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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一
正客 織田信長

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第二十八席 お茶の準備ができております

 あれから数日が経った。

 明智さんの兵が屋敷を囲っていたけど、いつの間にかいなくなっていた。

 すぐさま屋敷中を探し回って源五郎さまを見つけた。

 囲炉裏のそばで茶釜に火を入れて茶を飲んでいた。

 こんなときにのんきな……。


「源五郎さま! 明智さまの兵が――」

「いなくなったんだろう。知っているよ。どれ、お前も茶を飲むか?」


 落ち着き払って僕に座るように促してきた。

 そんな状況じゃないと言いたかったけど、茶席の誘いは断れない。

 若干の焦りを覚えつつ僕は対面に座った。

 ずいっと茶碗が置かれる――唐物珠光茶碗だ。


「こんな高価なもの、よく没収されませんでしたね」

「隠していたからな……いいから飲めよ」


 源五郎さまに勧められるまま、茶碗を取って飲む。

 清々しいほどの苦味が舌を喜ばす。

 うん、美味しい。


「さてと。これからどうするかな」

「源五郎さまは今の状況が分かっているんですか?」

「明智が負けたんだろ。それ以外兵が逃げ出す理由がない」


 機を見るのに敏いのは流石だった。

 そしてこれからどうするのかを考えている。

 慌てるだけの僕よりも事態を把握しているようだ。


「このまま京を脱しても匿ってくれるところがない。明智の残党も怖いしな」

「……良ければ堺に来ますか? あそこなら僕の知り合いで休ませてくれます」

「それは千宗易の屋敷か? だとしたら織田の俺は危ういぞ」


 明智さんが宗匠に唆されたと聞いているから当然の反応だ。

 僕は「宗匠とは関わりのない知り合いです」と告げる。


「多分、源五郎さまは驚かれると思いますが」

「兄上が殺されたこと以上にか? 大概のことでは動じねえよ」

「そうですか。なら行きましょう」


 早々に立ち上がると「待て。お前の考えを知りたい」と呼び止められた。

 険しい顔つきで源五郎さまはため息をつく。


「千宗易が今回の変事に関わっている。そのことについてお前どう思っているんだ?」

「……考えたくはないと言えば楽になります。しかし弟子としては見過ごせません」

「そうだろうな。だってお前、明智のことを敬っていただろう」


 そのとおり。僕は明智さんのことが好きだった。

 初めて会ったときに自分の茶道を認めてくれた。

 弥助のときも安土城の接待のときも、僕に任せてくれた。

 謀叛を起こした今でもその思いは変わらない。


「はっきり訊くぜ。お前は千宗易に会ったらどうするんだ? 殺すのか?」

「そんな物騒なこと、考えていません。もちろんやろうとも思いません」

「ふん。俺は事実だったら殺してやろうと思っているがな」


 戦国乱世に生まれた武士なら当然の発想だった。

 令和の高校生だった僕にはその覚悟はない。


「源五郎さま。一つ申し上げてもよろしいでしょうか?」

「なんだ改まって。言ってみろ」

「もしも明智さまを唆したのが宗匠でも、僕は何もできないと思います。恩義がありますし、何より妻の父親なんですから」

「甘い考えだな……いや、明智よりも関係が深いからか?」

「そうですね……でも僕はこうも思うんです」


 そのとき、目の端に珠光茶碗が写った。

 信長が愛した茶碗の一つだ。

 煌々と燃える炎を感じる。


「事実だったら、宗匠のことを許せなくなる」

「…………」

「怒りを覚えたまま、宗匠と接することになるんでしょうね」


 自分でも情けなくなるほど中途半端な対応だと思う。

 今まで受けた恩を思えば、宗匠を糾弾するべきだ。

 だけど偉大な宗匠に対してそんなことはできない。

 これ以上、大切な人を失いたくない。


「つまり、千宗易の弟子は辞めないのか?」

「ええまあ。そうせざるを得ません。一応義理の親子ですから」

「なら俺も千宗易の弟子になるか」


 とんでもないことを言い出したので、つい源五郎さまの顔をまじまじと見てしまう。

 不敵に笑って「勘違いするなよ」と言う。


「近くにいれば真相が分かるって思っただけだ。別にお前のことが心配だからってわけじゃない」

「……ありがとうございます」

「だから勘違いするなと言っておろうが」



◆◇◆◇



 屋敷の馬屋につながれていた馬二頭を拝借し、堺へ向かうことになった。

 信長が整備した京と堺の街道をひた走る。

 その間、僕たちには会話がなかった。

 いろいろと考えることが多かったからだ。


 まず源五郎さまの身の安全の確保。

 それからお吟との合流。

 最後にどう言い訳をするかだ。


 言い訳とは二つあって、一つは源五郎さまに松雲さまのことをどう伝えるかだった。

 あの松永久秀が生きていたとはまだ言えない。

 なんとか穏便になればいいのだけど。


 もう一つはお吟への謝り方だった。

 心配をかけてしまったのは事実だ。頭を下げるしかないのだけれど……怒られるのは怖いなあ。怒られるだけならいいんだけど、口も利いてくれなくなるくらい嫌われたらどうしよう。


