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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第十七席 黒は闇より出でて闇より黒し

「そうですか。お吟に自らの素性を明かされたのですね」

「ええ。多少は混乱していたと思いますが、受け入れてくれました」


 その日の夜。僕は堺の屋敷で宗匠にお吟さんと婚姻させてほしいと言った。

 僕が未来から来たことも彼女に話したとも伝えた。穏やかな顔で宗匠は全てを許してくれた。

 親への挨拶は緊張するものだと思い込んでいたけれど、何故かすんなりと言えた。宗匠の雰囲気が柔らかったこともあるだろう。


「わたくしは藤田さまと義理とはいえ、親子になれたことを喜ばしく思えます」

「そう言っていただけると安心できます」

「件の商人の方にはわたくしからお断りを入れておきます。ところで、祝言はいつ挙げられますか?」

「ハレの日を選んで行ないたいのですが、何分慣れていませんので。宗匠にお手伝いいただければと。厚かましいとは思いますが」

「何をおっしゃいますか。娘の祝言の手伝いを厭う親などおりません」


 優しげに微笑む宗匠に僕はいくらか気を緩ませた。

 それから「織田さまの同朋衆になられていますが」と宗匠が言い出した。


「お辞めになられることはないと思いますが、お吟は安土の城下で暮らすことになりますか?」

「……ああ、そのことで相談したいんですけど」


 本能寺の変が起きたとき、安土城の近くにいたら危ない気がする。

 僕の記憶が確かならば、安土城は現代に残っていない。


「しばらく堺でお吟さんを預かっていただけますか?」

「ほう。ということは何か起きるのですか?」


 曖昧な問いだったけど、的確な言い方でもあった。

 僕は「未来のことを話してもよろしいでしょうか?」とお伺いを立てた。


「もしや織田さまの身に何か起こるのですか?」

「ええ。まさしくそのとおりです。四年後に――」


 言いかけたけど宗匠の目に深い影が映った。

 よく分からないけど口を噤んでしまった。


「……藤田さま。わたくしは織田さまの美をよろしく思っておりません」


 これは本音だと僕には分かった。

 いや、誰にだって分かるようにしているのだ。

 茶の湯で心を通わすように――真意を示していた。


「その織田さまにもしものことがあれば、わたくしは黙って見守るでしょう」

「……よろしいのですか?」

「むしろ藤田さまのほうこそ、分かっていながら止めなくてもよろしいのですか?」


 もしも信長が死んで秀吉が天下を取ることになれば、それは正しい歴史だ。

 しかしそうなると宗匠が切腹してしまう。

 信長と宗匠の美意識は違うけれど――秀吉との相性も悪い。


「迷っています。歴史を変えることに恐怖すら覚えています」

「…………」

「宗匠は上様の華の美に合わせることができますか?」


 宗匠は「できませぬ」と首を横に振った。

 そして立ち上がって、奥の棚から桐の箱を取り出した。


「わたくしが好むものは――こちらでございます」


 桐の箱から取り出したのは――漆黒の茶器だった。

 その黒は闇より出でて闇より黒かった。

 今焼黒楽茶碗いまやきくろらくちゃわんである――完成された美がそこにはあった。


「そ、宗匠。それが――」

「わたくしは黒を好みます。人によれば黒は不吉な色でしょう。死を連想するのが常でしょう。しかし、侘び数寄を極めようするのならば、黒は必要なのです」


 宗匠は黒楽茶碗を僕に手渡す。

 しっくりとくる手触り。両手が茶碗と一体になったような感覚だ。

 ろくろを使わずに手ごねで成形したからこそなのだろう。


「侘び数寄とは無駄を省くこと。一切の俗物を削ぎ落し排除することでできていく色とは――黒なのです」

「……宗匠は、その価値観を押し上げようとしているのですね」

「わたくしの業なのです」


 正直に言えば、黒の魅力は現代に生きていた僕には痛いほど伝わった。

 人の本能に訴えかける高級感。

 星の重力を感じさせる重量感。

 それらは他の色には出せないだろう。


 一方で僕の心はときめかなかった。

