第三十三席 道は人が歩むからこそできる
「ふむ。それゆえに大徳寺へと訪ねてきたのか。千宗易殿も熱心じゃが、おぬしも相当じゃ」
「あはは。熱心とは控えめですね。もっとはっきり言ってくれても構いませんよ」
「ま、敬意を表してそのぐらいにしておこうかの」
茶目っ気たっぷりに言う古渓宗陳さまに、大徳寺の住職を務める高僧は度量が深いと感心した。
これもまた修行の成果なのだろう。僕がその域に達するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「では一つ。問答をやろうかの」
「公案ですか?」
「僧でもないおぬしには出さん。ただのお話じゃよ」
軽い感じに聞こえるけれど、高僧との問答だ。生半可な気持ちで臨むのは相手に対しても失礼である。
「では問おう――おぬしは数寄の天下を取って何とする?」
「⋯⋯取れるかどうか分からないので、今は考えられません」
「弱気じゃの。あくまでもこれは想像に過ぎん。思うがまま答えよ」
問答というより面接みたいだな。
僕はしばらく考えて「もっと茶の湯に耽溺したいですね」と明智さんを思い出して答えた。
「毎日思い煩うことなく、来客をもてなして過ごす。たまに茶器や茶道具を作ってみたりして⋯⋯そうなれば極楽ですよ」
「それは今の地位でもできるのではないかの? それだけ羽柴の同朋衆は重職じゃ」
「その代わり、羽柴さまの思うがままに生きなければなりません⋯⋯」
すなわち茶の湯を政治の道具にされるということだ。
ある程度は仕方ないが、どうも性に合わない。これは現代の人間だった僕の感性だろう。茶の湯と政治は切り離すべきと根底にあるのだ。
けれども戦国時代では当たり前のことだ。不遜な言い方だが、茶の湯がまだ『文化』ではなく『流行』だからこそ起こり得ることなのだろう。
「そうですね⋯⋯僕は茶の湯を一つの道として確立したいのかもしれません」
「ほう。面白いことを言う」
「政治を超えた文化であり、流行を超えた流派であり、それらを超えた道――茶道を作りたい」
原点回帰とか大層なことは考えていないけど、ようやく僕が目指す境地が見出だせた気がする。
数寄の天下を取ることは新しい価値観、いや常識を生み出す。当たり前にあるものを生み出すのだ。
「藤田殿。おぬしの目標が定まったところじゃが、わしには一つ疑問がある」
「なんでしょうか?」
「道を作るのは良い。しかし誰がその道を歩めるのだ?」
ハッとして古渓宗陳さまを見つめ返す。
「おぬしが提唱する茶道は確かに崇高なものだろう。それゆえに足踏みする者が増えると考えられる。いかがか?」
現代でも同じことが言えた。
茶道は高尚で敷居が高い。中高と部員集めが難航していた記憶がある。
「道は人が歩むからこそできるのだ」
古渓宗陳さまはそう言って立ち上がりふすまを開けた。外の空気が一気に入ってくる。火照った身体が冷やされるが、思考は目まぐるしく回転していた。
茶道を広めるには誰もが志せる土壌がなければならない。ならば僕が目指すことはひたすら人々を導かなければならない。弟子を多く取る必要がある。
「古渓宗陳さま、教えてください」
僕は真の礼を取った。
敬意を表して教えを請う。
「僕は茶の湯に禅宗の教え――いえ『禅の心』を取り入れたいのです」
「禅の心とはなんじゃ?」
「心穏やかに、それでいて幽玄な心地を客人に味あわせたい。つまり、禅の心とは悟りの境地の体験です」
ずうずうしい話だと自分でも思う。
禅宗の修行もやらずに本質だけを盗もうとしているのだ。恥知らずもいいところだ。
だけど恥を恐れて前に進まないことのほうが恥ずかしい。
「禅の心は美しい所作や相手への思いやりで生み出せると思うのです⋯⋯甘い考えでしょうか?」
