第二十六席 一陣の風
斎藤さんに京から少し離れた本陣に連れてこられた。そこで明智さんが待っているという。
二条城ではなく陣中にいるのは、これから戦争が始まるのだろう。そうでなければ二条城に腰を据える。
そんなことを考えながら、本陣の幕を通ると――明智さんがいた。
「山崎の地で決戦となると厄介だな。あそこには油座がある⋯⋯おっと。参られたか」
いろいろと指示を飛ばしていたようだけど、僕と源五郎さまが入ってきたので一度中断するみたいだ。
ちなみに僕たちは縄を打たれていない。
源五郎さまにいたっては刀も取り上げられていなかった。それでも明智さんの周りには武将が数人いた。かかっても無駄だろう。
「そこに座ってくだされ」
「いや。俺は立っているよ」
「僕もです」
「⋯⋯ま、いいでしょう。お疲れになられたら使ってください」
さて。何から話せばいいのかと互いに悩んでいると「探り合いは嫌いだ」と源五郎さまが口火を切った。
「どうして謀叛を起こした? 何が不満だったんだ?」
「相変わらず臆さないのですね。凄い度胸だ」
「今はまな板の鯉同然だからな。いっそのこと開き直ってみたんだ。それより質問に答えろよ」
ほんのちょっぴり苛立ちを覚える源五郎さまに「あなたはご存じないのですか?」と明智さんは逆に問いかける。
「謀叛の理由か? 知るかよそんなこと」
「⋯⋯上様が唐入りをお考えになっていたことは知っているでしょう」
唐入り――つまり中国大陸に攻め込むことだ。
噂程度には聞いたことはあるが、真偽ははっきりとしなかった。
しかし織田家の家老だった明智さんならば、信長は話していただろう。
「まあな。天下を統一した後で海外に遠征する話は聞いていた。まさか、それがきっかけか?」
「日の本を統一する。その意義は分かりますが、いくらなんでも明や朝鮮まで攻めるのは本末転倒に思えます。たとえ家臣の領地の問題を解決するためとはいえ⋯⋯」
なんだろう。何か表面的過ぎる。
上っ面で話しているような感覚だ。
しかし口を挟むことはしない。明智さんの言葉を待った。
「あなた方織田家だけで日の本の領地を独占し、功労の家臣を海外に追いやる。その薄汚い考えに吐き気がしたんですよ」
「ずいぶんな言い方だ。いつもの礼節を弁えているお前にしてはひどいな」
「上様の前では大人しくしていましたからね。本性が出たと思ってください――」
そこまで話したとき、本陣の外から「ふざけるな⋯⋯ふざけるなあ!」と大声が響いた。
まるで地を這う蛇ですらとぐろを巻いてしまう迫力だった。
聞き覚えがある⋯⋯そう思っていると「殿。お騒がせして申し訳ございません」と斎藤さんが入ってきた。
「何事だ?」
「例の崑崙奴が騒いでいるのです。よほど織田家で可愛がられていたと存じます」
弥助か! 生きていたんだ!
