第四十席 北野大茶湯へのいざない
宗匠と再会したのは秀吉が九州を平定してしばらく経った夏の盛りだった。この頃、秀吉は豊臣の姓になっていた。豊臣秀吉――教科書では馴染みがある。しかし日の本を差配する天下人だと思うと、途端に重々しく感じる。
その豊臣家の筆頭茶頭である宗匠とは長らく会えていなかった。秀吉と同じく名を改めたと知っても、自分から会いに行こうとはしなかった。会ってしまえば飲まれてしまいそうになる――そんな畏れがあった。
だけど今、僕の目の前に座っている。
千宗易、いや⋯⋯千利休がいる。
ただの茶道部部員だった僕と同じ空間にいる――
「お久しゅうございます。会えない不義理をお許しくださいませ」
老いてなお、圧倒的な存在感を放つ――茶人として、人間として、そして義父として大きすぎる。
飲まれないように気をつけようと思っていたが、これは無理だ。初めて会ったときと同じか、それ以上に興奮を覚えている。千利休と対面しているのだから当然だ。
「こちらこそ、ご無沙汰しております。あまり大したもてなしはできませんが――」
「藤田さまとお会いできたことが何よりの喜びでございます」
しかし表情に喜びの色はない。
それどころか無色透明である。
あるいは宗匠が尊ぶ漆黒のようだ。
「そうですか。しかしどうして我が家にいらっしゃったんですか?」
京の僕の屋敷で会っているの不自然に思えた。
宗匠の本拠地である堺でなければ、権力を存分に振るえる大坂でもない。
まるで虚を突かれた気分だ。
「手紙に来訪の意図は書きましたが、偽りだと思いますか?」
「娘と孫の顔を見せてほしい⋯⋯裏があるようにしか思えませんでした」
「随分と疑心暗鬼なご様子ですね」
「当然でしょう。己の数寄のためなら、なんでもする人だ」
そこで宗匠は困ったように顔をしかめた。
的外れなことを言ったわけではない。
むしろ的を射たからこそ――困り果ててしまったのだ。
「出会った当初と比べて、ご成長しましたね」
「ええまあ。宗匠と山上さんに鍛えられましたから」
「宗二……あの不肖の弟子は高野山にて修行しているみたいです」
所在を知っているのは気にかけている証拠だ。
しかし指摘せずに「ご無事ならば何よりです」と返した。
「それで本当の理由はなんでしょうか?」
「娘と孫の顔を見たいのは偽りではないのですが、ここに来た一番の理由は――関白殿下が大茶会を開かれるのです」
「大茶会……あ。まさか、北野大茶湯ですか?」
皆川先生から聞いた覚えがある。
すると宗匠は「やはりご存じでしたか」とたおやかに笑った。
「未来では北野大茶湯と呼ばれているのですね」
「大規模な茶会で千人以上参加したと聞いております。京の北野天満宮で⋯⋯あ、だからここに来たのですね」
その準備のついでに訪ねてきたというのが真実だろう。
そう考えたが「違いますよ」とやんわり否定された。
「藤田さま、北野大茶湯に参加してくださりませんか」
「僕が歴史に残る大茶会に?」
畏れ多いことだが宗匠は続けて「今回は天下に名を轟かす好機です」と熱い口調で語る。
「藤田さまならば天下一の茶人になれるでしょう」
「宗匠、意地悪なことをおっしゃらないでください。あなたがいるのになれるわけないでしょう」
「こたびの大茶会で関白殿下と今井宗久殿、津田宗及殿と共に茶を点てますが⋯⋯はっきり申し上げれば一座建立を成すのは容易くないでしょう。なにせ大勢の客をもてなすのですから」
それは僕も同じだ――言いかけたけど、次の宗匠の言葉で止まってしまう。
「北野大茶湯で素晴らしき茶会を致せば、天下一の茶人、つまり茶聖となれます」
「なっ――」
「わたくしは茶聖となれるのは藤田さましかいないと確信しております」
それはつまり、宗匠は数寄の天下を放棄して、僕に譲るということだ。
思わず「正気ですか!?」と叫んでしまった。
「宗匠が積み上げてきたものを投げ出すのですか!?」
「⋯⋯どう捉えるのかは藤田さまに委ねます」
明智さまを唆して、信長を滅ぼした宗匠が数寄の天下を手放すとは思えない。
これもまた何か裏があるはずだ。
