第三十一席 数寄の天下
「くっくっく。数寄の天下か。大きく出たものだな」
「なんだよじいさん。俺たちが取れないと思うのか?」
小馬鹿にされたと感じたのか、長五郎は口を尖らせた。
松雲さまは「いや。小さき野望よりも大言壮語を吐くほうが心地よい」と応じた。
「平凡に暮らすなどつまらぬものだ」
「ならば松永。今の暮らしは相当つまらぬものではないか?」
源五郎さまの返しを微笑んで受け止めてから「まあな」と松雲さまは認めてしまう。
「だが今の暮らしは藤田殿から与えられたものだ。無下にはできん」
「天下三悪事のお前が言うには白々しいぜ⋯⋯なあ松永、俺と組まないか?」
とんでもないことを言い出した。
松雲さまも意外だったらしく「どういう意味だ?」と訊き返す。
「織田家の天下は遠のいたが、まだまだ影響力はあるはずだ。その力を使って俺は数寄の天下を取ってやる。あの千宗易に渡すくらいよりマシだからな。そのためにはお前の頭脳が必要だ。大名ではなく悪人でもない、数寄者としての創意工夫だ」
かなりの評価をしているらしい。
松雲さまは真顔で「ご自身の実力で取ればいい」と言う。
暗に断ろうとしているみたいだ。
「もちろん俺も考えるさ。だがあの千宗易を倒すには俺以外の意見も必要となる。古今の茶の湯を知り数多の茶道具を見てきた松永弾正の手を借りたいんだよ。今ならまだ織田家に利用価値がある。どうだ?」
相手が松永弾正だと知ってなお誘うなんて、やはり源五郎さまはものが違う。
「悪いな。断らせてもらおう」
「何故だ?」
「わしがまだ大名で野心があれば乗っただろう。しかし今はただの隠居だ。数寄の天下は荷が重すぎるわい」
清々しさまで感じる潔い言葉だ。
「松永弾正は死んだ。今、ここで生きているのは松雲という隠居に過ぎない」
「⋯⋯なんだなんだ。牙が抜かれちまったのか? つまらねえ、ならこっちから願い下げだ。数寄の天下は俺の力で取ることにするぜ」
不貞腐れてしまった源五郎さまを横目で見つつ「話を戻します」と僕は続けた。
「羽柴さまに仕えるとして、どうやって仕官すればよいのでしょうか? 誰か渡りを付けられる人いますかね?」
「織田家のときに親しくしていた者はいないのか?」
松雲さまの問いに「一応、側近の堀久太郎さんと森乱丸さんと親しくしていましたが」と答える。
「二人とも本能寺にいたら死んでますよね……」
「待て。久太郎なら生きているはずだ。あいつは兄上より一足先に羽柴の援軍に向かった」
「源五郎さま、本当ですか?」
もしもそれが真実なら嬉しい。
ほっと一息つくと「ふん。久太郎だったら油断大敵って言いそうな顔しているぜ」と源五郎さまに鼻で笑われた。
「ま、久太郎から渡りをつけてもらうのはいいことだ。おそらく羽柴は目が回るほど忙しいに決まっている。なにせ天下人への階段を昇ろうとしてるんだから」
「まあ僕に構っていただけるほど暇はなさそうです」
なんとなく自分の進路を見つけられた――見計らったように「難しい話は終わった?」といつの間にか横になっていた長五郎が言う。そういえばずっと黙っていたな。
「にいさんが羽柴に仕えられたら、俺は茶器を作って売り込めばいいんだな」
「物分かりが良くて助かるよ」
「今のところは青磁瓢箪茶入と赤茶碗しかねえな。まずは茶入を見せたらどうだ?」
「赤茶碗は前に見せたしな⋯⋯うん、そうする。いろいろとありがとう」
それから本能寺で起こったことや明智さんとの会話を話したりした。二人の反応はまちまちだったけど、終始驚いていた。
「わしより先にあの男が死ぬとは思わなかった⋯⋯人間五十年とはよく言ったものだ」
感慨深く松雲さまが呟く。
長五郎は黙り込んで何かを思っていた。
「松雲さま。しばらく源五郎さまをここに泊めていただけませんか? 今微妙な立場ですし」
「いいだろう。宿泊代は出世払いでもいいぞ」
「そうかい。俺が数寄の天下を取ったら払ってやるよ」
「くっくっく。楽しみにしている」
話がまとまったので「僕はこれにて」と立ち上がる。
長五郎が「どこに行くんだ?」と首を傾げた。
「お吟が待っているから宗匠の屋敷に戻る」
「危なくないか? 明智って人はそいつに唆されたんだろ?」
「僕を殺しても意味はないよ。むしろお吟に恨まれるから損すると思う」
◆◇◆◇
「お待ちしておりました、藤田さま」
