得もないぞ」
僕は「事実を述べたまでです」と言う。
「だけど僕の茶席が至上であると確信しております」
「うん。そのくらいの自信がなければな」
「夕暮れ時に僕の茶席に来てください。この茶の返礼をしたいと思いまして」
丿貫殿は「わしはこのような催しは好かん」と嘲笑した。
「与四郎のやつが無理に誘ってきたのだ。おそらく、おぬしと競わせるためだろう」
「僕とですか?」
「己の数寄をぶつければ良かろうに……なんでだろうなあ」
嘲笑から愉快そうな笑い声へと変えた丿貫殿。
まるで宗匠を憐れんでいるように聞こえたのは勘違いではない。
そして夕暮れ時。
僕の茶席が白から赤へと変わった。
「これは……」
僕の茶席を見て、秀吉は口をぽっかりと開けた。
昼過ぎからの変貌に驚いているからだろう。
白の天幕は赤色へと映っている。
夕暮れの輝きに染まっているからだ。
白い敷物も同じく赤に染まっている。
そうなるように薄く作らせたからだ。
「これが藤田好みの茶席か」
「ええ。一服差し上げます」
秀吉が座ると「あんれまあ。凄いことをするなあ」と丿貫がやってきた。
感心したように眺めている。
「丿貫殿もいかがですか?」
「うん。いただこうかな」
何のためらいもなく秀吉の隣に座る。
警護の武士が警戒するが「このままで良い」と秀吉は許した。
茶を点てる――夕焼けの光で赤茶碗が溶けて一体化する。
「それも狙いか。まさに赤で支配された茶席だ」
「そのとおりでございます、関白殿下」
他人と心を通わすことは難しい。
だけど、圧倒的な美を見たときは同じ思いをするだろう。
それは何人でも、何十人でも、何百人でも感じることだ。
ただただ、美しいと思う――
赤で彩られたこの空間こそ、圧倒的な美だ。
僕が思い描く、僕が創り出した、新しい価値観。
明るい茶道だ――
「やりよるわい。こりゃ面白いわ」
丿貫殿から素直な感想が聞けた。
心から湧き出る歓喜に支配される。
ふと秀吉を見ると――悩んでいた。
「いかがなさいましたか」
「実を言えば、北野大茶湯で天下一の茶人を決めようとしていたのだ」
宗匠からなんとなく聞かされていたので「そうだったのですね」と返す。
「わしは丿貫の数寄に心奪われた。だから藤田が何をしようと心変えぬようにしたのだが……これもまた素晴らしいと思えた」
腕組みをしながら「どちらも甲乙つけられぬ」と思案していた。
「恐れながら、わしは数寄の天下などいらないです。そんなものがあれば軽い気持ちで茶の湯を楽しめないですから」
「そうはいかん……しばし待て」
急に立ち上がり、その場をうろうろしだす秀吉。
困った顔の丿貫殿とどうなるのかはらはらしてしまう僕。
「よし、決めたぞ」
秀吉は「皆の者、よく聞け!」と大声で張り上げた。
「十日ほど予定していた北野大茶湯であったが、今日で終わりとする! 理由は天下一の茶人が決まったからだ!」
そうして僕たちのほうを見た。
にやにや得意そうに、あるいは猿のように笑っている。
「天下一の茶人は二人とする! 丿貫と藤田次郎だ!」
天下一が二人!?
驚きのあまり何も言えない僕と丿貫殿に秀吉は「褒美を取らす!」と手で示した。
「二人とも『茶聖』を名乗ることを許す! そして欲するものを言え! 出来る範囲で応じよう!」