「また企んでいるんですか⋯⋯?」
「何の裏などありません。しかし藤田さまは逡巡している様子。わたくしがさらに申し上げても疑心が深まるだけでしょう」
やはり宗匠は他人の機微に聡い。
僕の考えなど見通しているようだ。
そんな相手にあれこれ考えても無駄である。
「では宗匠の本心を聞かせてください」
「⋯⋯⋯⋯」
「僕は愚かな弟子です。心を読み解くことは叶いません。今できることは――真っ直ぐ訊ねるだけなのです」
無策のまま、宗匠へ縋る。
情けなくてみっともない。
当たり前だ。僕は元々、ただの茶道部部員なんだから。
「藤田さま。度が過ぎた謙遜は相手への非礼となりますゆえ、お気をつけなさいませ」
――またも心の内を見透かされた。
言葉を返せずに、息を飲んでしまった。
宗匠は笑みを消している。
見たことのないほど、渋い顔をしていた。
「あなたさまはいつまで、己が数寄を卑下しているのですか」
「卑下⋯⋯しているつもりはありませんでした」
「自信を持っても良いはずです。それと未来からの来訪者で居続けるのも感心しませんね」
宗匠から初めて説教を受けている。
指導や指摘は何度もあった。
だけど、ここまでのお叱りはなかった。
「関白殿下に献上した『日輪』と『水滴』は見事なものでした。唐物や高麗より優れた美を感じさせます。しかしながら、あなた自身が己を確立させなければ意味がないのです。美しいだけの中身のない空虚な器になるのですよ」
常々痛いほど感じていた思いだった。
未来の知識に頼っている自覚はある。
それを使わぬように自制してきた。
だけど、己の指標がまったくないのだ。
「⋯⋯それでも、藤田さまならば数寄の真髄を表現できると期待しているのですよ」
一転して希望を持たせるようなことを言う。
思わず「どういう意味ですか?」と口に出してしまった。
「今の日の本にはない感性と今を生きて培った経験。それらを合わせれば――素晴らしいものが創れるはずです。茶器でも、流派でも。思うがまま、思いどおりに人々を導けます」
「⋯⋯お言葉を返すようですが、よろしいでしょうか」
黙って頷く宗匠に僕は「期待をかけてくださるのは感謝いたします」と頭を下げた。
「今の僕が侘び数寄に傾倒していないのはお分かりになりますよね」
「古渓和尚や宗二から耳にしております」
「ならば宗匠の本願を叶えられないのは自明です。それでも良いと?」
「いずれ、藤田さまも直面しましょう」
宗匠は無表情で――黒茶碗のようだ――僕に告げる。
まるで神仏の宣告のように。
または悪魔の誘惑のように。
僕の未来を予測した。
「己の数寄を全うできるのは――己しかいない」
「⋯⋯⋯⋯」
「ふふ。気づくのにかなりの年月を費やしました」
当たり前だと笑い飛ばす気にならない。
それどころか、宗匠に深く同情した。
あれだけの怒りと憎悪を抱いたのに。
「失礼いたします。入ってもよろしいでしょうか」
外からお吟の声がした。
「ああ。入っていいよ⋯⋯あ。小次郎も連れてきたのか」
お吟は小次郎を抱えて「父上にひと目会わせておきたく存じます」と神妙な顔だ。
宗匠は両手を広げて「こちらへ」と招いた。
小次郎はお吟の手から離れて歩き出す。
宗匠の大きな膝の上に乗り「だぁれ?」と不思議そうに言う。
順序が逆だろと思ったが、子どもに求めるのは酷だろう。
「小次郎。あなたのおじいさんですよ」
お吟の言葉に小次郎は「じいじ?」とますますきょとんとした。
大きな手を広げて、宗匠は小次郎の頭を撫でた。
「賢くて凛々しい子ですね。どちらかと言えば母親似かな、お吟」
「私としては次郎さまに似ていると思います」
和やかな会話の中、僕は北野大茶湯のことを考える。
どうして宗匠は僕を参加させようとしたのか。
何故、数寄の天下を譲ろうとするのか。
そもそも北野大茶湯を催す狙いはなんだろうか。
様々な思考が頭を巡る中、祖父との戯れを喜ぶ小次郎に複雑な感情を抱いていた。
孫を見に来たのは本当らしい。そのくらい長年の付き合いだから分かった。
ここまで喜んでいるのは僕がお吟と結ばれたとき以来だったから。