「⋯⋯流石に動揺しないのは予想できなかったですね」
宗匠の家に戻ると普通に迎えられた。
しかも子供が帰ってきたときみたいに玄関で待ってくれた。
それもまたおもてなしなのだろうか。
「宗匠を驚かせるのは難しいですね。思えば初めて会ったときもそうでした」
「そのようなことはありません。わたくしも動揺はします」
「本当かどうか⋯⋯ただいま戻りました」
宗匠に案内されて僕がここで暮らしていたときの自室に入る。
昔と同じように、あるいはそれ以上に清潔に保たれていた。
「藤田さまは今後、どのようになさいますか?」
明日の天気でも聞くような言い方だ。
僕は「羽柴さまに仕官しようと思います」と告げる。
「なるほど。では――わたくしの弟子のままでいるのですね」
「⋯⋯どうしてそんな話になるんですか?」
「そのほうが仕官しやすいと思いましてね。さらに言えば、藤田さまもまだそのつもりのようだと推測いたしました」
何故と訊く前に宗匠が答えを出した。
「わたくしのことを先ほど『宗匠』と呼びました。すなわちまだわたくしを師として認めていらっしゃるとのこと」
「――っ!」
「もしも違うのであれば、自惚れでしょうな」
宗匠の顔は勝ち誇ったりしていない。得意気にすらなっていない。ただ事実を淡々と述べていた。
それがまた敗北感を植え付けられる。
宗匠には勝てないと思わされてしまう――
「⋯⋯僕は宗匠を師と仰いだときより前から尊敬していました」
もう取り繕うのは限界だった。
宗匠に対する感情が爆発しそうで、それを防ぐには本音を吐露するしかなかった。
「だから今回の件は残念で仕方ありませんでした。宗匠がやったことは到底許すことなんてできません。だけど、それでも僕は宗匠を尊敬しているんです。この気持ちは苦しいって言葉以上に苦しいのです。どうしようもなく――苦しい」
「⋯⋯⋯⋯」
「いっそのこと、宗匠を憎めれば良かった。嫌悪し憎悪できれば良かった。だけどできない。茶の湯の大家にして茶道の創始者たる宗匠に悪感情なんて抱けない」
洪水のように吐き出された感情を、宗匠は黙って堰き止めた。
僕は泣いていた。
嫌悪で宗匠と対峙できない自分の弱さが嫌らしい。
憎悪で宗匠と対話できない自分の脆さが憎らしい。
何もかも自分が悪いのは承知の上だ。
「僕は未熟者です⋯⋯何が正しくて何が悪いのか、まるで分からない⋯⋯」
「⋯⋯藤田さま。それこそが何者かになる一歩なのです」
宗匠は逆に微笑んでいた。
僕の未熟さを愛おしいと思っている表情だった。
「己の道を表せたとき、あなたさまだけの茶の湯が出来上がるのです」
そして宗匠は深く頭を下げた。
「それをお忘れなきよう、精進なさいませ」
◆◇◆◇
それからしばらく経って。
手紙を送った堀久太郎さんに尾張国の清洲城に来るよう言われた。
なんでも織田家の後継者を決める会議が行なわれるらしい。
さっそく向かって清洲城の一室で久太郎さんを待っていると「おお。久しいなあ」とふすまが開いた。
秀吉だった。
「こ、これは羽柴さま。何故ここに?」
「このわしに仕官できるよう堀殿に手紙を送っただろう。ならばこちらのほうが話早い」
黄色を基調とした派手な衣装をまとった秀吉は大笑いして「結論から言うぞ」と切り出した。
「藤田殿ならば喜んで受け入れよう。上様と同じ同朋衆としてな」
「あ、ありがとうございます!」
「藤田殿の茶は一味違う。その辺を大名共に見せつけてやってくれ」
ぽんぽんと僕の肩を叩く秀吉はかなりの大物に見えた。
恐縮してしまう僕は何も言えずに頷いた。
「殿。お時間でございます」
ふすまが再び開くと、僕と同年代の男が時間を知らせた。
美形だが冷徹な感じを覚える。
「佐吉よ。お前は融通が利かぬのう。それに藤田殿にあの男を紹介しておらん」
秀吉は笑顔のまま「入ってきてくれ」と外の人を呼んだ。
「失礼します⋯⋯おお、この方がかの有名な藤田殿ですか」
入ってきたのは――武士だった。
背丈はさほどない。太っても痩せてもいない。ただ鋭い目と大きな鼻が印象に残る。
浅黒い肌の持ち主で――知性と野性味の両方を感じる。
一筋縄ではいかない何か大きなものを持っているみたいだ。
「紹介しよう。これが――」
満面の笑みで秀吉は男の名を呼んだ。
「――古田左介という男だ。なかなかの数寄者だぞ」




