第十四席 新しい価値観
鉄甲船――というらしい。
信長が作らせた大きな軍船のことだ。
船全体に鉄板を貼らせた代物で、火矢や大砲が効かないとのことだ。
黒一色に塗られている。
宗匠が進言したと聞かされた。
なんでも信長に感想を求められたときに「物足りないですね」と意見したそうだ。
茶の湯どころか度胸さえも高みにあると僕は思った。
改めて鉄甲船を見る。
黒に塗られたことで不気味に思える一方、かっこいいと感じ入ってしまった。
現代の人間の感覚なのだろう。
そしてその感覚を作ったのは――宗匠だ。
「見学は済んだか」
後ろから聞き覚えのある声――慌てて振り返ると南蛮衣装に身を包んだ信長がいた。数人の家臣と小姓を引き連れている。
時刻は昼である。鉄甲船をひと目見に群衆が集まっていたが、僕たちの周りにはいない。戦国乱世の覇王がいるからだ。
「上様⋯⋯」
「貴様はこの鉄甲船をどう見る」
信長が険しい目で見つめてくる。
下手な感想は言えないな。
「この軍船があれば――少なくとも海戦では負けませんね」
「ふん。陸では負けるとでも言うのか?」
高まる緊張感――カラカラに喉が渇く。
「もしもこの軍船が陸でも使えれば勝てます」
戦車を想像して言ってみると「面白いことを言う」と信長はにやりと笑った。
「藤田次郎。茶を点てよ」
「かしこまりました」
緩んだ空気――油断してはいけない。
いつ何時、僕の首が飛ぶか分からないのだから。
ここ数年、そうやって過ごしてきた。
「俺の他に客がいる。見事満足させてみろ」
「どなた⋯⋯でしょうか?」
「猿だ」
マントを翻して信長は去っていく。
家臣と小姓がついていく中、僕に近づいてきたのはたおやかな笑みを浮かべた優男、堀久太郎さんだった。
「危ういところでしたな」
信長の側近の彼はいつも優しかった。
気遣い上手なのだろう。
「返答を間違えていたら斬られていたんですかね?」
「そうでしょうとも」
「⋯⋯猿、とはあの方のことですか?」
噂で聞いたことがある。
現代でも聞いた覚えがある。
堀久太郎さんは「ええ。ご想像のとおりです」と僕に手ぬぐいを差し出した。
「羽柴筑前守さまでございます」
手ぬぐいを受け取った僕は額に浮かんだ汗を拭く。
暑いわけではない。先ほどの問答でかいた冷や汗だった。
「毛利攻めの激励のためと聞いております」
「それは責任重大ですね」
「逆に申せばそれほど藤田殿に期待されているのです」
案外ポジティブなことを言う。
そうでなければ信長の側近なんて務まらないか。
「羽柴さまとは初めてですが、どのような方ですか?」
「陽気でお喋り上手ですね」
現代と同じイメージのようだった。
安心していると堀久太郎さんが「油断大敵です」と厳しい顔で制する。
「織田家のご家老をもてなすのです。細心の注意が必要ですよ」
「⋯⋯心得ました」
先ほど緩ませてはいけないと思ったはずなのに⋯⋯僕は未熟者だ。
それにしても、羽柴筑前守――豊臣秀吉はどんなものを好むのだろう。
ひどく気にかかった。
◆◇◆◇
「このような見事な茶器、見たことがありませんな! 流石、藤田次郎殿! 茶の湯の名人とはかくありきですな!」
その日の夕方、堺の妙国寺にて。
赤楽茶碗で茶を点ててみたら、予想以上に喜んでくれた――多分、信長の前だからだ。
目の前の猿顔の男、つまりは秀吉なんだけど、小柄でやせ細っていて、美男子とは口が裂けても言えない。黄色を基調にした派手な和服を着ている。
「猿、うるさいぞ。藤田を持ち上げて俺の機嫌を取ろうとするなど浅ましい」
「あっはっは! 上様には勝てませぬなあ! 拙者の魂胆を見破るとは!」
頭を掻いておどける秀吉を見て、どこか楽しげな信長だった。
