第二十七席 雨音
陣中での茶の湯は初めてではない。
松雲さまのときもそうだった。
茶室で行なう作法とたいして変わらないが――明智さんの心を和ませる必要があった。
その点だとこの場は相応しくない。どうしても戦のことを考えてしまう。
ぽつりぽつりと小雨が降ってきた。
これではますます落ち着かなくなる――そうだ!
「甲冑をバラバラにして陣に置きましょう」
「……なんだと?」
源五郎さまが訝しげに呟く。
八角釜に火を入れている間に僕は明智さんに許可を取って、置かれていた甲冑を周りに置く。
その中央には赤い敷物を敷く。
それから高麗茶碗に抹茶を入れてお湯を注ぎ、茶を点てた。
ぽちゃん、ぷちゃん、ぽっとんちゃん。
甲冑に雨が当たり、面白い音を立てる。
茶室は荘厳なところで心穏やかに行なう。
つまりは静かな場所でやるものだ。
だけど今は違う。陣の外ではせわしなく人の走る音、話し声が鳴り響く。
だからこそ、音には音で対抗する。
そもそも茶の湯でも自然を楽しむ趣向がある。
風の音、葉擦れ、小鳥の鳴き声。
音も立派な茶の湯の一要素だ。
「これは……ずいぶんと面白き茶の湯だな」
明智さんは愉快でたまらないという顔で僕の前に座った。
「ああ。まったくだ。茶の湯の常識を覆しやがる」
その隣に源五郎さまがにやにや笑って座る。
いつの間にか刀を外していた。
「――どうぞ。一服差し上げます」
明智さんの前に茶碗を置く。
その茶碗にも雨が入るが――ぽちゃん、と綺麗な水音が響く。
甲冑もまた楽しげな音を立てる。まるで小さなオーケストラだ。
作法どおり飲んで、源五郎さまの前に置いた。
源五郎さまはためらいもなく飲む。
「結構なお点前であった……時に藤田殿。この趣向は今思いついたのか?」
「ええ。雨が降ったのを見て、騒がしく鳴る雨音を少しでも癒やしになればと思いまして」
「見事だ。八角釜も楽しげに笑っている⋯⋯」
熱した釜に雨が当たると、じゅ、じゅう、と跳ねた音がする。それもまた面白い。初めは雨が降るなんてと思ったが、これはこれで良き趣向になった。
「これで思い残すことはない……と言いたいが、まだ欲が出てきた」
「なんでしょうか?」
何でも聞くつもりだった。
明智さんは笑顔のまま「もっと数寄を堪能したい」と言う。
「こんなに楽しいことはない。己の創意工夫で客を楽しませる。そして己も味わえるのだ。一座建立が成せる感動を――」
「…………」
「できることなら全てを捨て、茶人となりたい」
松雲さまと同じ道を歩みたいのだろう。
だけど――それは難しい。
本能寺の変を起こした時点で、明智さんの運命は決まってしまった。
もはや未来は変えられない――
「明智よ。そいつは無理だ。お前はもう天下人への道を駆けのぼるしかねえんだ」
引導を渡したのは源五郎さまだった。
僕には言えないことを代弁してくれた。
「兄上を討ったときからすでに決まっているんだよ。それがなんだ。今更厭世にかぶれやがったのか? 冷静になれよ。そんなんじゃあ――織田家が報われねえ」
「ははは。手厳しいですな」
「当たり前だ。今のお前に厳しく当たれるのは俺ぐらいなもんだろ。違うか?」
明智さんは首を横に振って「違わないですな」と肯定した。
その姿は見てられないほど痛々しいものだった。
羽を折られた野鳥のように、食われるのを待つしかない。
そんな状況に思えるのは僕が末路を知っているからだろうか。
「なあ藤田。言ってやれよ。訊きたいことあんだろ」
唐突に水を向けられた――流石に源五郎さまは心得ている。
この瞬間に訊かなければ永遠に答えを見出せないだろう。
だから身体を震わせて、心を奮わせて――訊くんだ。
「どうして、謀叛を起こしたのですか?」
あの日、僕は相当の覚悟を持って明智さんに言ったはずだ。
