第三十八席 わがまま
徳川家との和睦が成立し、秀吉は名実ともに天下人へと成った。紀伊国や四国、越中国を征討して、盤石の体制を築いている。また関白に就任して朝廷の掌握に取りかかっていた。もはや逆らえる者はいないようだ。
しかし日の本全てを手にしたわけではない。関東の北条家や東北の諸大名、九州はまだ支配下に置いていなかった。それでも秀吉の天下は目前だろうと未来を知る僕は思っていた。
そんな中、僕は京の家で大きくなった息子の小次郎の世話をしていた。お吟の体調が優れなかったからだ。たいしたことはないと医者は言っていたが、風邪を小次郎に移すわけにはいかない。おとみさんにお吟を任せて、僕はこうして遊んであげたりしているわけだ。
「小次郎は元気だなあ。無垢で純粋で⋯⋯」
「きゃっきゃ!」
高い高いしてあげると嬉しそうに笑う。
戦国時代に来て子どもができるとは思わなかった。これもまた幸せだ。
しかし僕の求める幸せは――数寄の天下を手に入れることだった。そのためには宗匠を蹴落とす必要がある。できる限り穏便なやり方が望ましい――
「おう、藤田。久しぶりだな」
家主の許可なく入ってきたのは源五郎さまだ。何度もあることなので「ああどうも」と軽く挨拶した。
「なんだ。驚かないのか」
「屋敷が近所だからって頻繁に来ないでください⋯⋯そう言えば控えますか?」
「いや別に」
「宗匠に倣って無駄を削いだんですよ」
「つまらないこと言いやがって⋯⋯そんなことより暇しているか?」
僕は小次郎を抱きながら「子守りをしています」と忙しさをあらわにした。
だけど源五郎さまのほうが一枚上手だ。
「なら代わりの者を用意しろ。それで暇になる」
「⋯⋯前々から思っていたんですけど、織田家の方は強引ですよね」
「家風だ。諦めろ。それより行くぞ」
「どこに行くんですか?」
呆れ半分で応じると「欲深な男に会いに行く」と源五郎さまは白い歯を見せた。
「お前も話だけは聞いたことはあるだろう――荒木道糞だ」
「ああ。うわさはかねがね……」
それもあまり良くないうわさだ。
一族郎党を裏切り、一人だけ生き残った大名。
本能寺の変で混乱した状況の中、秀吉に名物を差し出すことで自身の身の安全を確保した。
「そのお方に何の御用ですか?」
「病を患っているらしい。医師が言うにはもう駄目みたいだ。死ぬ前に茶器や茶道具を譲ってもらおうと思ってな」
「なんともまあ⋯⋯奪うのも織田家の家風ですか?」
「馬鹿なことを申すな。譲ってもらうのだ。いくら道糞でもあの世まで持っていけないだろう? だったら俺らが使ったほうが名物も喜ぶだろうよ」
手前勝手な言い分だなあ。
ほとんど空き巣と変わらないやり方だ。
それに手を貸すほど落ちちゃいないが、あの道糞殿の名物には興味がある。長五郎にも良い示唆が与えられるかもしれない。
「僕が行ってもいいんですか? 面識がないんですが」
「構わんよ。俺が紹介してやる⋯⋯なんだ、てっきり断られると思っていたぞ。悪趣味だからやめろとかなんだかんだ言われるとな」
「源五郎さま。僕も数寄者なんですよ。譲ってもらうのはともかく、名物をこの目で見れる機会を失うのは耐えがたいです」
我ながら業が深い。
これでは源五郎さまや宗匠と違わないな。
「よし。面白くなってきやがった。それじゃ道糞のいる堺に行くぞ」
「少し待ってください。妻と使用人たちに話してきます」
何も隠すことなく『荒木道糞に会って名物を見てくる』と伝えると、おとみさんは奥方さまの調子が悪いのにと苦言してきた。
だけどお吟は「お前さまのしたいようにしてください。私は大丈夫です」と笑ってくれた。そう送り出されると気が楽になる。良い妻を持ったと思う反面、何かで埋め合わせしないとなと考える。
「お吟は優しいね」
