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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第十三席 爆発

 松永さんが謀叛を起こしたのは天正五年の八月のときだった。

 僕が信長の下に戻ってすぐに知った――松永さんより平蜘蛛のことが気にかかった。あの名物にもしものことがあれば自分を抑える自信がない。きっと取り乱すだろうと思えた。


 すぐに松永さんが籠る信貴山城に向かいたかった。けれども、僕なんかが一人行っても意味がない。城を攻め落とせられないし、人を殺すこともできない。ましてや松永さんを説得なんてできやしない。


 ああ、平蜘蛛が無事でいてくれたなあと悶々とした日々を送っていると、唐突に信長に呼び出された。明日でちょうど十月になる日だった。武将がたくさんいる評定の間で信長は僕に「松永を説得しろ」と命じた。


「天下三悪事を働いた男だ。並の武将では聞く耳を持たん。しかし数寄者ならば少しは心を開くだろう」

「……分かりました。精一杯努めさせていただきます」

「ほう。自分には無理だとは言わぬのか」


 どこか試すような顔つきの信長。

 しかし数寄者ではなければ説得できないとは僕自身思っていたことだ。


「それほど近しい人間とは言えませんが、一座建立を成した身としては説得したい気持ちでいっぱいです」

「ふん。業が深いことだな」

「それで上様。松永さまを降伏させるにあたっての条件はなんでしょうか?」


 信長はにこりともせずに「裏切った代償を払ってもらう」と言い放った。


「それを飲めば許してやる」

「…………」

「平蜘蛛を――俺に寄越せ」


 聞いた瞬間、僕の血潮が身体中を激しく巡り回った。

 瞳孔が開いたと錯覚してしまうほど大きく目を開ける。


「ひ、平蜘蛛を、奪うおつもりですか」


 初めに浮かんだのは信長に対する怒りだった。

 あの名物を力で奪うなんて許しがたいことだ。


「奴が生き延びたいのであれば飲むだろう」

「し、しかし、飲まなければ――」

「松永を殺す。平蜘蛛はその後奪う」


 次に身体を駆け巡ったのは諦めだった。

 ああ。もう僕のものにはならないんだなという感情だ。


「どうした。貴様はやると言ったのだ。ならばさっさと行け」

「……分かりました」


 最後に身体だけではなく心まで支配したのは悲しみだった。

 胸の奥深いところで平蜘蛛への執着が渦巻いていく。


 もちろん、平蜘蛛が僕の手に入るわけはなかった。

 けれども松永さんの元にあれば使わせていただける機会があったのかもしれない。

 ずうずうしいかもしれないが、あの人の死後に譲ってもらえるかもしれなかった。


 信長が望んでしまったのならその機会は永遠に失われてしまった。

 名物のみならず大名物まで手中に収めようとする信長の手に渡ってしまったら、僕は何もできない。いくら何でも天下人から譲ってもらおうなんて思えない。


 万が一、大手柄を立てれば平蜘蛛を手に入れられる……だけど僕は武将ではなかった。同朋衆でしかなかった。


「……なんで、ただの茶道部員だったんだろう」


 誰もいない廊下で呟く。

 これほどまでに無力感を味わったことはなかった。


「僕に力があれば……自分が何者かであれば……!」



◆◇◆◇



 そして十月十日。

 僕は信貴山城の本丸近くにいた。

 これから松永さんを説得にしに行く。

 敵兵に警戒されながら、松永さんのいる部屋に通される。


「おお、藤田殿。貴殿に会えるとは望外であった」


 このとき、松永さんはうつ伏せで布団に寝ていてお灸をしていた。

 こんなときにのんきな人だなと思いつつ「降伏しませんか」とさっそく切り出した。


「条件は先ほど書状で知った。当然、断る」

「でしょうね……僕だって平蜘蛛を渡すぐらいなら死んだほうがマシです」

「そもそも降伏するのであれば最初から裏切らん」

「そこが疑問なんです。どうして裏切ったんですか?」


 松永さんはお灸をやめて、にやにや笑いながら「当ててみよ」と挑発してきた。

 もうすぐ死が迫っているのにも関わらず……度胸がある人だ。


「知りませんよ。今の地位や領地に不満があるとかならお手上げです」

「そうではない……ただの矜持だ」


 矜持……? 何を言っているんだろうか?


