第二十九席 真相
宗匠に従うまま、僕と源五郎さまは茶室へと向かう。茶の湯の修行の際のワクワクした気持ちはない。ただひたすらに居心地が悪かった。
これで一座建立ができるとは思えない。
宗匠は何を企んでいるのだろうか。
「どうぞお座りください」
茶室は四畳半で既に茶釜にはお湯が用意されていた。各々席に着くと「千宗易。お前に訊きたいことがある」と開口一番に源五郎さまが言い出す。
「明智から聞いたぞ。お前に唆されたと」
「何をですかな?」
「とぼけるなよ。兄上を本能寺で討った件だ」
宗匠は顔色一つ変えずに柄杓でお湯を茶碗に注ぐ。
今焼の黒茶碗――宗匠が好んだ、侘び数寄の極致。
黒茶碗が温まったところでお湯を捨て、帛紗で清めた後に抹茶を入れて点てていく。
その動きに微塵の淀みもない。
「明智さまがおっしゃったことを信じるのですか? 織田さまを討った方⋯⋯なんですよ?」
「ああ、信じるね。女を見る目しかない俺だが、信用に値すると思えた」
「藤田さまはどうですか?」
話題を振られた――僕は「源五郎さまと同じ意見です」と宗匠が明智さんを唆したことを肯定した。
「あのとき、明智さまは苦しんでいました。とても嘘をつくような心境ではなかった」
「……左様ですか」
「宗匠、教えてください。どうして明智さまを――」
言い終わる前に茶碗が源五郎さまの膝元に置かれた。
茶が点てたのだ。しばらく源五郎さまはじっと見つめて「毒など入っていないだろうな」と警戒する。
「そう思われるのならば、そのままで結構です」
「⋯⋯⋯⋯」
「源五郎さま。僕が先に飲みましょうか」
なんとなくだけど、毒は入っていない気がする。
すると源五郎さまは茶碗を受け取ってゆっくりと飲んだ。
そして作法どおりに僕へ渡す。
僕は迷うことなく茶を飲んだ。
うん、美味しい。こんな状況でもそう感じてしまった。
「御ふた方はとても度胸がありますね」
「度胸とは違うな。俺はともかく藤田は殺さないだろうとあたりをつけただけだ」
「僕は宗匠を信じていました。茶室を汚すことなどしないと」
宗匠はそこで穏やかな笑みを浮かべた。
まるで聖人か仏のようだった――明智さんのことがあったのに、どうしてそう感じてしまうのだろうか。
「なあ千宗易。いい加減種明かししてくれないか。お前はどうやって明智を唆したんだ? いくら考えても思いつかなかった」
降参と言わんばかりに源五郎さまは手を上げた。
その飾らない素直な言い方に宗匠は吹き出してしまった。
「ふふふ⋯⋯ひねくれ者と聞いていましたが、案外真面目な方ですね」
「うるせえなあ」
「いいでしょう。お答えいたします」
宗匠は天気の話をするかのような、気軽な雰囲気のまま話し始めようとする。
僕はまだ覚悟を決めていなかった――
「明智さまは織田さまから内々に命じられていました――とあるお方を殺すようにと」
「もったいぶった物言いだな」
「失礼いたしました。その方は――徳川さまでございます」
「――っ!?」
とんでもない事実に叫びそうになるのをなんとか堪える。
源五郎さまは怪訝な顔になって「意味が分からないぞ?」と言う。
「なんで今更徳川を殺すんだ?」
「源五郎さまなら思い当たる節があるのでは?」
「⋯⋯父祖の代に争っていたからか? 尾張国と領地が近いからか?」
「あるいは強大だった武田家が滅んで用済みになった⋯⋯とも考えられます」
おそらく僕の顔は真っ青になっているだろう。
他人を助けるために自らを犠牲にするなんて、そんなのいい人過ぎる。
「しかし徳川を救うために謀叛を起こすか? そこまで仲が良かったとは思えない」
源五郎さまのおっしゃるとおりだ。
いくら懇意していても裏切るなんて考えにくい。
それに失敗するって僕が伝えたじゃないか――
「徳川さまのためではございませぬ」
宗匠ははっきりとした口調で否定した。
そして僕を見た――どうして?
