第三十六席 使者として
その後、母子ともに順調に回復していった。
胸の中で赤ちゃんを抱くお吟に感動をした。それから数日一緒に過ごして僕は京の洛東にある長五郎の窯元を訪れた。そろそろ新しい今焼を作らねばならなかったからだ。愛おしい妻子を置いて仕事なんてしたくはないけど、仕方のないことだ。
「おう藤田のにいさん。だいぶ遅かったけど何か問題でもあったのか?」
「子供が産まれたんだ」
「お! そりゃあめでてえな! おめでとう!」
「ありがとう。それで悪いんだけど、ちょっと集中できないかもしれない。まだドキドキしているんだ」
長五郎は「仕方ねえよ」と笑ってから完成した茶器のところへ案内してくれた。
むわっとした熱さが肌に伝わってくる。
小屋に入ると「赤茶碗に絵付けしてみた」と出来上がった茶器を見せる。
「にいさんの図案をそのまま描いた。どうだろうか?」
「どれどれ……」
藤の花、紫陽花。変わったところで蒲公英。
主に花の絵を描いてみた。
出来栄えは悪くないけど、しっくりこないな。
「絵付けはだいぶ上手くなってきたが、題材が良くないんじゃないか」
同じ考えを長五郎もしていたようだ。
僕は茶器を手に取って「うーん、試作としてはいいけどね」と頷く。
「南蛮から取り入れた西洋バラの絵はどうだった?」
源五郎さまの茶席のときに用いた絵だ。
「作ったぜ。でも派手過ぎて侘び数寄と相性が悪かった」
棚から取り出して見せてくる。
確かに派手過ぎるけど、可能性を感じた。
「他の赤い花……曼珠沙華はどうだろうか?」
「あー、試してみてもいいけどよ。花以外の題材のほうが映えそうだぜ」
「たとえばなんだい?」
「そうだな……紅葉とかはどうだ?」
うん、悪くない気がする。
「僕も今思いついた。鳳凰とかはどうだろうか」
「はあ? バラ以上に派手になりそうだぜ? にいさんは侘び数寄を極めようと思っているんじゃないのか?」
「今の天下人は羽柴さまだ。その方の好みに合わせるのも悪くないと思う」
「はっ。権力者に媚びへつらうのか?」
「数寄の天下を取るためだよ。嫌なのか?」
「別に。俺は世界をひっくり返すものが作れればそれでいい」
本当にどうでも良さそうな顔で長五郎は言う。
本心は分からなかった。
「それと今月の心付けを用意しておいた。米俵を運ばせているよ」
「毎回悪いねえ」
「長五郎のことを尊敬し期待しているからね」
芸術支援家そのものだなと思いつつ、僕は棚の茶器を見渡す。
赤、赤、赤。赤一色だ。
僕が赤に傾倒しているから当然だった。
「茶入はもう作らないのか?」
「あの『水滴』以上のものは今の俺じゃ無理だ。もう少し腕を上げねえとな」
「向上心の塊だねえ……おや? これはいいじゃないか」
朝顔を主題とした赤茶碗だ。
大きな花弁が赤と混じり合って美しい。
「俺はそこまで評価していないぜ。俺以外のやつでも作れるからな」
「ふうん……これ買うよ。宗匠の意見が聞きたい」
「ああ。八百貫文でいいぜ」
持ち合わせがないので、後で届けると約束した。
うーん、秀吉からの禄と宗匠からの援助があるとしても、あまり散財は良くないな。
だけど美を創り出すためには多くの財が必要だった。
長五郎に指示を告げて、僕は窯元を後にした。
そういえば、秀吉と家康がもうじき戦うと聞いていた。
でもまあ僕の出番はないだろう。
所詮、同朋衆だしな。
◆◇◆◇
「藤田よ。徳川殿に茶の湯を振る舞ってもらえぬか」
小牧長久手の戦いと言われる一連の戦争が終わった頃、秀吉にそう命じられた。
大阪城の大広間にて石田殿や小姓がいる中、どうして自分が茶席を設けなければならないのか分からぬまま「はい、かしこまりました」と頭を下げた。
茶人ならば茶席の依頼は断れない。
「おおそうか。それではすぐに三河国へ向かってほしい」
「三河国ですか……京ではないのですね」
「大丈夫だ。すでに和睦は済んでいる。今更物騒なことはせぬよ」
