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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第三席 茶室は世界

「ありえない⋯⋯四百年以上の時を遡るなど⋯⋯」


 千宗易さんの屋敷の中で、僕は山上さんに事情を説明した。だけど思ったとおり信じてもらえなかった。当然の反応だなあと思って「もしも自分のことではなかったら、同じく理解できないでしょう」と応じた。


「というより、夢だと思いたいです。でも現実として僕はここにいる」

「その服の造りを見れば現の物ではなさそうだ。それは認めるが⋯⋯いくらなんでも荒唐無稽が過ぎるぞ」


 なかなか信じてもらえないのを見かねたのか、山上さんの隣に座っていた千宗易さんが「宗二、わたくしはこう思うのだ」と口を開く。


「藤田さまは人為的ではない、不可思議な力で時を遡ってきた。信じがたいことだが、まずは飲み込んでこれからのことを考えるべきだ」

「これからのことですか? 宗匠はいったい何をお考えで?」

「有望な茶人と茶の湯の真髄を極める⋯⋯それを望まない者はいないだろう」


 伝説の茶人にそこまで評価されるのは茶道部員としては破格の名誉だ。

 舞い上がるのを頑張って抑えるけど口元が緩んでしまう。

 一方、山上さんは「なるほど……」と納得する。それほど二人にとって茶の湯は大切なものなんだろう。


「嬉しいお言葉ですが、有望な茶人と言っても、僕は六年間しか勉強していないんです」

「そうでしょうか。実は松井さまに茶を振る舞うところを覗いておりました」

「ええ!? 本当ですか!?」


 心臓が飛び出るくらいに驚いた。

 茶道の神さまみたいな人にお点前を見られていたなんて、もしも知っていたら緊張で何もできなかった……。


「わたくしたちと作法が異なりますが、とてもお上手にできていたと思います」

「千宗易さんに褒められるなんて⋯⋯それに僕の先生が聞いていたら喜びます」

「藤田さまの師は、あなたさまにとても丁寧に教えていらっしゃったと感じ入りますね」


 皆川先生が聞いたら狂喜乱舞するような言葉だった。

 あの人は千利休に憧れて茶道を始めたから。


「ありがとうございます!」

「私も未来のお作法を見てみたいですな。今の茶の湯とどう異なるのか、興味がございます」


 山上さんも目を輝かせて期待している。

 すると千宗易さんが「藤田さま、お食事はまだでございましょう」と指摘した。

 そういえば、昨日から何も口にしていない。


「よろしければ一服差し上げましょう」

「ほ、本当ですか!?」


 伝説の茶人のお点前を披露していただけるなんてそれこそ夢のようだ!


「ではしばしお待ちください。宗二、その間に藤田さまにお召し物を。流石にこの格好のままでは目立つでしょう」

「分かりました。藤田殿、こちらへどうぞ」


 山上さんに連れられて一度部屋の奥へ向かう。

 年に何回か和服になる機会があったので着かたはなんとなく分かる。

 問題はふんどしだった。恥ずかしながら付け方を山上さんに訊いてしまった。


「なんと。ふんどしはもう無くなっているのか。四百年とは遠き年月なのだな」

「そうですね、今はもっと楽になっています……そんなにまじまじとパンツ見ないでください」


 全体的に濃い青色を基調とした和服を着て、改めて戦国時代にやってきたと実感する。

 山上さんと一緒に屋敷の庭に作った茶室に向かう。形が見事な(つくばい)で手と口を清めると「なかなか手慣れているな」と褒めてくれた。茶道会館に連れてきてくれてありがとう、皆川先生。


「おお、凄い! 躙口にじりぐちだ!」


 いろいろ緊張しているけど、戦国時代の茶室を見られるのは茶道部員として興奮してしまう!

 躙口は茶室の入り口でかがまないと入れないほど狭い。それゆえ一度頭を下げなければならないことから身分が関係ない平等性を表している。茶道会館でも見たことがあるし入ったこともあるけど、建てて間もないと分かるのに歴史を感じさせるという矛盾がある――実に味わい深い!


