第三十七席 たとえ恨まれても
本多殿の目に殺気が生まれる。戦国時代に来てから人が人を殺す場面は何度か見てきた。そのたびに僕の番にならぬように祈ってきた。
妻と子を残して死にたくはない。それでも引いては駄目だと心の中で誰かが叫んでいた。
己のため、そして一座建立を成した明智さまのためだ――
「……ふふふ。流石に度胸がある。茶人にしておくのはもったいない。いや、茶人ゆえ度胸があるのだなと言い換えるべきかな」
家康が愉快極まりないという態度になる。
本多殿は脇差から手を放した。
何が何だか分からない。
「斬らないのですか? 別に斬られたくはないのですが」
「正直だな。ま、そこがそなたの美点だ。元々、殺す気はない。問答をして信頼できるかどうか試したかったのだ」
鷹揚に頷く家康に不可解な気持ちでいっぱいになる。
すると本多殿が「殿、藤田殿をお認めになるわけですね」と確認した。
「安土城で会ってから既に認めている。すまなかったな、試すような真似をして」
「説明してくださりますよね?」
「藤田殿は信頼に値する。だから私も命がけで事に臨むと決めた」
まだ全貌が見えない――家康が「入ってくだされ」と声をあげた。
僕の後ろのふすまが開いた音がした。
振り返ると、そこには僧侶がいた。
薄紫の僧衣を着ていて、頭をつるりと剃っている。
穏やかに微笑んでいて――あれ?
「え、あ、その、本当、ですか?」
「藤田殿。驚くのは無理もありません」
典雅な声で微笑みを大きくする。
姿が変わっても、僧となっても、僕には分かる。
「あ、明智、さま……?」
「ご無沙汰しております。藤田次郎殿」
紫衣の僧侶は死んだはずの明智光秀――その人だった。
どういうことだろうと家康の顔を見る。
「藤田殿。確かに明智殿は死んだ。そこにいるのは天海という僧侶だ」
「えっと、つまり、死を偽装した……」
「皆まで言わないでくだされ」
明智さま――天海殿は僕の隣に座った。
驚きのあまり、口を馬鹿みたいに開けていた。
「どうしてここに? 徳川さまは全てをご存じなんですか?」
「徳川殿は私を匿ってくださっています。謀叛人の私をね」
混乱し過ぎて整理が追い付かない。
そんな僕を見かねて「まず私は羽柴殿に負けた」と天海殿が話し出す。
「小栗栖村の百姓に討たれたと言われているが、おそらく私の家臣の誰かだろう。私を逃がすために偽りを申して死んだのだ。その後、徳川殿に救われて現在に至る」
「どうして徳川さまがお助けになられたのですか?」
家康は「元々、織田殿は我らを一網打尽にして討つ計画を立てていた」と苦い顔になった。
「事前に打ち明けてくださったのだ」
「し、しかし、堺ではかなり動揺――」
「ふふふ。私も堂に入った演技ができたようだな」
得意気な家康に「我が殿はひどいお人だ。俺たちにも黙っていたのだから」と本多殿は愚痴った。
「許せ平八郎。敵を欺くにはまず味方からというではないか」
「殿のご命令ならば聞かざるを得ません。不本意ですが」
そんなやりとりをどこか遠くで見ている気分だったが、僕は天海殿に「よくぞご無事で……」と言葉を詰まらせながら言った。
畏敬を覚えた人物が生きていた。
何よりも嬉しいことなのに、驚きが強すぎる。
源五郎さまが松雲さまと会った衝撃が今理解できた。
「藤田殿。いろいろ頭の中で巡り回っているだろうが、落ち着いて聞いてくれ」
姿勢を正して「なんでしょうか?」と訊ね返す。
天海殿は「私が上様を討った理由を改めて言おう」と真剣そのものだった。
「私が望むのは日の本の統一だ。海外に攻め込むことない、泰平の世を築くことだ」
「……何をお考えですか?」
「決まっている。徳川殿の天下だ」
息を飲む僕に対して「羽柴は上様と同じ道を辿るだろう」と天海殿は続けた。
「今は阻止できぬ。しかし、いずれ羽柴の天下は崩れ落ちるだろう」
「すみません、先ほどから聞いてばかりなのですが……もう少し分かりやすく説明していただけますか?」
話が見えない――今度は家康が「私から話したほうがいいな」と受けた。