「優しいというより、もう諦めているのでしょうね。数寄者は己の業に突き動かされて止まらない。ようやく母上の気持ちが分かりました」
「⋯⋯⋯⋯」
「ふふ。意地悪なことを申しました。寂しい気持ちもありますが、それ以上に誇らしいですよ、お前さま」
謝ることはできなかった。
これから多くの苦労をかける。それなのに一言で済ませるなんて酷すぎる。
「ありがとう、お吟」
だからたくさんのありがとうを贈ろうと思う。
僕の気持ちを汲み取って、お吟はいつも素敵な柔らかい笑顔で応えてくれた。
◆◇◆◇
「がっはっは! あんたが藤田次郎か! 千宗易殿が自慢しておった! ようやっと会えたな!」
堺の屋敷で道糞殿に会ったが、なかなか死にそうにない人という印象だった。
しかし布団に寝そべる姿は病人そのものだ。顔色が悪い――だけど声が大きい。いろんな要素を兼ね備えた俗人だと判断した。
ヒゲを無造作に生やしている。
大きいたれ目で隈が黒く刻まれていた。
頬がコケているが、全体的に丸々としていた。
「お初にお目にかかります。藤田次郎と申します――」
「おう荒木道糞。お前いつ死ぬんだ?」
挨拶せずに本題を切り出したのは源五郎さまだ。
よくもまあ遠慮のないことを言えるものだと改めて尊敬の念を深めた。
「一年保てばいいほうだろう。ああ、名物が欲しいのか。やらんから帰れ」
「おいおい。死んだら愛でることもできねえぞ? そこまで俗物だったのか?」
話が早いし無礼極まりないやりとりだ。
あっけに取られていると「藤田殿も名物が欲しいのか?」と道糞殿が水を向けてきた。
「欲しいというより、見てみたいです。今焼作りの参考にしたくて」
「なんだなんだ。わしに会いに来たわけではないのか」
「もちろん興味はあります。しかし数寄者としては名物のほうに軍配は上がりますね」
僕の返しに道糞殿は「がっはっは! 確かにそうだな!」と楽しそうに笑う。
愉快極まりないという印象だ。
「だが一足遅かったな。名物は全て銭に変えた」
「なんだと? ⋯⋯死を目前にして耄碌しちまったのか?」
源五郎さまの驚愕に僕も同じ思いをしていた。
一族郎党より名物を優先した彼が、今更銭を欲するとは思えない。
冗談か嘘をついているのか、判断がつかなかった――
「実は一人、生き残った子がいるのだ」
打ち明けた道糞殿――そのとき何故か死相のようなものが見えた――は照れていた。
「乳母が命がけで助けてくれた。すくすくと育っていると手紙もくれたんだ。その子に財を渡したいのだ」
「はっ。子煩悩に宗旨変えか。そりゃあ虫がいい話だろ。お前は大勢の一族郎党を裏切って今の今まで生き延びたんだろうが」
「織田源五郎殿の言うとおりだ。こんな情けない話はない。それでもその子を大事に思えるのは――生きた証がわしにはそれしかないのだ」
生きた証。
自分がこの世に居たという証明。
一族郎党を裏切り、己を道端の糞だと卑下した男が最後に望んだのは、ささやかな子への愛だった。
「数寄者として名を馳せたが⋯⋯名声よりも、名物よりも大事なのは我が息子だ」
「だがその息子はお前を恨んでいるぜ」
源五郎さまの容赦ない言葉に「そうだろうなあ」と道糞殿は屋敷の庭を見た。
「皆を裏切って生き残ったからな……がっはっは」
「それでも、その子に財を残すというのですか?」
耐えきれずに質問してしまった。
道糞殿は僕のほうへ目を向けた。
「最後のわがままだ。名物を期待してやってきたあんたたちには申し訳ないな」
「いや。親の気持ちがよく分かりました。茶の湯を通してではないですが、一座建立を成せたと思います」
「はあ。酔狂だな」
道糞殿は奇妙なものを見る目だった。
源五郎さまは僕と宗匠の関係を分かっているから、黙っていてくれた。




