第三十五席 娘婿
「まあ。それで黒田さまはどうなされたのですか?」
「納得はしていなかったけど、羽柴さまが『茶室は密談にうってつけ』と諭したら分かってくれたみたいだ。僕の本意ではないけどね」
「しかしそれで黒田さまは茶の湯を習うと決めたのですね」
布団に横たわりながら、僕の拙い話を楽しげに聞くお吟。
大きなお腹で大変そうだけど、今は安定しているようだ。
京の屋敷に戻ってしばらく働くことになった。長五郎と赤茶碗を作る名目で留まっているが、実際は子供が産まれるから近くに居たいのが本音だ。
「茶の湯の指導は宗匠に任せるって羽柴さまが言ってた。今や天下一の茶人と呼ばれるほどになっているからね」
「我が父ながら凄まじいですね」
「古今東西であの人に勝てる茶人はいないよ」
「茶の湯は勝ち負けで決めるものですか?」
「最近はそう考えるようになった……勝ち負けではなく、優劣と言い換えれば分かりやすいかな? 何事にも最上というものはあるから」
そうは言いつつ、僕はどうやってあの千宗易を倒すか考えていた。
身重の妻、宗匠の娘の前で思案することではないが、話題に出てしまったので、頭の片隅で想像を巡らせてしまった。
僕の価値観があの宗匠――美の巨人にどう敵うのか。
ただの蟻程度の美意識しか持たない非才の僕がどう立ち向かうのか。
そればかり最近考えていた。
「良きものを考えるのは難しいでしょう。根をお詰めにならぬよう――あっ」
「うん? どうかしたのかな?」
「……中の赤子が蹴りました」
嬉しそうにお腹を撫でるお吟に僕はもう何も言えなくなってしまった。
感動以外に何も思い浮かばなかった。
僕はお吟の頭を撫でて「一緒に頑張ろう」と告げる。
「僕にできることがあれば何でもするから」
「……久しぶりに金平糖が食べたいです」
「うん。好きなだけ食べられるように用意しておくね」
約束した直後、部屋の外から「藤田さま、お客さまが参られました」と声がかかった。
おとみさんだと思いつつ「分かりました」と返事をした。
「お吟。僕はしばらく屋敷を離れない。だから――」
「心配してくださるのは嬉しいですが、私のことはおかまいなく。お勤めに励んでくださいませ」
出来た妻を持てて幸せだった。
僕は頷いておとみさんの案内で客人のところへ向かった。
「これは細川殿と蒲生殿。お久しぶりでございます」
「藤田殿、息災で何よりだ」
「突然の来訪、失礼つかまつる」
客間に入ると二人の大名がそこにいた。
一人は丹後国の大名の細川与一郎忠興殿で、切れ長の目をした丸顔、ややふっくらとした体型の方だ。やや気性が荒いが茶の湯の腕前は素晴らしい。
もう一人は近江国の大名の蒲生忠三郎賦秀殿だ。こちらはあごひげを立派に生やした威厳ある顔立ちで、かなりの器量人だ。
二人とも宗匠の弟子で、何度か会って話したことのある間柄だった。
「御ふた方、何用でございますか?」
「藤田殿に子が生まれると聞いてな。そのお祝いの品を持参した」
蒲生殿がにこやかな笑顔で反物を出してきた。
細川殿は「丹後国の海産物だ」と手渡す。
「ありがとうございます。直接届けてくださるとは……」
「同じ弟子同士だからな。交友も兼ねている」
にこやかに語る細川殿に「このお礼は必ずいたします」と頭を下げる。
ただの同朋衆にここまでの贈り物を自ら渡すのは、僕が弟子仲間だからではない。
お吟が宗匠の娘であり、僕が娘婿だからでもある。
「よろしければ一服差し上げましょうか?」
「おお。それはありがたい。蒲生殿はどうする?」
「拙者もいただこう」
茶釜でお湯を沸かしているうちに「そういえば、藤田殿は我が舅殿と仲が良かったな」と細川殿が話しかけてきた。
茶室ではなく客間での茶席だ。普段よりくだけた態度は許されるだろう。
「ええ。明智さまとは懇意にさせていただきました」
そう。細川殿は明智さまの娘婿だ。本来ならば明智さまの娘であるたまさんは殺されるはずだったけど、自分の領地に幽閉することで難を逃れたのだ。
「源五郎殿に聞いたが……事変のときに舅殿に会ったらしいな。何を話したのだ?」
細川殿は口元をゆがめているが目は笑っていない。
何か意図があるのだろうか……。
「源五郎さまはなんとおっしゃいましたか?」
「はぐらかされてしまった。詳しくは藤田殿に訊けと」
「最後の一服を差し上げた……そして救えなかった。ただそれだけです」
細川殿がなおも訊こうとしたのを察したので「どうぞ」と井戸茶碗を前に置く。
これもまたはぐらかしだった。
見事な作法に則って細川殿と蒲生殿は飲み干した。
「拙者としてはあまり聞きたくはない話だな。我が舅を弑逆したのだから」
