第三十九席 兄弟子との別離
せっかく堺まで来たので、久しぶりに山上宗二さんに会っておこうと荒木道糞殿の屋敷から出て目抜き通りを歩いていた。
源五郎さまはもう少し話があるらしい。きっと名物が諦めきれないのだろうと勝手に思った。
手土産を買い、向かっていると行き交う町人の顔が一様に暗い。
「堀を埋めるなんて⋯⋯」
「堺の代官になった石田さまが決められたそうです⋯⋯」
ひそひそと話し合う声があちこちから聞こえる。
内容は気になったが、立ち聞きするのもどうかなと歩みを早めた。
あまり良いうわさではないのだろう。
「すみません。山上宗二殿は居られますか?」
山上さんが営む商家で訊ねると「いらっしゃいませ、どなたでしょうか?」と立派な身なりをした男の人が応対してくれた。
どことなく山上さんに似ているな⋯⋯。
「藤田次郎と申します」
「ああ、父から聞いております。ささ、どうぞ中へ。私は道七と申します」
たおやかに微笑む道七殿は山上さんの息子のようだ。
部屋まで案内されて「父上、藤田殿がいらっしゃいました」と道七殿が呼びかける。
するとふすまが開いた。
「おお、藤田殿か」
「ご無沙汰しております。これ、つまらないものですが」
「気を使わずとも良いのに⋯⋯道七、ご苦労であった」
一礼して道七殿が去ると部屋に招き入れられた。
私室というより仕事場のような内装だった。筆や紙が整然としている大きな文机が中央に置かれている。
「それで何用だ?」
「堺に所用で来てまして、それで山上さんと久しぶりに話したいと思いました⋯⋯お邪魔でしたか?」
「ついでに会いに来たとはっきり言え」
「あはは。皮肉屋のところは変わらないんですね」
昔を思い出し、懐かしい気分になる。
しかし山上さんは「そんなことよりも大変な事態になっている。知らないのか?」と険しい顔になった。
「あの羽柴の手先⋯⋯石田治部少輔が堺の代官になる」
「それでは、松井友閑さまは?」
「罷免された。あの方は商人にある程度の遠慮があったが⋯⋯」
僕の知る限り、石田殿にはそれがない。
山上さんの立場ならば危機感を覚えても仕方ないだろう。
「そこで私は堺を出ようと思う」
「本気ですか? 羽柴小一郎さまの茶頭になられたと聞いておりますが」
「もはや羽柴家に何の信頼もない。今の暮らしを捨てることも厭わない」
頑な姿勢は潔さすら感じさせるが、捨鉢になっている気がする。
「堺を出てどこへ行こうとするんですか?」
「高野山だ。そこで名物の批評書を書く」
「⋯⋯危なくないですか? 羽柴家の名物も書くんですよね?」
「無論だ。古今の名物の格付けを行なう」
「覚悟を決めている兄弟子に言うのは生意気かもしれませんが、考え直すことはできませんか?」
山上さんは憮然とした態度のまま「できぬ」と否定した。
「私も藤田殿に言いたいことがある。何ゆえ羽柴家に従う? 侘び数寄を軽んじているあの羽柴にだ」
「自分の茶の湯を貫くためです」
「長いものに巻かれているだけではないか? 本当に志があるのか?」
「それは⋯⋯宗匠を批判しているのと同じではありませんか? あの方は羽柴家の筆頭茶頭なんですよ」
山上さんの物言いに苛立ちを覚えなかったと言えば嘘になる。
自分の美意識や価値観があくまでも正しいと思うのは、ひどく危うさを感じさせる。
だから敢えて挑発してみた。
「……宗匠か。あの方は稀代の茶人であり、欲に忠実な俗物だ」
「宗匠をそのように言うのは珍しいですね」
「そばに居れば美点と欠点の両方を見ることになる。良くも悪くも美の巨匠なのだ」
そこで山上さんは疲れ切った表情へと変わった。
中毒になるまでハマった遊びが途端につまらなくなった――印象深い顔だ。