「畿内を差配していたわしが、今では大和国半国ほどの領地しか持たん。それが悔しくてな」


 ――嘘だ。僕には分かる。


「それは⋯⋯武士としての言い分でしょう?」

「⋯⋯⋯⋯」

「この期に及んで誤魔化すのやめましょうよ。松永さまはただの武士じゃない。数寄者でもあるんですから」

「⋯⋯どうやら侮っていたようだ」


 松永さんは大きなため息をついた。

 それから周りの兵を下がらせて「はっきり言えば領地などどうでもいい。既に隠居の身だからな」と本音を打ち明けてくれた。


「上杉家が織田を攻める好機であるとか、佐久間の組下についたのが嫌だとか。そんな理由でもない」

「⋯⋯上様に歯向かいたいから謀叛を起こした。ただそれだけでしょう。たいした信念なんてない。自分はもうすぐ死ぬから、その前に一服差し上げたかった⋯⋯武士としても、数寄者としても」


 松永さんは嬉しそうに頷いたけど、僕には理解し難い。

 くだらない理由だ。矜持なんて大層なものじゃない。子供の喧嘩と変わりないじゃないか。


「どうせ平蜘蛛と一緒に心中するつもりなんでしょう。もったいない」

「もったいないとは平蜘蛛のことか? それともわしのことか?」

「両方ですよ」

「なんだ。そう言い切れるほどわしのことが好きなのか」

「松永さまなら数寄者としても生きられると思いまして。それならもっと面白いものが見られそうな気がします」

「くっくっく。頭の中は茶の湯のことだけか」


 頷いて「ええまあ。茶の湯馬鹿なんで」と言う。


「松永さまもそうですよね。だったら生きましょうよ」

「だが生き残るためには平蜘蛛を差し出すしかない。それは貴殿も嫌なはずだ。上様は名物を政に使う。嫌気が差していないか?」

「少々思っています。だから松永さまをお助けしたいのです」

「一矢報いるのが狙いか。それは面白いが⋯⋯方法がない」


 僕は「城に抜け道はないんですか?」と訊ねる。


「当然ある。問題はどう偽装するかだ」

「⋯⋯物凄く嫌な方法があります。本当に嫌だけど、したくはないんですけど」


 ああもう。本当に嫌だ。

 こんな方法を思いつくぐらいなら死んだほうがマシだ。そのくらい嫌な解決策だ。


「ほう。聞かせてもらおうか」

「松永さまだってかなり嫌だと思いますよ。いいんですか?」

「もったいぶるな。さっさと申せ」


 僕は深呼吸をして、上を向いて、それから向き直して、松永さんに言う。


「――平蜘蛛を爆発させましょう」



◆◇◆◇



「おうおう。久しぶりだな藤田殿」

「ええ。元気そうで何よりですね――松雲さま」


 堺の中心部からやや東側に位置する、小さな屋敷に松雲さま――松永さんだ――はいらっしゃった。隠していた財産で買い取ったと聞く。


「上様には平蜘蛛以外の名物を差し出しましたが、本当によろしかったのですか?」

「わしにはこれがあれば十分だ」


 そう言って手のひらで転がして愛でていたのは――蓋のない平蜘蛛だった。


「件のものはどうなった?」

「上様に見せたところいらないと言われました。とても残念そうにしていました」

「そうだろうな。くっくっく。その顔見てみたかった」


 愉快でならないだろう。

 なにせ信長を騙して生き残ったのだから。

 武士として、数寄者として、一人の老人として痛快極まりない。


「松雲さまは出家なされたんですね」

「形だけだ。別に帰依したわけでもない」


 つるりとした頭は子供が触りたくなるように見事だった。

 名前を松雲とした理由は平蜘蛛からだ。

 まったく、どこまで惚れ込んでいるのやら。


「東大寺を焼いたわしが御仏に縋るなど滑稽である」

「それはそうかもしれませんね」

「早く件のものを出せ。平蜘蛛が待っている」


 急かされて紫の布で包んだものを取り出した。

 松雲さまは「なんとまあ⋯⋯無様なものになったのか」と悲しげな顔になる。

 平蜘蛛の釜の蓋である。あの日、信貴山城の天守と共に吹き飛んだ。当たり前だけど砕けてしまったので、信長はいらないと突っぱねたのだ。まあ平蜘蛛と一緒に松雲さまが吹き飛んだ証になったのだから良いのだけれど。


「一応、継いでみました。ところどころ破片がないので不格好ですが」

「⋯⋯隙間から湯気が立って良き風情となりそうだ」


 そんな風に思えるとは⋯⋯。

 松雲さまは平蜘蛛に蓋を載せた。

 なんとも言えない感情が襲う。


「新しく蓋を作らないのですか?」

「粉々になったのであればそうする。しかし見ろ。侘しさで心が凪ぐ」


 僕は未熟者のようだ。

 悲しみに捕らわれている。


「なにゆえ、わしを生かそうとする」


 話を終えて宗匠と山上さんのところへ行こうと腰を上げた直後だった。


「知り合いが死にそうならば助けるでしょう」

「わしならば見捨てる。正直に言え」

「⋯⋯平蜘蛛と一緒に心中されたら困ります。僕は心底平蜘蛛に惚れているのです」


 本音を明かすと「わしよりも強欲が過ぎるな」と呆れられた。

 てっきり笑われると思っていたので拍子抜けした気分だ。


「まあわしはここで楽隠居する。何かあれば相談に来い。話は聞いてやる」

「平蜘蛛が欲しいという相談は?」

「乗れんわ」

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