第十九席 贈り物
それからひと月後のハレの日。
僕とお吟さんが祝言を挙げる当日。
宗匠の屋敷で紋付き袴を着てそわそわしながら待っていると「少しは落ち着いたらどうだ?」と山上さんに呆れられた。
「ええまあ。分かっていますが⋯⋯」
「夫はどっしりと構えるものだぞ」
そう言われても胸がドキドキして、落ち着かない気分になってしまう。
現代で体験したことのない思いだ。
「お吟さん、途中で嫌になって止めたいって言わないでしょうか⋯⋯?」
「あるわけないだろう」
「現代だとマリッジブルーって言葉がありまして」
「今の世にはそのような言葉はない」
山上さんは厳しい顔で諌めてくれる。
ちなみにここにいるのは媒酌人になってくれたからだ。山上さんの奥さんはお吟さんの準備を手伝っている。
「まあいい。始まってしまえば何とでもなる」
ずいぶんと投げやりなことを言う。
しかしそのとおりだろうと思い直してその場に座りこむ。
「それよりも疑問がある」
「なんでしょうか?」
「何故、夕暮れ時に執り行なう? もっと早い刻限でも良いではないか」
そう。今は日が暮れるかどうかの時間だった。普通は朝から昼にかけて行なうらしい。
だけど僕には狙いがあった。
「ちょっとした余興のためです。見てのお楽しみですね」
「ほう。侘び数寄に関するのか?」
「いえ、むしろ逆かもしれません」
山上さんは顔をしかめて「最近の藤田殿は侘び数寄をないがしろにしていないか?」と苦言した。
そんなつもりはないのだけれど、そう見えてしまったのなら良くないな。
「僕は宗匠の弟子です。山上さんと同じで侘び数寄に傾倒していますよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「それに夕暮れ時を選んだのは、僕が好きな時間だからです」
窓から日が沈む姿が見えた。
目の奥が刺激されて泣きそうになる。
「夕暮れ時ほど人に振り返らせるものはございません」
「分からなくもないが⋯⋯」
「ま、藤田好みの趣向とでも言っておきましょう」
そう結ぶとにわかに外が騒がしくなった。
お吟さんが到着したようだ。
ああ、一気に緊張感が高まる。
「奥方が到着したぞ⋯⋯目が泳いでいるが」
「意識しちゃうと、途端に催しそうに」
「飲みこめ。さあ出迎えるぞ」
まるでジェットコースターに乗る前の気分だ。心臓が口から飛び出て破裂さそうになる。
玄関に向かうと、そこには白無垢を着たお吟さんがいた。化粧をしていて今までにないくらい美しい。頬を染めていて可愛らしく照れていた。その色は茶器の参考になると思える――こんなときぐらい茶の湯のことを忘れろ、馬鹿。
「どうでしょうか、藤田さま」
お吟さんが恐る恐る訊ねてくる。
隣の山上さんや一緒にやってきた宗匠と坂城屋が見守る中、僕は満面の笑みを浮かべて言う。
「とても――綺麗です。それしか言葉が出ないくらいに」
「⋯⋯あなたさまは本当にずるいお方です。私の望む言葉をいつも言ってくれて、ますます好きにさせます」
化粧の上からも分かるほど赤面していて、僕のほうが照れてしまうほどだった。
その空気を壊すように、山上さんが「ごほん。ご両人の仲も深まったところで」と切り出した。
「祝言を執り行ないましょう。夕暮れ時を越えて真夜中になってしまう前に」
「そのとおりだな、宗二。準備は整っている。さあ行こう」
その後は粛々と祝言が営まれた――と言いたかったが。
「よう! いい晴れ舞台だな、藤田次郎!」
「なあ!? あなたさまは!」
何と上様の弟君、源五郎さまが飛び入りで参加してきたのだ。これには参列者一同、度肝を抜かれた。
「なんで、こんなところに!?」
「こんなところとは失礼な。なんか面白そうだから来たのだ」
軽い感じで言っているが、しれっと上座に座っている。
宗匠は「これは源五郎さま」と頭を下げる。