苦笑を交えて――こちらは目が笑っている――蒲生殿が言う。
あの信長の娘婿だった彼だけが言える言葉でもあった。
「俺は舅殿が好きだった。あの優しすぎた方が何ゆえ謀叛を起こしたのか……その理由を知りたいのだ」
蒲生殿に何の遠慮もない態度だった。
二人の様子を窺う。
細川殿は真剣な目で僕を見つめている。
蒲生殿は穏やかな顔のままだ。
さて、どう答えようか……。
「――失礼します!」
部屋の外からおとみさんの大声がした。
かなり慌てていて――嫌な予感がする。
「どうしましたか――」
「奥方さまが、産気づきました!」
僕は急いで立ち上がり「産婆さんは!?」と問う。
「すぐに使いの者を寄越しました! で、ですが、ひどく、奥方様が、苦しんでいます!」
「と、とりあえず、できることをしましょう! お湯を、ぬるま湯を用意して!」
慌てないように、平常心を保つように、自分に言い聞かせる。
蒲生殿が「拙者たちはもう帰ったほうがいいな」と立ち上がった。
「細川殿、問いは後日にいたしましょう」
「そ、そうですな……ご武運を祈っております」
細川殿もかなり動揺しているようだ――そんなことはどうでもいい。
申し訳ございません、と頭を下げて僕はお吟のところへ向かう。
廊下を早足で走る――お吟の叫び声。
「――お吟!」
ふすまを開けてお吟に近づく――顔を真っ赤にして呼吸が荒い。
股からかなり出血している。
「お吟、僕はここにいる。だからしっかり気を持って!」
お吟の手を握る――砕けそうなくらい強く握られた。
そんなのかまうものか!
両手で優しく包み込む。
「お、お前さま……! く、苦しい……!」
「もうすぐ産婆さんが来る! だから、だから――」
「産婆さんが来ました!」
おとみさんの強張った声。
産婆さんが僕を押しのけて「ゆっくりと息を整えておくれ」と言う。
「じゃんじゃんお湯を持ってきて! あんた旦那さんだね?」
「え、あ、はい!」
「そのまま手を握っていると折れちゃうよ! 手を放して、この紐を掴んで!」
「う、うわああああああああああああ!」
お吟がひと際叫ぶ。
僕は枕元に近づいて「お吟!」と目と目を合わせる。
焦点のあってない、苦しげな顔。
「声をかけ続けてあげて! 私が合図したら力んでおくれ! いいかい!」
「お吟、分かったか!?」
お吟は何度も頷いた。
産婆さんは一呼吸置いて――
「さあ、いくよ――力んで!」
「ああああああああああ!」
それが何度も繰り返されて。
時間が永遠にも思えた。
「このままだとやばいね……お吟さん。一気にいくよ。覚悟はいいかい?」
「お、お前さま、お願い……」
お吟は泣きながら僕に懇願してきた。
「私の手を、握って……」
「ああ、もちろんだよ」
強い力で握られるから、折れる可能性があった。
それでも僕はお吟の手を握った。
「いくよ……せーの!」
「うあああああああああああ!」
お吟とは思えないほど力が強かった。
だけど放すものか!
「よーし、出たよ! 産まれたよ!」
ああ、良かった――と思ったけど、何か変だ。
お吟も荒い呼吸の中、疑問が浮かんでいる。
「い、息が、してない! 喉に何か詰まっている!」
産婆さんが赤ちゃんの背中を叩く。
何度も叩いて――口から吐き出された。
「よし! ……どうしたんだい、泣け! 泣くんだよ!」
真っ青な顔で産婆さんが揺する。
だけど泣かない。呼吸をしていない――
「そんな、私たちの赤子が……」
お吟の血の気が引いていく。
「――よこせ!」
赤ちゃんを産婆さんから取り上げて、布団の上に寝かせた。
心臓あたりを指だけで押す。
とんとんとんと――
「頼む、死なないでくれ! 僕は待っていたんだ、君が産まれるのを! お吟は頑張ってきたんだ、君を産むために!」
頬に涙が伝う。
心臓マッサージなんてやったことない。見様見真似だ。だけど可能性があるのなら――
「君に教えたいことがたくさんあるんだ! 食べさせたいものも、飲ませたいものもある! だから、戻ってきてくれ!」
そのとき、けぷ、と赤ちゃんから息が漏れた。
手を離すとむずむず動いて、ゆっくりと――泣き出した。
おぎゃあおぎゃあと。声をあげて泣きだした。
「やったぞ、お吟!」
お吟を見ると――口元を押さえて泣いていた。
産婆さんは「信じられない……」と呆然としている。
「見ろ、元気な子だ!」
「お前さま……!」
「あはは、良かった、本当に良かった!」
「うう、ぐす……うわああああああああん!」
僕とお吟は抱き合って泣いた。
産んだ喜びと生きていてくれた安心で泣くことしかできなかった。