この間まで敵国だったので恐ろしいと思う。
だけど秀吉は満面の笑みを浮かべていた。
これは安心しろ、ではなく、行けという強制だった。
「分かりました。すぐに出立いたします」
「一応、佐吉に護衛させておく。徳川殿によろしくな」
あの石田殿と一緒か。
ますます憂鬱な気分になる。
石田殿はそっぽを向いていた。そちらも嫌っているらしい。
そういうわけで三河国の岡崎城へ赴いた。
一応、秀吉から名物を借りてきたのだが、果たして通じるかどうか。
城門をくぐって屋敷の外で待っていると、家康と家臣たちが出迎えてくれた。
僕の隣には石田殿がいて仏頂面のままだ。
道中、何も会話できなかった。気まずくて仕方がない。
「これは藤田殿。ご無事で何よりでした」
「徳川さまもお元気そうで……こたびは一服差し上げたいと思います」
「ああ。我が徳川家と羽柴家の友好の印となるだろう」
家康は「石田殿はいかがか」と誘うのだけれど、石田殿は「遠慮いたす」と首を振った。
「茶の湯にさほど興味がありませぬゆえ」
「はっはっは。藤田殿を前によくも言えましたな!」
豪快に笑う家康。
胃がムカムカしてくる……。
相手にしない相手にしない相手にしない。
三回心の中で唱えて平静を装う。
「それでは参ろうか」
家康に先導されて城の屋敷へ入る。
部屋の中はこじんまりとしていて、あまり広くはない。
「茶室は狭いほうがいいと聞く。ここならば問題なかろう」
そういう話ではないが、茶の湯に詳しくない家康が勘違いするのは仕方がないことだ。
茶入の抹茶の毒見が済んだ後、僕はゆっくりと茶を点てる。
家康のほかに堺で会った平八郎という武士もいた。つまり部屋には三人だけだ。
「――どうぞ」
差し出したのは井戸茶碗だ。
名物ではあるが、あまり華やかではない。
家康はぎこちない仕草で飲み、平八郎殿は片手でこちらを睨みながら飲む。
「これ平八郎。わしの真似をしろと言っておいただろう」
「茶坊主ごときに礼儀などいりませぬ」
茶坊主か。よくいる武人至上主義者なのだろう。
石田殿と変わらないな。
「良いのです。茶の湯は自由ですので」
「ならば何故、決まりや作法があるのだ。自由ならば無くせば良いではないか」
お。なかなか鋭いことを言う。
脳筋かと思ったけど、徳川家で重用されているのだから、頭は切れるのだろう。
「ええと、僕まだあなたさまのお名前を聞いていないのですが」
「本多平八郎だ」
「本多殿。自由であることと決まりがあることは決して相容れないわけではありません」
僕は宗匠や皆川先生の教えを思い出しながら、説明を始めた。
「茶の湯は自由です。どんなおもてなしや創意工夫を成そうが問題ありません。しかし、自由と無秩序は異なります。決まりがあることで自由に振る舞うことができます。その決まりとは作法を意味します」
「作法か。それは自由を狭めているわけではないのか?」
「むしろ共通の認識を持つことで自由を高めるとも言えます」
本多殿は「ふむう。なかなか口が回るではないか」と強面を険しくする。
家康は「平八郎、一本取られたな」と大笑いした。
「意地悪を言ってしまったが、上手く返されたな。まるで禅宗の僧侶を相手にしているようだ」
「あはは。古渓宗陳さまに師事しましたからね」
「私も一つ、訊ねたいことがあるのだが、よろしいだろうか」
僕は「なんでしょうか」と応じた。
家康は笑顔から真顔に変えた。
「実を言えば藤田殿に会わせてほしいと申し出たのは理由がある。明智殿と最後の語らいをしたと聞いていたからだ」
「……源五郎さまにですよね」
あの人、口が軽いなあ。
「明智殿は最期に何を語られた?」
「一座建立の証として、何も語れないと言えばどうなりますか?」
「……藤田殿を斬るしかないな。これは脅しだ」
本多殿が脇差に手をかけた。
僕は大きく深呼吸した。
浮かんだのはお吟と赤ちゃんの顔――
「お断りいたします。たとえ斬られようが言えません」




