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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第二十一席 人か道具か

 弥助の本当の名はイサク、というらしい。

 モザンビークに生まれてごく普通に暮らしてきたのだが、ある日人攫いに攫われてしまったようだ。当時は十才で抵抗する力もなかった――以来、奴隷として生きてきた。


 宣教師ヴァリニャーノと出会ったのはインドで、流行り病に罹って死にかけたところを助けてもらったと言う。元の主人は病人の彼を捨てたと険しい顔で弥助は語った。それからはヴァリニャーノの下で荷物運びなどをしていた。いわゆる下男のような扱いだ。


「もう、くににはかえれない。だけどそれでいい」


 弥助はそう言うが強がりだと僕には分かった。

 遠い故郷――僕の場合は未来だ――を思えば帰れないことに絶望してしまう。だからこそ、強く心を持って考えないようにしているんだ。


「弥助⋯⋯君はどうしたい?」


 僕の問いに弥助は「だいだいのはなしはきいている」と伏し目がちに呟く。


「あのおとこ⋯⋯うえさまのものとなる」

「それでいいのかい?」

「もとから、えらべない」


 覚悟を決めている⋯⋯いや、それしかないって思い込んでいる。

 可哀想だと同情するのは簡単だ。

 だけど――それじゃあ駄目だ。


「とりあえず、ここでの暮らしに慣れないとな」


 僕は小姓に「箸を持ってきてくれ」と頼んだ。

 不思議そうな顔で小姓が持ってくると「いいかい。これは箸だ」と弥助に見せる。


「僕たちはこれでご飯を食べる。まず置き方はこうだ」


 カステラのお盆に箸を置くと「よこにおくのか?」と弥助は奇妙そうな顔になる。


「ほかのくに、たてにおいていた。それにナイフもたてにおく」

「箸を横に置くのは⋯⋯結界を作るためだ」


 茶道部の外部指導員、皆川先生の教えをそのまま伝える。


「自分と食べ物を箸を通じて結ぶんだ。結界、つまり世界を結ぶ。命をいただくことは残酷だけど必要なことだ。その渡りをつけるために箸を横にして敬意を払うんだ」

「⋯⋯⋯⋯」

「箸は橋に通じる⋯⋯まったくの偶然ではない。必然として名付けられているんだ」


 弥助はしばらく黙ってから「たべるためのどうぐ、だろう?」と話し出す。


「いみがあるのは、わかった。だけどオレにとってはどうでもいいことだ。たべられればいい。それにこんなふべんなものをつかわなくても、てでたべればいいじゃないか」

「そうだね。飢えた子供に説法しても飯を食わせろと喚き散らす。弥助を言ったことは真理を突いている。けどさ、礼儀作法を知れば――人が自分を見る目を変えられるんだ」


 得心の得ない顔になる弥助に「崑崙奴と呼ばれて恐れられているのは分かるかな?」とストレートな物言いをする。


「ああ。みんな、めをかくしていた」

「それは弥助のことを知らなかったからだ。見れば目が潰れるなんて噂もあった。そんなくだらない迷信をなくすには弥助が日本の風習を知る必要がある」


 相互理解を深めるにはまず自分から歩み寄らなければならない。


「日本の作法を学ぶ。それでようやく受け入れてくれる。他人が弥助に優しくしてくれる⋯⋯望むことだろう?」

「そうだな⋯⋯」

「だから箸の意味を知って、箸を使いこなす必要がある。弥助への橋渡しになってくれるから」


 僕は弥助に箸を渡した。

 しばらく手に持っていたけど、お盆に横に置いた。

 僕は頭を下げて「これからよろしくお願いします」と言う。

 弥助もまた慣れないまま僕と同じ姿勢になった。



◆◇◆◇



 弥助に日本の作法や風習を教える傍ら、僕は馬揃えに参加する準備を行なっていた。

 同朋衆も加わるのは事前に聞いていた。多忙になってしまったけど、弥助を一人にするのは忍びなかった。だって僕が未来から来て一人ぼっちだったのと一緒な気がしたから。僕が宗匠みたいに弥助を導いてあげないといけないと思ったから。


 それとキナ臭い噂も耳に入ってきた。

 当初は信長は弥助も馬揃えに参加させるつもりだったらしい。けれども公家たちの猛反対で取りやめになったようだ。

 そもそもどうして信長は弥助を参加させようとしたのか、また公家たちが反対したのか。その理由は朝廷に圧力をかけるためだった。

 見たら目が潰れるとの噂がある弥助を帝の前に出す。威圧的行動にほかならなかった。信長にしてみれば弥助は交渉の『道具』だ。つまりは人間扱いしていない。元を辿ればヴァリニャーノが信長に贈った贈答品の目録にも弥助の名があった。その時点で弥助は道具なのだ。