「お越しいただき真に光栄でございます」
「おう千宗易殿。居てもいいよな? ちゃんと祝儀も持ってきた」
指差すところには茶杓が入りそうな細長い箱が置かれていた。
「名物ではないが、指折りの茶杓師に作られた逸品だ。下賜してやろう」
「⋯⋯ありがとうございます」
ざわめく部屋の中、お吟さんが「どなたでしょうか⋯⋯?」と不思議そうな顔をする。
こっそりと素性を打ち明けるときょとんとした顔になった。
「まあ。天下人の弟君が私たちの祝言に。これは良き門出になりますね」
その言葉を聞きつけた源五郎さまはにやにや笑った。
「藤田よ。お前の嫁、いい女だな。大切にしろよ」
「もちろんです。一生大事にします」
力強く宣言する――隣のお吟さんがまた頬を紅潮させる――すると「よくもまあ人前で堂々と言えるよな」と呆れた顔になったのは長五郎だった。
彼には祝言に参加するように頼んでおいた。僕は胸を張って「恥ずかしいことなんて言ってないぞ」と言ってやる。
「むしろ足りないくらいだ」
「へいへいごちそうさま。胸焼けするほど食らったよ」
馬鹿な会話をしていると「皆さま、よろしいですかな?」と山上さんが憮然とした顔になる。祝言を進行させたいらしい。
「すみません。よろしくお願いします」
その後はつつがなく執り行なわれた。
源五郎さまが意外にも見事な舞踊を披露する中、長五郎が僕に「松雲の坊さん、来れないって言ってたぜ」と耳打ちしてきた。
「なんでも行ったら面倒なことになるって。案外薄情なんだな」
「そんなことないよ」
まあ宗匠や源五郎さんには顔が割れているから、来たらとんでもないことになっていた。その点は弁えているようだ。
「代わりに松雲の坊さんの指示で作った茶碗をやるよ。井戸茶碗だ」
「ありがとう。いい祝儀だね」
「ていうかあのじいさん何者だ? 知識の量半端ねえぞ」
素直に言えないので「悪者だよ」と冗談交じりに返した。
それから宗匠の黒楽茶碗の披露が行なわれた。集まった人の中には数寄者が大勢いて、見事なものを作られたと、とても感心していた。
場が盛り上がったところで、坂城屋が「皆さまにお見せしたいものがございます」と切り出した。
「このたびは我が子同然の藤田次郎と千宗易殿のご息女、お吟殿の祝言に来ていただき感謝申し上げます。この祝言に花を添えたく存じます」
口上を述べ終えると庭につながる障子がすうっと開いた。
宗匠が設えた庭は真夜中でも立派に見えた。
坂城屋は「空をご覧ください」と手で示す。
みんなが注目する中、ひゅーんと音が鳴り――空に赤い花が咲いた。
ばあんと音が響く中、次から次へと夜空に浮かんで消えていく。
「なんだ、ありゃ!? 見たことどころか聞いたこともねえ!」
長五郎が驚くが、源五郎さまは冷静に「花火か」と笑った。
「ご存じでしたか」
「南蛮人から聞いたことがある⋯⋯しかしこれほどまで見事なのは知らないな」
花火が炎色反応で色が変わるのは知っていた。それでも詳しい仕組みは分からない。源五郎さまが南蛮人から聞いたと言ったが、僕もまた南蛮人から教えてもらったのだ。
「人を殺す玉薬が人を感動させる花となるとは。いい催しだな」
「お褒めいただき感謝いたします」
僕は隣のお吟さんを見た。
目を丸くして魅入っていた。
僕は小声で「どうですか?」と訊ねる。
「素敵です⋯⋯」
「僕からの贈り物、受け取ってくれますか?」
お吟さんは目に涙を浮かべた。
そして「人生で最良の日です」と笑顔になった。
「これ以上になく、幸福でございますよ、藤田さま」
ああ、この人となら幸せになれる。
心から愛おしい気持ちが消えない。
そしてこの人を不幸にしてはならないと思えた。
全身全霊でこの戦国時代を生き抜いてやる。
ふと宗匠を見た。
渋い顔をして花火を見ていた。
花は一輪あればいい。
そう物語る表情だった――




