第三十四席 『日輪』と『水滴』
秀吉が柴田との戦争に勝った。その戦勝祝いに僕は赤茶碗と青磁瓢箪茶入を献上することになった。惜しい気持ちはあるのだけれど、これで箔が付けばよりよいものが作れる。そう考えればむしろ喜ばしい。
柴田対策に築城した山崎城から大坂城へと移転する時期で忙しいかなと思ったけど、快く会ってくれた。天下人の器は大きいと感心しつつ、まだ建築途中の大坂城へと僕は向かった。
妊娠しているお吟のことが心配だったが、安定期に入っていて「私は大丈夫ですよ、お前さま」と逆に勇気をもらった。やはり強い人だ。
「羽柴さま。こたびの勝ち戦、おめでとうございます」
「苦しゅうない。面を上げい」
大坂城である程度完成した一室で僕と秀吉は対面していた。
顔を上げると贅沢に着飾った秀吉が上座に座っていた。あまり良い趣味とは言えない格好だ。
近くには小姓のほかに清洲城で出会った佐吉という武士もいた。確か、関ヶ原の戦いを起こした石田三成その人らしい。
「柴田を倒し滝川を降伏させた今、わしに敵う者は織田家家中にはおらん。ようやっと天下統一に向けて走り出せるわい」
「それは何よりでございます」
「藤田次郎よ。おぬしの数寄の力を頼りにしているぞ」
数寄の『力』か⋯⋯それに引っかかっても仕方がない。
僕は真の礼を取って「お任せください」と言う。
一通りの挨拶が済んだのを見計らって「それでは藤田殿。例の品を」と石田殿が促した。
「はい。こちら『日輪』と『水滴』でございます」
僕の目の前に置かれた桐の箱二つを小姓は秀吉に運んでいく。
中を見た秀吉は「ほう。これは素晴らしい」と唸った。
赤茶碗と青磁瓢箪茶入には長らく銘がなかった。
献上するにあって長五郎と相談して名付けたのだ。
「この『日輪』を手にすると、本当にあれを手に入れた気がするのう。そして『水滴』は我が馬印によう似ておる」
しげしげと手に取って秀吉は感心する。
不興を買わずに済んで良かったと安心した。
「殿下。良きものでありますが、銘がいささか不遜かと」
水を差された――石田殿が渋い顔で苦言を呈してきた。
「どうした佐吉。実に味わい深い名前ではないか」
「その『水滴』はともかく、たかが茶碗に『日輪』の名を冠するなどおこがましいとは思いませんか。ましてや殿下への献上品でございます。日輪のごとき殿下に対して、当てつけに思えます」
たかが茶碗⋯⋯?
その言葉は聞き捨てならなかった。
「石田殿。それは言葉が過ぎませんか」
「武人ではない、元は市井の者が付けるに相応しくないと殿下に申し上げているのだ」
なんて嫌な奴なんだろう。
反論しようと試みる――
「これ佐吉。数寄心を理解できぬと諸大名は従えられぬぞ」
先を制するように秀吉が言う。
困った顔で笑って、石田殿を諭そうとする。
「物には相応しい名がある。この『日輪』はまさしくそれよ。赤く華やかな美しさは唯一無二だ」
「しかし殿下――」
「わしは不遜とは思わん。それで良いではないか」
そこまで言われては立つ瀬がないのだろう。
石田殿は「ご無礼いたしました」と秀吉に頭を下げた。
溜飲は下がらないが⋯⋯噛みついても無駄だしなあ。
「そうだ。この茶碗と茶入で茶を点ててみてくれぬか?」
思いもよらない秀吉からの申し出に戸惑いつつも「かしこまりました」と即座に受ける。
「羽柴さまと⋯⋯石田殿に一服差し上げればよろしいのですか?」
「それともう一人招きたい者がいる」
秀吉は猿のようにかっかっかと笑う。
愉快で仕方がないみたいだ。
今焼とはいえ、良きものが手に入ったからか、その招きたい者のことを考えているのか。
「黒田官兵衛孝高。稀代の軍師は茶の湯に疎くてな。是非おぬしの力で魅力を分からせてやってほしい」
◆◇◆◇
大坂城と言えば黄金の茶室が有名だが、まだ作られていない。