 人を物扱いするのは現代では許されない。

 だけど戦国時代では許容されていた。

 物悲しさを覚えてしまう。


 だから僕は弥助に日本語を教え、日本の作法や風習を教えた。

 同朋衆の中には信長のご機嫌を取ろうと『道具』に構っているのだろうと嫌味を言う者もいた。

 ふん。言いたい奴には言わせておけばいい。僕がやりたいからやっているだけだ。


 話を馬揃えに戻そう。

 同朋衆は己の裁量で参加時の衣装を作ることを許されていた。

 普通なら悩むところだけど僕はもう決めていた。


 そして当日。

 馬揃えは馬に乗る者と徒歩の者と分かれていた。僕は徒歩で信長の後ろを歩いていく。

 信長の格好は中国製の織物を贅沢に使い、首には梅の木を挿していた。なんとも見事なものだ。


「なんじゃあの従者⋯⋯見たことのない服着とるぞ」


 僕の姿を見てざわめく群衆の声が聞こえる。

 まあそうだろうな。大切に取っておいた学ランを着ているんだから。


 それもただの学ランではない。

 赤と金の刺繍を施している。いわゆる改造学ランだ。不良みたいな出で立ちだけれど、これほど目立つ衣装は他にない。


 頭には朱色の茶人帽を被る。

 足は下駄で歩くたびにからんころんと鳴る。

 現代と戦国時代を合わせた藤田次郎風の衣装だ。


「藤田。かなり凝った衣装を作ったな」


 名馬に乗っている信長が話しかけてきた。

 僕は「上様には及びません」と返す。


「宣教師共と似ているな⋯⋯一から作らせたにしてはよくできている。褒めて遣わす」


 不敵に笑う信長に黙ったまま僕は頭を下げた。

 どうやら僕は信長の美に傾倒しているとようやく気づいてしまった。侘び数寄を至上とするならば刺繍など不要に思える。


 それが今やどうだ? 真面目に生きてきた僕が不良みたいな格好をしている。

 影響を受けていないとは到底言えないな。


 このままではまずい。

 信長の美に飲み込まれてしまう。

 宗匠と離れてしまう。

 なんとかしなければ。


 つつがなく馬揃えは終わった。

 学ランからいつもの和服に戻ると、小姓が「藤田殿。明智日向守さまがお呼びです」と言ってきた。

 確か馬揃えに参加していたと記憶している。準備をしていて挨拶できなかった。何の用事だろうと急ぎ足で向かう。

 明智さんの小姓に通されて中に入ると「藤田殿。久しいな」と出迎えてくれた。紫陽花の一件以降も何回か会っていた。それでも一年は会っていなかった。


「お久しぶりです。明智さま、お元気そうで何よりです」

「まあそこに座ってくれ」


 敷物を示されたので正座で座る。

 明智さんは何か言おうとして、口を噤んで黙ったままになる。何を言えばいいのか悩んでいるみたいだった。


「どうかなさいましたか?」

「⋯⋯率直に訊くが、『道具』と戯れるのは好きか? それとも上様のご機嫌取りのためか?」


 すぐに弥助のことを言ったと気づく。

 まず怒りの感情が生まれた。

 それは自分がそう思われていることへの憤りではない。弥助を『道具』扱いしたことに対してだ。


「明智さま。弥助は道具ではありません。人間です」

「そうか⋯⋯嫌な言い方をしてしまったな」


 明智さんが困ったような、それでいて寂しそうな顔をした。

 それで怒りがしぼんでいく。


「明智さま――」

「藤田殿はそのような御仁ではないと知っていた。しかし人は変わるものだ。だから試すようなことを言った。許してほしい」


 織田家家老が同朋衆に頭を下げる。

 他人に見られたら良くない光景だ。

 僕は慌てて「やめてください」と小声で言う。


「僕は気にしていませんから」

「⋯⋯私は今、朝廷と織田家の折衝役を務めている。あの弥助という男を上様は朝廷への圧力に使っているのだ」


 その噂は聞いていて、真実だったんだと分からされた。

 僕は「明智さまは何をお考えですか?」と訊ねてみる。


「できることなら弥助を排除したい。藤田殿ならばかの者に信用があり、毒を飲ませることは可能だろう」

「いくら明智さまの命令でも聞けない話ですね」

「そうだろうな。その弥助はいかなる者なのか?」


 弥助の過去を詳らかに伝えていくと明智さんは顔をしかめた。


「そんな過去を持つ者を殺すなどできぬな」


 どこか思い詰めた表情。

 このとき、僕は訊いてはいけないことを明智さんに言ってしまった。

 気を抜いたわけではない。

 かと言って覚悟を決めたわけではない。

 今まで考えていたことを衝動的に言ってしまった。


「そのようにお優しいのに、どうして謀叛を起こしたのですか?」

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