喜びも束の間、斎藤さんが「どうしますか? 殺してしまいますか?」と物騒なことを言い出す。
明智さんは何故か僕を見て「やめておけ」と冷笑を浮かべた。
「崑崙奴は人にあらず。牛や馬と同じだ。手討ちする価値もなければ道理もない」
「ではいかがしますか?」
「縄で縛っておけ。それでも暴れるのなら鎖でもつないでおくんだ」
なんてひどいことを――普段のお優しい明智さんの言動とは思えない。
遠くで弥助が叫んでいた。
「許さない、絶対に許さないぞ! 明智日向守! 俺は必ずお前を殺す!」
怨嗟の声を聞いても明智さんは涼しげな顔を保っていた。
一部始終を見ていた源五郎さまは「そこまで落ちたか」と冷静に言い放った。
「お前は分別の分かる親切者だ。俺はそう思っていたし兄上もそう信じていたはずだ。もちろん、ここにいる藤田もそうだろう。だがそれはまやかしだったのか」
「何を言われても構いませんよ。私にはやらねばならぬことがありますゆえ」
「ふん。謀叛以外にも何か企んでいるのか?」
「もはやあなたの兄上の家臣ではないのに、答える義理はありますか?」
腕組みをして「いいや。ないな」と源五郎さまは飄々とした態度で応じる。
「しかし俺たちをこの場に呼んだのは何か理由があるのだろう。さっさと言え」
「あなたと藤田殿には利用価値がある。まずは安土城で収容した茶道具の価値を目利きしてほしいのです。我が家臣はそういうのに疎いのですよ」
源五郎さまは僕を一瞥して「了承すると思うのか?」と暗に断る姿勢を示した。
「藤田。お前はどう思う?」
「やりたくありませんね⋯⋯明智さま。僕からも質問よろしいでしょうか?」
「いいだろう。私に答えられるのならば」
僕は深呼吸して――自分が心から感じていることを問う。
「どうして、自分を偽っているんですか?」
「⋯⋯⋯⋯」
明智さんは答えなかった。
源五郎さまが何か言いたげだったけど、敢えて無視して続ける。
「明智さまらしくないです。繕った言い訳を重ねて、不出来な方便を述べて。まるで悪人を演じているみたいじゃないですか。見ていられないほど不格好ですよ」
非難しているからか、周りにいた武将たちが殺気立つ――構うものか。
僕は死ぬ気でここにいるんだ。
命を惜しんで言いたいことが言えないなら――死んでしまえ!
「この期に及んで誤魔化すつもりなら、僕はもう何もできません。だけど⋯⋯僕にできることがあればなんでもします。どうか明智さま、心を開いてください」
偽らない心。それこそが茶の湯における最大の敬意だ。宗匠に師事をし、鍛えてもらった。見栄や虚心を排除するだけじゃない、真心を伝えるための人間の価値ある対話だ。
「⋯⋯藤田殿。あなたはいつもそうだ。私の心をざわつかせる」
語る明智さんは無表情だった。
「しかし心地よい。雑木林を一陣の風が吹いて葉音を立てるように、耳心地の良い音が広がっていく。腹を割って話そうと思えるのだ」
「明智さま……」
「茶を点ててもらえないか」
明智さんが爽やかな声で言う。
憑き物が取れた――そう思ってしまえるほどだった。
「他の者は席を外してほしい」
武将や小姓は静かに立ち上がり、僕と源五郎さま、そして明智さんだけになった。
誰も異議を唱えなかった。僕はともかく、源五郎さまは刀を持っているのに。
「どういう『心変わり』があったんだ?」
皮肉たっぷりに源五郎さまは嘲笑った。
困惑しているけど、信長を殺した怒りが勝っているのだろう。
対して明智さんは「最後の茶を楽しみたいと思いまして」と苦笑した。
「生憎、紫陽花はないが……これを使ってくれ」
明智さんは奥のほうから桐の箱を持ってきた。
中を開けると茶釜が入っていて――
「これは……八角釜ですか?」
「そうだ。上様からいただいた名物である」
正式な名前は瀟湘八景図尾垂釜だ。釜の八面に景色が描かれている。
信長が明智さんに下賜したのは聞いたことがあった。
「これは吊るして使うものだが、生憎できぬからそのまま使ってくれ」
「ふん。兄上を殺したお前が今更それを使うのか?」
「手厳しいことを言いますな」
穏やかな顔つきを変えない明智さんに悲壮の覚悟を見出してしまった。
ああ、そうか。
この人は死ぬんだ。
死ぬことを前提に今を生きているんだ。
だから源五郎さまを殺さないし弥助を見逃したんだ。
もう諦めているから。
もうどうなってもいいから。
「藤田殿。何故に泣く?」
頬を涙が伝っている。
これで明智さんと会えなくなるのがつらく思えた。
「明智さま。最後の茶席を致します」
本能寺の変の理由を問い質そうと思っていた。
だけどこれほどの覚悟を見せられたら――明智さんが話すまで聞けなくなってしまった。
そんな野暮なことはできない。一人の武将が死に臨んでいるのだから。
「一座建立が成せるように、全身全霊をかけて行ないます」