しかし茶室はあるようだ。しかも宗匠が作らせたという。だとすれば弟子として恥ずかしくないようなお点前をせねばならない。
黒田殿は足を悪くしているので、躙口を通るときはかなり苦労した。音を立てて閉じれたものの、今度は正座ができなかった。なんとか座ろうとするのを「楽な姿勢で大丈夫ですよ」と声をかけた。
「すまぬ⋯⋯しかしどうも茶室は狭くてならん」
にこりともせずに言う黒田殿。眼光鋭く口元に大きなほくろ、頭に頭巾を被っている。杖を突かないと歩けないようだ。
実は黒田殿のことは前々から知っていた。
荒木摂津守が謀叛を起こしたとき、説得に行って捕まり幽閉されてしまった。そのとき人質の息子が殺されそうになったが、偽物の首を用意して難を逃れたと源五郎さまに聞いていた。
秀吉の勢力がここまで大きくなったのは黒田殿のおかげとも聞いている。なんにせよ、見た目どおりの切れ者なんだろうな。
「官兵衛。茶室というのは良きものだ。それを今日、教えてやろう」
「茶の湯と聞くと道糞殿を思い出しますな」
道糞……荒木摂津守がそのように名前を変えた。
一族郎党皆殺しになっても生き延びた自分を卑下したものだと伝わっている。
「それゆえ好まぬのか? もったいないぞ」
「脇差を持たないまま、服毒の可能性のある茶を飲む。どこを好むと言うのですか?」
「確かにな。だがそれらの危険性を上回るほどの利益があるとすればどうだ?」
黒田殿は「是非ご教授願いたいですな」とそっぽを向く。
天下人に近しい主君に対し、ふてぶてしい態度だった。
忠誠心の厚い石田殿を見るが、平然としている。慣れているのだろう。
「では一服差し上げます」
作法に則り茶を点てる。
茶杓は珠徳のもので『水滴』から抹茶を取り出すのに合っている。
そして『日輪』に入れてお湯を注ぐ――しゃかしゃかと音が心地よい。
「――どうぞ」
秀吉の前に出すと、いつもの軽薄な態度と異なり見事な作法で飲む。
黒田殿は普段飲み慣れていないせいか、どこかぎこちない。
最後の石田殿は間違っていないが何の感動もない作法だった。
「やはり赤茶碗は華やかで良い……上様で飲んだ日を思い出す」
感じ入っている秀吉に「私には理解できません」と黒田殿が憮然とした顔になる。
「たかが茶を飲むのに何故無駄に時間をかけるのか。その時間があれば戦の準備や民への政を考えられます。それに殿下は華やかで良いと言いましたが、素人の目でもいびつで無骨な出来だと思います」
解さないというよりほとんど嫌っているな。
秀吉が僕を試すような目で見ている。
仕方ないか。
「黒田殿。お言葉を返すようですが、よろしいでしょうか」
「いいだろう」
「躙口を閉める際、音を立てていらっしゃいましたね」
「無作法とでも言うのか?」
「いいえ。それこそが作法にございます。音を立てることで客が来たことを亭主、つまりもてなす者に知らせるのです。知らず知らず、黒田殿は作法に則っておりました」
「つまり、何が言いたい?」
「無駄な行為が作法となる。面白き趣向にございませんか?」
黒田殿は「無駄を楽しめと申すか?」と神妙な顔で言う。
「心の余裕を取り戻すのに有効でございます。戦や政をより良く考えるためには神経をすり減らすのではなく、むしろ弛緩した状態を保つのが肝要でしょう」
「だが実際は作法に気を取られて緊張をしているぞ」
「稽古を重ねれば緊張は安らぎます」
「その稽古が無駄だと言っているのだ」
「では何故、無駄な稽古を――羽柴さまを含めたやんごとなき方がおやりになられるのでしょうか」
意地悪な返しだったけど、頑なな黒田殿にはちょうどいいだろう。
現に黙り込んでしまった。
「黒田殿は茶の湯のすべてを知りません。表面的な感想しか持たないのでしょう。分かりやすくたとえるのなら、兵法書の題名を読んで本質を理解したと言っているようなものです。茶の湯を学んでいけばその有用性がお分かりになるでしょう」




