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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第十六席 さようなら、現代

 元々、お吟さんが誰かに恋しているのは宗匠も知っていたらしい。しかしその相手が僕だとは思わずに、どこぞの馬の骨に騙されていると考えたようだ。


 だからお吟さんの婚姻を急いだ――堺の商人とである。話を聞くところ、彼はかなりの高齢で後妻に望んだと宗匠は言う。

 それを聞いて僕の心はざわめいた。

 理由は分かりきっていた。


「お吟はかなり抵抗しましたが⋯⋯わたくしの妻が亡くなって味方をする者がいなくなりました。だから従うか逃げるか⋯⋯その選択しかないと思ったのでしょう」


 宗匠の奥さまが亡くなったのは去年のことだ。葬儀に行けず申し訳ないと手紙を送っていた。


「わたくしは⋯⋯なんてことをしてしまったのでしょう⋯⋯お吟の気持ちを汲み取ることができなかった⋯⋯」


 悲壮に満ちた宗匠の顔は初めて見る。

 僕は「お吟さんの居場所に心当たりはありますか?」となるだけ感情を込めずに言う。


「今、探しておりますが見つけていません。堺からは出ていないとは思いますが」

「お吟さんはおひとりで出て行かれた。早く見つけないと危ないです」


 戦国時代では女性に悲しいことをしたり、命を簡単に奪ったりする。

 そうなっては手遅れだ。一刻も早く連れ戻さなければ。


「お願い申し上げます。お吟をどうか、どうか助けてください」


 使用人たちが見ている中、その場に土下座する宗匠。茶の湯しか興味がないと思い込んでいた。だけど、ちゃんと家族愛があるんだと分かって、こんな状況なのに嬉しくなった。


「分かりました。僕に任せてください」


 宗匠の大きな肩に手を置いて約束する。

 顔を上げた宗匠は少しだけ安心して「ありがとうございます」と微かに笑った。


「それでは行ってまいります。宗匠たちも探し続けてください」

「藤田さま。何かお心当たりがあるのですか?」

「⋯⋯お吟さんに好かれているのは分かっていました」


 問いには答えずに、ただお吟さんのことを思う。

 あの人は僕を心配してくれた。気遣ってくれた。

 この世界に足跡のない僕を好きになってくれた。


「だから一人の男として、何らかの答えを示さないといけません」

「⋯⋯⋯⋯」

「宗匠、僕の願い――叶えていいですか」


 宗匠は立ち上がり「お心のままに」とだけ言う。

 僕は走り出した。

 お吟さん、無事でいてね。



◆◇◆◇



「やっぱり――ここにいたんですね」

「⋯⋯藤田さま?」


 お吟さんがいた場所。

 それは堺の南蛮商館の近くの港だった。

 雲が薄くて夕日が映えていた、そんな時刻だった。


「どうしてあなたさまが⋯⋯」

「お吟さんが家出したと聞きまして。多分、ここにいるかなと思ったんです」

「ふふ。勘が鋭いのですね」


 どこか嬉しそうだけど、儚げな顔のお吟さんに「もしも勘違いでないのなら」と強いて感情を抑えた声で訊く。


「あの日、お吟さんに渡した金平糖。その思い出を辿ってくれたのなら――とても嬉しいです」


 お吟さんは黙ったまま微笑む。


「自惚れでなければ、僕に会いたいと思ってくれたんですね」

「あのときの甘い味が忘れられなかったのです。嫁ぐ前にもう一度だけ知っておきたかった。きっとあれは――恋そのものだから」


 気づいていた。お吟さんが僕を好きでいてくれたこと。

 だけど茶の湯に耽溺して無視していた。

 なんて大馬鹿者なんだろうか。


「お吟さん――」

「私、お嫁に行きます」


 はっきりとした拒絶だった。

 近づこうとした僕は、足を止めてしまった。

 可愛いらしく、それでいて大人びいた表情はとても美しかった。


「藤田さまも帰ってきたんですから。これで祝言も挙げられます。約束しましたよね」

「そういう意味の約束ではないでしょう」

「あのときはそうでした。でも今は違います。父上がそう望んでいるのですから」


 既に覚悟を決めているようだった。

 そんな顔をしないでほしい――僕がさせてしまった。

 ただ悲しげに微笑むお吟さんは美しい。しかしそれは未来がなかった。


「お吟さん。僕はあなたに言わなければならないことがあります」


 お吟さんの痛々しい表情は見ていられなかった。