「何を落ち込んでいるんだ、藤田。まさか嫁への言い訳を考えているのか?」


 気落ちしている内容を敏感に察知した源五郎さま。

 こういうところは鋭いなあ。違う意味で怖い。

 僕は「よく分かりますね」と応じた。


「妻にはもう帰ってこれないなんて言っちゃったものでして」

「ひたすら謝れ。それしか道はない」

「嫌われたらどうしようって思っちゃうんです」

「ははは。それなら安心しろ。お前の嫁はその程度でへそを曲げたりしねえよ」


 妙に確信づいた声で言うものだから「どうして分かるんですか?」と訊ねてしまった。

 源五郎さまはガキ大将みたいに笑った。


「俺は女を見る目には自信があるんだ。婚姻のときに見たときはいい女だって思ったぜ」

「そうですか……って、人の妻に色目使わないでください!」

「色目なんて使わねえよ! おっと、そろそろだな」


 堺に着いたのでさっそく中に入ると、人が騒然としていた。

 いつも賑わっているけど、行きかう人々は尋常じゃないほど興奮している。


「あの織田さまが明智に討たれたらしいぞ!」

「その明智も討たれたらしい……羽柴さまにだ!」

「ああ、これからどうなるんだ!?」


 困惑の声が聞こえてくる。

 源五郎さまは「あの羽柴が明智を討ったのか」と驚いていた。


「やる男だとは思っていたが……うん? そんなに驚いていないようだな?」

「驚いていますよ。それより身の安全を確保しないと」


 僕たちはとりあえず宗匠の屋敷に向かうことにした。

 松雲さまの屋敷に行くよりも事情を伝えないといけない。

 それに少しは休んだほうがいいと思ったからだ。


 何事なく辿り着いて、玄関から「ただいま戻りました!」と大声で人を呼ぶ。

 すると中から下男と女中がやってきた。

 僕の顔を見るなり「ああ! 藤田さま!」と驚きながらも出迎えてくれた。


「よくお戻りで……そちらの方は?」

「ええと、その」

「藤田の友人の源五郎と申す。まあ話は後だ。白湯でも飲ませてくれ。喉がからからだ」


 源五郎さまが催促したとき「お前さま!」と大きな声がした。

 お吟だった。蒼白な顔で僕を見つめている。


「お吟……帰ってきたよ」

「…………」


 お吟は僕に近づいて、大きく手を振りかざした――殴られる、と思ったけどそのまま手を下ろしてしまった。


「殴らない、のか?」

「思いました……だけど、駄目ですね、私は」


 ぽろぽろ、ぽろぽろと涙を流し始めるお吟。


「怒りよりも、嬉しさがまさってしまって、殴るなんて、できません……」


 お吟は顔を手で覆って泣き出してしまった。

 どうしたらいいんだろうかとうろたえていると、源五郎さまが咳払いして、抱きしめる仕草をした。

 ああもう、教えてもらうなんて情けないな!


「……ごめん」


 お吟を抱きしめる。

 ぶるぶると震える彼女に「もう二度と危険なことはしない」と言う。


「約束するよ」

「本当、ですね? 嘘言ったら、今度こそ、許さないですから」


 ああ。僕はもう一人じゃないんだなと感じ入る――


「藤田さま。ご無事でしたか」


 奥のほうから声がした。

 訊きたいことがあるけど、なるべく会いたくなかった人。

 尊敬と怒りが混ざって、心がざわめく。


「お前もここにいたのか」


 源五郎さまが珍しく動揺していた。


「ええ。わたくしの屋敷ですから」


 その人――宗匠の声は平静そのものだった。

 いつものように冷静そのものだった。

 本当に明智さんを唆して、信長を殺したとは思えない。


「……お前さま?」


 お吟が不思議そうな顔で僕を見つめる。

 顔が強張っているのだろう。

 当然だ。僕の知らない歴史が始まって、僕の知っている歴史が終わろうとしているんだから。


「まあいろいろとお疲れでしょう。御ふた方、どうぞ中へ」


 宗匠はにこやかな笑みを浮かべている。

 肩の荷が下りたような顔だった。

 もしくは大きな仕事を成し遂げた顔だった。


「お茶の準備ができております。一服差し上げたいと存じます」

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