「なあ藤田殿。私は創意工夫の前に茶の湯の未来を憂うことが多くなった。商人や尊きお方の嗜みであったものが下賤な武家のものへと変わっていくのが――いたく悲しい」
「……時代の流れ、として受け止められませんか?」
「未来から来た者の言い様だな」
「山上さん。僕は時代の流れを変えられるのは、その時代に生きた人じゃないとできないと思うんです。未来の人間があれこれ批評しても、今この時の熱量は体験できないんですよ」
山上さんは目を伏せたまま「ならばどうしろと言うのだ」と僕に問う。
「茶の湯を武家のものにしたくなかったら、万人が楽しみ味わうものに変えていきましょうよ。茶の湯を愛しているのなら――」
「待て。万人だと? 今まで宗匠に何を教わっていたのだ? そのようなこと、無理であろう」
どうやら山上さんの逆鱗に触れてしまったようだ。
それでも言わねばならないことがある。
「宗匠や山上さんの侘び数寄は確かに万人には理解できないでしょう。本質を理解できるのは一握りだけ。後は愚にも及ばない似非数寄者が生まれます」
「それが分かっていながら、何故万人に受け入れられると信じているのだ」
「僕が思い描くのは茶の道、つまりは茶道です。万人が歩める道を示していく。それが僕の目標なのです」
山上さんは「未来の茶の湯はそうなっているのか?」と不快感を示した。
「いいえ。高尚な嗜みとして世の中に広まっています」
「つまりできぬと分かっているのだろう? ならば何故目指す? 徒労ではないのか?」
「道とは歩む者を選ぶわけではありません。ただそこにあるように、目的地までの通過点に過ぎません。そもそも道とは歩む者のためにあります。拒んだり強いたりするものでもないのです」
「……希望さえすればできると言うのか? そんなもの、茶の湯と言えん」
「だから茶道とするのですよ」
「詭弁を弄しているように聞こえるな」
そうだとしても僕は、山上さんが全てを捨てて、全てを拒絶する人生を選んでほしくない。
「僕一人ではできないでしょう。だけど、山上さんがいてくれたらできると思うんです」
「侘び数寄を捨てて茶道とやらを創り出せと?」
「捨てる必要なんてありませんよ」
「どう言い繕うが同じことだ。私は自分の道を決めたのだ」
話は以上だと言わんばかりにそっぽを向かれてしまった。
だけど諦めきれなかった。
尊敬する兄弟子をむざむざ茨の道に行かせるほど僕は薄情ではない。
「山上さん。僕はあなたに感謝しているんですよ。未来から来た僕にこの時代の茶の湯を教えてくれた。そのときの恩を僕は返せていないんです」
「…………」
「羽柴家の茶頭をやめるのは止めませんが、堺に留まって茶の湯に邁進するのはどうでしょうか?」
「……はあ。口が上手いことだな」
僕の言葉に深くため息をついた山上さん。
分かってくれたんだと思ってしまった。
だけど次の言葉で期待が裏切られる。
「堺はもうおしまいだ。石田治部少輔が堀を埋めると決めた。それに羽柴は大坂と博多に力を入れる。堺の商人たる私たちは先細るだけだ」
「……考え直してもらえませんか?」
「何度も思案した結果だ。弟弟子の口車に乗るほど軽い決意ではない」
もう止められないのか……。
絶望に近い気持ちでいると「喋り過ぎたせいで喉が渇いただろう」と山上さんが一転して明るい口調になった。
吹っ切れた顔をしている。もう未練がないと言わんばかりだ。
「茶を点てよう。茶室に来るがいい」
「よろしいのですか?」
「久しぶりにお点前を披露してやろう」
なんとなく分かった。
これが山上さんに点ててもらう最後の茶なんだと。
だとしたら心して一座建立を成さないといけない。
「ええ、いただきます」
「藤田殿は弟弟子としては出来過ぎだ」
「褒めてないですよね?」
「まあな。一服差し上げるのでしばし待ってくれ」