「はい。なんでしょうか?」

「二つあるんです――信じられないとは思いますが、聞いてください」


 僕はお吟さんに近づいた。

 さっきと違って何も言わなかった。


「僕は――この時代の人間じゃないんです」

「⋯⋯えっ?」


 お目をぱちくりするお吟さんに続けて言う。


「四百年以上前の未来からやってきたんです」

「⋯⋯何をおっしゃっているのか、分かりません」


 僕がふざけているのだと思っているのだろう。

 怒りと呆れが入り混じる笑みを浮かべた。


「ええ。そうでしょう。信じられないと思います。でも事実なんです」


 真剣な目で見つめると、お吟さんは「詳しく聞かせてくれますか」と見つめ返した。

 まるっきり信じてくれたわけじゃないけど、話は聞いてくれるようだ。


「いきなりこの時代に飛ばされて⋯⋯宗匠と出会いました。僕は元々茶道、つまりは茶の湯を嗜んでいて、それを知った宗匠は未来の作法を知る者として世話をしてくれたのです」

「⋯⋯藤田さま。私が馬鹿なのでしょうか? そのようなこと、聞いたことがありません。それともあなたさまがおかしいのでしょうか?」

「どちらも違います。でも宗匠が氏素性も分からない僕を保護してくれた理由、お分かりになると思いませんか?」


 お吟さんは唇に指を置いて「確かに妙だとは思いました」と考えている。


「父上に聞いても藤田さまのこと、詳しく教えてもらえませんでした。だからどこかの商家の子息だとばかり⋯⋯」

「そう考えてもおかしくないと思います」

「ならばいずれ⋯⋯未来に帰ってしまうのですか?」


 不安そうに訊ねるお吟さんに「おそらくきっと、ないでしょう」と僕は答えた。


「戦国時代――この時代にやってきた方法なんて分かりません。だから帰ることはできないでしょう」

「⋯⋯藤田さまは寂しくないのですか? 家族は未来にいらっしゃるのでは?」

「考えないようにしてきました。もしも思ってしまえば現実を受け入れられない⋯⋯」


 お吟さんの瞳がひたひたと濡れる。


「お吟さん。僕はね、未来から来た自分を世界の異物だと思っています」

「⋯⋯⋯⋯」

「だからこの時代の人と深く関わるのはやめようと決意しました。だけど――」


 口の中がカラカラと乾く。

 お吟さんが遠くに見える。

 言うんだ、お吟さんに、自分の気持ちを――


「僕はお吟さんのことを好きになってしまいました」


 お吟さんの表情を見ることは叶わなかった。

 自分の影を見るように、俯いて暗くなる。


「お吟さんがお嫁さんに行くって聞かされたとき、心がざわつきました。大切なものが失われるような感覚を得ました――いえ、そんな戯言どうでもいい。僕はお吟さんのこと好きだってようやく気づいたんです」


 お吟さんを見るたびに赤楽茶碗の構想が浮かぶのはそのせいだ。

 赤は愛情を表していた。


「お吟さん。お嫁に行くのやめてもらえませんか?」

「⋯⋯身勝手なことを言いますね」


 顔を上げる――無表情で僕を見つめていた。

 喜怒哀楽のどれでもない感情。

 それがまた美しい。


「父上に怒られます。藤田さまも破門されますよ」

「怒られるのは僕が引き受けます。破門されたらそのときです」

「短絡的ですね。じゃあ私が嫁がなかったら、どうするんですか?」


 身体中が火照ってくる。

 顔もきっと真っ赤だろう。

 それでも――勇気を振り絞れ、藤田次郎!


「僕と夫婦になってください」

「⋯⋯⋯⋯」

「一生、大切にします」


 ああ。言ってしまった。

 これでもう、未来には帰れない。

 お吟さんを残して帰るくらいなら戦国時代で死んだほうがいい。


「⋯⋯未来では、そうなのですか?」


 お吟さんの目から涙が一筋流れた。


「⋯⋯何がでしょうか?」

「未来では⋯⋯殿方がそのように、情熱的な言葉を言ってくれるのですか?」


 ゆっくりと近づいてくる――思わず抱きしめてしまった。

 そのくらい愛おしいと思えた。


「ええ。お嫌いですか?」

「⋯⋯いえ。とても嬉しいです」


 お吟さんは頬を染めて――良い色だ――僕の告白に返事をした。


「不束者ですが、よろしくお願いします――」


 さようなら、現代。

 今までありがとう。

 僕は、この時代で、お吟さんと一緒に生きていきます。

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