「明智殿――天海は千宗易殿に説得されて織田殿を討った。そこまでは良いか?」
「良くはありません。織田家家老という重職を蹴ってまで、やるべきことなのですか?」
「藤田殿からすればそうだろうな。まず天海は織田殿に私を討てと命じられた。徳川家の領地を得るためだ。しかし、事前に打ち明けてくれたのだ」
天海殿のほうを見ると「筋が通らない話だった」とはっきりと言う。
「長年の同盟国である徳川家をあっさりと見限るなど、私の倫理観からしても許せなかった」
「当然、私は動揺した。織田殿に取り直してくれと縋ったのだ。しかし織田殿は人の意見を容易く受け入れない。ならばこそ、今回の計画を立てたのだ」
家康は「第一に明智殿は謀叛を起こした後、死んだように見せかける必要があった」と僕を見た。
「織田殿は天下人に近い存在だった。あの崑崙奴の件もあったが、表面上は朝廷とも懇意にしていた。その織田殿を討てば逆賊として捉えられるだろう。それを防ぐには明智殿が謀叛人として討たれる必要があった。さすれば討ち取った者が次の天下人になる」
「でも、討ったのは羽柴さまで……」
「そうだ。徳川家が明智殿を討てば天下を手中に収めていただろう。だがそれは仕組まれていたのだ――千宗易殿に」
宗匠の名が出た。
まさか、暗躍していたとでも言うのだろうか。
「羽柴殿に本能寺で織田殿が討たれることをいち早く知らせた。徳川家が軍勢を発する前にだ。いや、もしかすると裏で手を結んでいたのかもしれない」
推測だけど、どうしても否定できない。
そのくらい秀吉の動きは速かった。
「結果的に千宗易殿は羽柴家の筆頭茶頭となった。織田家では三茶頭の第三席だったが、一気に出世したと言える。今や数寄の世界ではあの者に口出しできぬ。そうであろう?」
「違いませんが……徳川さまはいったい、何をなさろうとするのですか?」
「織田家が混乱した後、我々は甲斐国と信濃国を攻め取った。全ては羽柴家に対抗するためだ。そして今、小牧長久手の戦いに痛み分けとはいえ勝利した。十二分に存在感を示せただろう」
僕は武将ではない。文官でもない。ただの茶人だ。
どんなことを企んでいるのかさっぱり分からない。
「これから羽柴家は天下を統一するために戦を方々に仕掛ける。恨みをかなり作るだろう。そこに付け込むのだ」
「羽柴家から天下を奪う……そう言いたいのですね」
「ああ。そのために藤田殿に協力してほしいのだ」
いきなり僕に頼みがあると言われて、なんだろうと不安になる。
家康は非情な顔で「千宗易殿の娘婿殿に頼むのは酷かもしれない」と前置きをした。
「千宗易殿の茶を否定してほしい。そして新しい茶の湯を創ってほしいのだ」
地球が逆回転するような、とんでもないことを言われた。
天海殿のほうを見る。
穏やかな表情で「これは千宗易殿のためでもあるのだ」と言われた。
「かの巨匠は己の美という業に囚われている。黒き茶器に狭き茶室。無駄を削いだ侘び数寄を天下一の美意識として確立させようとする。それ自体は素晴らしいことだが……いかんせん、その野望のために人を殺し過ぎた」
「藤田殿ならば止めることができよう。それだけの器量と腕前があると確信する」
家康までも後押ししてくる。
「千宗易殿を大事に思うのであれば――」
「宗匠を隠居させるということですか?」
家康の言葉を遮って、確認した。
少し沈黙した後「何も殺す必要はない」と家康が答えた。
「数寄の世界から遠ざけるだけで良い。あの者がいれば数寄を好む大名たちは羽柴の言いなりになってしまう。羽柴の天下を失陥するには必要なことなのだ」
「……分かりました。受けましょう」
応じると家康と天海殿は喜んでくれたが、僕には僕の狙いがあった。
もしも宗匠が隠居してくれれば、秀吉に切腹させられることはなくなるだろう。
僕を助けてくれた恩人を救うことができる。
宗匠を救うためなら、宗匠やその弟子に恨まれてもいい。
お吟や子に恨まれるのはとても嫌だけど。