「あなたのためなのですよ――藤田さま」
⋯⋯意味が分からない。
「そもそも、徳川さまをどうやって殺すのか。それは――京と堺の道中で襲う予定だったのです」
「⋯⋯嘘、ですよね?」
じゃあ僕のためなのは。
「嘘ではありません。織田さまはあなた諸共徳川さまを殺すおつもりでした」
宗匠は偽らない心で真相を打ち明けた。
このときばかりは偽ってほしかった。
「つまり、藤田を殺させないために明智は謀叛を起こしたのか? 訳が分からねえ、そこまでの恩義があるのか?」
「わたくしは存じ上げません。しかし藤田さまはそれほどまでに明智さまの信頼を得ていたのでしょうね」
信じられない⋯⋯だけど、明智さんは確かこう言っていた。
『言えぬ、と答えれば――藤田殿を苦しめなくて済むだろうな』
あれは宗匠に唆されたからではない。
僕のせいで謀叛を起こしたから――
「いまいち納得ができねえな。藤田は良き茶人だとは認めよう。しかし一族郎党を巻き込んでまで謀叛を起こすのは考えられない」
源五郎さまの声が遠くに聞こえる。
そうだ。もっと言ってほしい。
もっと否定してほしい。
「信じるかは源五郎さま次第です。しかしながら、わたくしが唆した方法はそれでございます。偽りのない事実です」
事実が史実に聞こえて、ああもう時計の針は戻らないと知った。
どうして僕は明智さんと親しくなってしまったのだろう。
僕を惜しむ気持ちがなければ――明智さんは今も生きていたのに。
それに信長も生きていた。本能寺で非業の死を遂げずに済んだ。
全部、僕のせいなのか!
「藤田、落ち着け」
そっと肩に手を置かれた。
源五郎さまだった。
僕のせいで兄が殺されたのに、恨みが目に宿ってない。
「いいか! お前のせいではない!」
力強く、柔らかく、僕の罪を洗い流すように、言ってくれた。
「この男に利用されただけだ! 薄汚い陰謀の理由にされただけだ! だからお前が責任を感じることはない! 俺は! お前が悪いとは! まったく思わねえぞ!」
その言葉に幾分か救われた心地だった。
けれども冷たい感情が自分を支配しているのも覚えていた。
宗匠の明かした真相が釘のように突き刺さった。抜こうにも痛みが伴うと思えた。そうしているうちに流れる血潮が善悪を超えたものを生み出そうとしてきた。
それは純真な悲哀であり憎悪であり――諦念だった。
何者でもない自分の至らなさがこの苦痛を生んでいた。
もしもただの茶道部員でなければ、もっと多くの人を救えたのかもしれない。
そんな悲哀と憎悪と諦念が血液のように身体中を駆け巡る。
「おい! どうした藤田!」
――意識が薄れていく。
◆◇◆◇
気がついたら布団の上だった。
どうやら貧血を起こしてしまったようだ。
起きようとするが力が入らない。
「⋯⋯誰か」
「おう。起きたか、藤田のにいさん」
枕元にいたのは、長五郎だった。
いつになくしんみりとした表情で僕を眺めていた。
「なんで、ここに?」
「松雲のじいさんに会いに来たら、とんでもないことが起きてよ。しばらく厄介になってた。そんでにいさんが帰って来てるって知ってここにいる」
僕はゆっくりと上体を起こした。
長五郎が支えてくれた。
「もうしばらくじっとしてろよ。多分、過労なんだろ? いろんなことが起きたからな」
「なあ長五郎。僕さ、つくづく嫌になったよ」
止せばいいのに、いつの間にか僕は弱音を話し始めていた。
「戦場で活躍する武将でなければ、一国を支配する大名でもない。富を蓄えた商人でもない。何の力も持たない、ただの半端者⋯⋯それが僕の正体だよ」
「どうしたどうした? いつになく悲観的じゃねえか」
「上手くいくと思ってた。全部上手くいって幸せになれると思ってた。だけどそれは全部まやかしだったんだ――もう僕は駄目なんだよ!」
最後は怒鳴って布団を叩いた。
長五郎の反応は見なかった。
「日の本をひっくり返すって約束したけど、破ることになる。僕はどうしようもない男だよ――」
「いい加減にしろよ」
長五郎は僕の胸元を掴んで「俺はそのどうしようもない男に賭けたんだ」と無理やり目を合わせてきた。
「そして、その賭けは勝った。後は賭け金をちょうだいするだけだ。それなのに、腑抜けてるんじゃねえよ!」
「何を言っているんだ⋯⋯僕が何に勝ったっていうんだよ」
長五郎は乱暴に手を放してから「これを見ろ」と桐の箱を取り出した。
僕の手に握らせる。
長五郎の手はゴツゴツしていて職人そのものだった。
大切に封された桐の箱を開けてみる。
そこには――世界があった。
青が静けさと、茶釜から滴った蒸気のような烈しさを表現している。
それでいて瓢箪の形がぽちょんとした音を立てそうだ。
加えて絵付けもしている。ひっそりと美しさを表している藤の花だ。
ああ、やっと会えた。
僕の理想の茶器――青磁瓢箪茶入。
「すげえだろ。俺とにいさんが作ったんだよ」
「長五郎⋯⋯」
「こんなもん作っちまったんだ。腑抜けてるんじゃねえ」
そうか。
僕は生きなくてはいけないんだ。
こういうものを作り続けなくちゃいけないんだ。
やっと、何者かになれた気分だった。