「熟れた果実のように甘い考えじゃな。それでいて青臭くも感じる⋯⋯じゃが嫌いではないぞ」
古渓宗陳さま笑みを絶やさずに「おぬしに協力しようかの」と承諾してくれた。
戸惑いつつ「よろしいのですか?」と僕は訊ねてしまう。
「もちろんじゃよ。おぬしの説く茶道の原点が禅宗にあるとすれば、御仏に縋る者も増えよう。こちらにも利があるのだ」
「あ、ありがとうございます!」
「良い。あ、そうじゃな。話していたら喉が渇いてしまったわい」
古渓宗陳さまが「おぬしの茶の湯のお点前見せてくれ」と鷹揚に笑った。
「茶人として何が足りぬか見定めてやろう」
◆◇◆◇
大徳寺での修行が一通り終わり、帰路を辿る。やはり禅の心は茶の湯と相性が良かった。
一方で僕の求める茶道を見つける手がかりにはならなかった。修行を受けてみて分かったが、深みのある作法よりも軽やかな作法を望んでいるのかもしれない。それが具体的な形になるのは何年先になるんだろうか。
今の家は京の市中にあった。本来ならば秀吉の城で働くのだけれど、彼は柴田という武将との戦に備えていて忙しい。そのため宗匠の持つ屋敷に借りぐらししていた。
お吟と数人の使用人と共に暮らす毎日は穏やかなものだ。だから大徳寺を訪ねるという余裕が生まれた。
「ただいま戻りました」
土産と日頃の感謝を込めた反物を手に帰ると「藤田さま、お帰りなさいませ」と侍女のおとみさんが出迎えてくれた。妙齢の女性でお吟が幼い頃から面倒を見てくれている。育ての親と言っても間違いない。
「あれ? お吟はどうしたんですか?」
「奥方さまは身体のお具合がよろしくないそうです」
そうなんだと思う反面、どうしておとみさんは笑顔なんだろうと不思議になる。
僕が訊ねようとすると「奥方さまに会ってください!」と元気よく言う。
「⋯⋯心配なので会いに行きますね」
何がなんだか分からないけど、おとみさんと一緒にお吟のいる部屋へ向かった。
ふすまを開けるとお吟は布団に横たわっていた。顔色が優れないので「大丈夫?」と声をかける。
「お前さま⋯⋯お知らせしたいことがあります」
起きようとしたので「そのままでいいよ」と枕元に近寄った。
もじもじしているので手を握ってあげた。
「いつもお優しいのですね⋯⋯」
「夫なのだから当然だよ」
「⋯⋯できました」
何ができたのか分からなかった。
疑問が頭の中いっぱいになる。
すると顔を真っ赤にして、お吟は笑顔で言う。
「赤子ができました。お前さまの子ですよ」
「⋯⋯えっ?」
驚きのあまり何も言葉が出なかった。
だけど少しずつ喜びが湧いてくる。
お吟を優しく抱きしめる。
「ありがとう。とても嬉しいよ」
「お前さまなら、そう言ってくれると思いました⋯⋯」
婚姻して何年も経っているから、できないものだと思っていた。
授かってくれた――心から愛おしいと思える。
「藤田さま! 奥方さま! おめでとうございます!」
おとみさんが祝福してくれる。
目から涙があふれる。
「ありがとう⋯⋯ありがとう⋯⋯!」
「お前さま⋯⋯元気な子を産みますからね」
具合が悪いというのに幸せそうな顔で微笑むお吟に僕は泣いて感謝した。
この瞬間だけは茶道具や茶器では表せない。僕とお吟の幸福は誰にも代えられない。
宗匠に知らせなければ――気づいた。
僕とお吟の子は宗匠の孫だ。
茶の湯を学べばどれだけの才を発揮するのだろう。想像がつかなかった。
もしも宗匠の才を引き継いだのなら、僕を超える。それは喜ばしいことだが⋯⋯。
「お前さま、どうかなさったのですか?」
きょとんとした顔でお吟は僕を見つめる。
不安にさせないように僕は笑顔を作った。
「初めてのことだから不安になっちゃって。ごめんごめん。気にしないでね」
「そうですか? ふふ、お前さまはお優しいのですね。私のことを心配してくださって」