「未来の茶室にはないのか?」

「ありますよ! でも本物と言うか本場と言うか……とにかく凄いです!」

「そんなに興奮しては一座建立を成せん。少し落ち着いたらどうだ?」


 山上さんのおっしゃるとおりだった。

 深呼吸を何度も繰り返して、少しばかり落ち着いてから茶室に入った。

 躙口に手をかけたときは嬉しさのあまりにやけてしまった――


「な、な、なんだ、ここ。凄い。いや、凄まじい」


 二畳しかない部屋。

 それなのに視線が定まらない。

 掛け軸や生け花、天井や畳がどこまでも続いている感覚。

 狭いはずなのに、何故か果てしなく大きく広く思える。

 僕は今まで四畳半の茶室しか入ったことはなかった。

 だけど、この茶室は世界そのものだ。

 そして今、僕は、茶道の中心にいる。


「どうぞ藤田さま。こちらをお召し上がりください」


 一汁三菜の質素な和食。

 はっきり言って現代の食事よりも味が薄い。

 だけど美味い。僕の今の体調や心境を慮って作られたと分かる。

 ゆっくりと食べていると涙が出てきた。


「…………」

「すみません。お見苦しいところを……」


 千宗易さんは「藤田さまは長い旅をなされたのです」と小さいけど、狭い茶室によく響く声で話し出す。


「四百年を一気に遡ったのです。何か思うこともあるのでしょう」


 暖かい食事に安心したとか、腹が満たされたおかげで一息ついたとか。

 いろんな理由はあるけれど、一番の理由は千宗易さんの懐の広さだ。

 僕をもてなそうと心を尽くしている。それがよく分かる料理だった。


「お茶の用意を行ないます」


 余計なことを言わずに淡々と進行する千宗易さんに感謝しつつ、僕は一度茶室を出た。

 これから千宗易さんの茶をいただく。

 茶道部員として身が引き締まる。

 今だけは緊張などするな。興奮もしてはならない。

 穏やかな心でもてなしを受けるんだ。


 再び茶室に入る――若干の動揺と多大な安心感が生まれた。

 全てを許してくれるかのような、澄み切った空気が僕を包む。

 その正体が何なのかは理解できない。


 千宗易さんを見る。

 優しい顔つきで茶を点てていた。

 濃茶ではなく薄茶だった。

 食事を終えたとはいえ、弱り切った僕の身を考えての薄茶だ。


 写真で見たことがある、井戸茶碗を目の前に置かれる。

 作法を気にしつつ、ゆっくりと飲み干す。

 感じたのは、千宗易さんに対する感謝だった。


 清らかさえ思える苦味にすっきりとした後味。そう言ってしまえば陳腐に思えるけど、僕との一座建立を目指してくれたと思わせるもてなしが――心に、魂に響く。


「――素晴らしいお点前でした」


 口に出したのは素直な感想。

 それ以外は不要に思える削いだ感想だった。


「ありがとうございます。藤田さまも心を開いてくださり嬉しく思います」

「千宗易さん。不躾ながらお願いがございます」


 右手と左手の指同士をくっつけて畳に置き、背と頭が丸まらないようにしてお辞儀をした。

 茶道でいう『真の礼』である。


「どうか弟子にしていただけませんか」


 断られたらどうしようとは思わなかった。


「あなたのもとで茶の湯を極めたいんです」


 飾らない心のうちだった。


「どうか、どうかお認めになってください」


 それから十分、あるいは十秒か。僕には判断できない時間が流れた。


「綺麗な礼でございますね」


 千宗易さんもまた同じようにお辞儀をした。


「こちらこそ、よろしく申し上げます」


 身体中に歓喜の音色が響き渡る。

 それが心臓の鼓動だと気づくのに数秒がかかった。


「ありがとうございます……!」

「礼を申し上げるのはわたくしのほうでございます」


 千宗易さんは微笑みながら「あなたさまは嘘偽りのない心でもてなしを受けてくださった」と言う。


「ありのままで受け止めてくださった。その素直さこそ素晴らしいのです」

「千宗易さん……過分なお言葉でございます」

「これから茶の湯と侘び数寄を極めていきましょう」


 かなりの満足感で外に出ると山上さんが待っていた。

 顔つきがかなり険しい。

 千宗易さんが「どうした宗二」と短く訊ねる。


「使者の方が参られまして、宗匠に茶を点てていただきたいと」

「ほう。どなたかな?」


 山上さんは「あまり歓迎したくないお方です」と苦い顔になった。

 そんなに嫌がる人って誰だろう?


「松永弾正さまでございます。本願寺攻めの前に茶を所望されています」

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