本能寺の変を起こせば、必ず負けると。
裏を返せば、僕を信じてくれなかったから――
「言えぬ、と答えれば――藤田殿を苦しめなくて済むだろうな」
「……どういう意味でしょうか?」
「分かっている。そのような答えでは納得できぬのは分かっているのだ」
そのまま沈黙してしまう明智さんに「日向守。俺からも頼む」と源五郎さまが頭を下げた。
この人が頭を下げるのは信長以外ありえなかった――
「無理に知ろうとは思わなかったが、こんな素晴らしい場を作った藤田に報いる必要があるんだ。こうなったら俺も意地だ。答えるまで動かねえぞ」
「…………」
それでも明智さんは答えない――
「――明智ぃ! それでも男かぁ!」
怒鳴った源五郎さま――陣の中に武将が入ってくる。
腰の刀に手を置いて、周りを取り囲む。
ぴちゃんがびしゃびしゃに変わっていく。
せっかくの素晴らしい音が台無しだ。
「刀を抜くな。私は平気だ」
威厳を込めた明智さんの声。
普段の優しさが消え去った冷酷な声。
戸惑う武将に「二度は言わぬ」と言い放った。
「さっさと出て行けよ。一座建立がおじゃんになっちまうぜ」
こんな状況でも源五郎さまは強気だった。
武将たちは不承不承の素振りを見せながら出て行った。
「ここまで度胸を見せられたら――言わざるを得ませんね」
大きなため息を明智さんはついた。
僕は姿勢を正した。これからとんでもないことが起こる。その予感しかなかった。
「私が謀叛を起こした理由は――千宗易殿が関わっている」
……えっ?
「私はやらざるを得ない状況に陥ってしまったのだ」
意味がよく分からない。
理解が及ばない――
「千宗易だと? ただの茶人で商人にお前が唆されたのか? 意味が分からねえぞ?」
源五郎さまも混乱しているようだ。
もしかすると僕以上に――そんなことはどうでもいい。
「あ、明智さま。いったい――」
「喋り過ぎですよ、殿」
会話に割って入ってきたのは――斎藤さんだった。
険しい顔で僕たちに近づいて、源五郎さまに刀を向けた。
「な、なにを――」
「これ以上話したら斬ります」
斎藤さんのドスの利いた声に何も言えなくなる。
明智さんは「分かっている」と立ち上がった。
「すまない。もうこれ以上話すことはできない」
「明智さま! それでいいんですか!? このまま向かえば――死んじゃうんですよ!」
明智さんは後ろを向いて「もう行ってくれ」と吐き捨てた。
「私が後悔しないうちに、さっさと出て行ってくれ!」
子供が喧嘩に負けて泣き崩れているような声だった。
僕はどうしようもなく悔しかった。
明智さんにそんな声を出させてしまった。
どうしようもなく――自分が情けなかった。
信長に松雲さまを説得するように言われたとき以来の屈辱だった。
「藤田。行こう……」
源五郎さまが感情をこめずに言う。
同じ気持ちなんだろうな……。
「……明智さま。お世話になりました」
それだけ言って、僕たちは陣から出る。
斎藤さんの険しい顔と明智さんの後ろ姿が脳に刻まれた。
寂しいけれど、もう会うことはない。
「藤田。俺は明智が悪いのかまるで分からなくなった」
「…………」
「もう兄上と甥のかたきを討とうだなんて思えない」
僕の肩に源五郎さまは手を置いた。
「――泣くな。そして生きるんだ」
ああもう。本当に泣き虫だな。
顔を上げて空を見上げる。
涙と雨を入り混じらせて、誤魔化した。
それから僕たちは明智さんの兵に護送されて、京の屋敷に閉じ込められた。
だけど直に解放されるだろう。
明智さんは負けるからだ。
屋敷の中で布団を敷いてぐっすりと眠る。
もう何も考えたくないと思っても考えてしまう。
宗匠が関わっている。その真相が知りたかった。
寝ても覚めても、それしか考えられなかった。
ああ、つらい。