 平蜘蛛や赤楽茶碗を見たときの感動と比べると、そこまで欲しいとは思えなかった。

 華の美に惹かれるのは僕が若いからだろうか――


「……宗匠。僕はどうしたらいいのか分かりません」


 弱音を吐くことに抵抗がないわけではない。

 だけど僕は宗匠に訊かねばならなかった。


「このままの歴史を辿れば――」

「藤田さま。それで良いのです」


 遮られた――宗匠は微笑んでいた。

 どうして笑えるのだろう。


「後の世にわたくしの美が続かなくてもよろしいのですよ」

「何故ですか?」

「いずれ、藤田さまにもお分かりになられると思います。茶の湯を追求していくうちに気づくことがあります。今言えるのは――修行を怠らないことですね」


 最後はおどけて言った宗匠。

 笑えばいいのか、それとも泣けばいいのかと迷ってしまった。


「それより今宵はめでたい日でございます」


 宗匠は沈んだ空気を一蹴するように僕に言う。


「一献、お付き合いください。酔いたい気分なのです」



◆◇◆◇



 お吟さんとの祝言はすんなり挙げられると思っていたのだけれど、のっぴきならない事態が起きてしまった。

 件の堺の商人、坂城屋が抗議してきたのだ。もう既に受け入れる準備をしていたのに、いきなり取り止めるとは何事か、そもそも宗匠から申し出たことではないかと激怒していた。


 僕との婚姻を破棄して自分に嫁げと声高に言っているらしい。

 当然、僕としては受け入れられるわけがなかった。

 お吟さんを諦めるわけにもいかないし、どうしたものかと困っていると、坂城屋が宗匠の大事にしている茶道具を譲れば許してやると言い出した。


 それは流石に横暴が過ぎると僕は思った。

 しかし宗匠はその要求を受け入れた。高麗茶碗を渡すと約束してしまったのだ。


「宗匠、よろしいのですか?」

「良いのです。わたくしにとって藤田さまとお吟の祝言はそれほどまでに価値があるのですから」


 宗匠自ら出向いて渡すと聞いて、僕も同行すると言った。

 僕にも責任があるからだ。

 直接、坂城屋の屋敷に向かわずに仲介してくれる方の屋敷に足を運んだ。

 その屋敷は大きくかなりの財力を持っていると見てとれた。


 屋敷の中で宗匠と会話しないでいると「お待たせいたしました」と仲介の方が入ってきた。

 鷹のように鋭い目をしている人で、あごひげを綺麗に蓄えている。歳を取っているが白髪など無くて若々しく見えた。


「このたびはご迷惑をおかけしました――今井宗久いまいそうきゅうさま」


 宗匠と僕は頭を下げた。

 今井さんは「いえ、お気になさらず」と薄く笑った。


「さっそくですが、こちらが高麗茶碗となります」

「拝見したします……ふむ。名品でございますね」


 どうやら目利きも頼んでいるようだった。

 つまり坂城屋は茶の湯に疎い。

 そんな人に高麗茶碗は豚に真珠だ。


「しかし高麗茶碗を手放すのはおつらいでしょう」

「いえ。身から出た錆でございますゆえ」


 今井さんは「一つ提案なのですが」と宗匠に切り出した。

 あまり良い予感はしなかった。


「坂城屋さんに茶を振る舞うのはいかがですか?」

「なにゆえでございますか?」

「私が仲立ちして交渉しましょう。茶席で感動できれば今回の一件、水に流すと」


 宗匠は「わたくしとしましては、茶器をお譲りするだけで済ませたいのですが」とやんわりと断ろうとする。


「高麗茶碗が惜しくないと申されますか?」

「惜しくないわけではございません」

「ならばそうしませんか? 茶の湯の名人たる千宗易殿ならば容易いことでしょう。たとえ意固地になっている相手でも一座建立を成すことなど」


 意地の悪いことを言う。

 そういえば今井さんは宗匠と同じ織田家の三茶頭の一人だ。

 序列としては宗匠より格上だが、茶の湯の腕前は劣ると聞く。

 何かしら思うところがあるのだろう。


「かしこまりました。茶席を設けさせていただきます」

「おお。では先方にお伝えいたしますね」

「一つだけお願いいたします」


 宗匠は僕のほうを見てから今井さんに言う。


「茶を点てるのはこちらの藤田さまでございます」

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