そりゃあ自分をよいしょしてくる部下で、しかも口が上手いとなると一緒にいて楽しいだろう。
現代のお笑い芸人が大金持ちの社長と仲が良い理由を垣間見た気分だ。
「しかしまあこの華やかな赤は素晴らしいです。侘び数寄も悪くありませんが、拙者はこちらのほうが好みです」
しげしげと赤楽茶碗を眺め回す姿は木になる柿をどうやって取ろうか悩んでいる猿そのものだった。
何か絵になりそうだ。後で描いておこう。
「上様。拙者を呼んだ理由を教えてくだされ。何か不都合でもございまするか?」
堪能し終わった秀吉に「不都合とはずいぶん控えめな言い方だな」と信長は爽やかに笑う。
いつも仏頂面なのに険しさなど、どこか追いやってしまったかのようだ。
「荒木摂津守が裏切った。戦巧者の中川や高山を抱き込んで本願寺と毛利と連携している。このままだと西国一帯が敵となる」
表情と違って物騒な内容だった。
秀吉は「かはは。困りましたな」とのん気に返す。
「高山殿はともかく、中川殿は頑固ですから。調略は難しいかと」
「まあな……」
「一先ず、古田左介殿に説得させるのはいかがですか? 妹婿ですし失敗しても動揺はさせられます」
あんまり戦争の話は聞きたくないんだけどなあ。
政治の話と同じくらい難しいし関わりたくない。
「ふん。謀叛ばかりで少々気疲れするな」
「お察しします……謀叛と言えば松永弾正を思い出しますな」
ぎくりとした瞬間「藤田殿は親しい間柄だったと聞くが」と秀吉が矛先を向けてきた。
「親しいというより同好の士と言うべきかもしれません」
「茶の湯仲間……ということかな?」
「あの名物、古天明平蜘蛛を愛したという意味ですね」
今でも心を掴んで離さない――そんな様子を感じたのか、信長が「恨むなら松永にしろ」と目を細めた。
「あれが素直に渡せば済んだ話だ」
「……上様を恨むなど恐れ多いことです」
「かはは。その言い方だと含むことがありそうだ」
二人とも鋭すぎて恐ろしい。
というより僕が読まれやすいのかもしれない。
「松永と交渉したとき、殺してでも奪えば良かっただろう」
「僕は武家ではありません」
信長らしい発想だ。
秀吉は「ならば譲ってもらうように交渉するべきだ」と言い出す。
「昔、拙者に対して『これだけは死んでも譲らない』と言ってきた者が何人かいたが、皆心変わりしてくれた」
「羽柴さまほど口が上手くありません。しかし意見を言わせていただけるのなら、最近は思うことがあるのです」
平蜘蛛の蓋が粉々になった件で松雲さまと話していた。
『貴殿は平蜘蛛の虜になっているが、決して悪いことではない。むしろ活かせ。参考にするべきだ』
そうだ。僕がやるべきことは決まっていたのだ。
平蜘蛛が元の状態に戻らないことを選んだ瞬間から道は決まっていた。
「欲しいものが手に入らなければ――創り出すしかない」
いずれ平蜘蛛以上の素晴らしい茶道具を創り出す。
それこそが僕が戦国時代に来た理由となる。
宗匠のように新しい価値観を作るのだ。
「ふん。大きく出たな」
「そうですな、上様。拙者には藤田殿の大きさが計り知れませぬ」
信長と秀吉。
二人の英雄。
彼らのやり方は奪うか譲らせるかだ。
その二つの道を僕は選ばない。
「藤田。今一度茶を点てよ」
「……一服差し上げます」
僕が欲しいものが何か、それが分かれば松雲さまの言う何者かになれるかもしれない。
以前、茶道部の外部指導員だった皆川先生は言った。
茶道とは単なる精神修行ではありません。相容れないはずの他人と心の交流を楽しむものである――と。
交流とは――感動だ。
僕が好む、僕自身が価値を持って、僕が創り出したもので相手を感動させるのだ。
それを歩むことが僕の道――茶道だ。
ゆっくりと柄杓から赤楽茶碗にお湯を注ぎこむ。
信長と秀吉が見ている中、手に淀みなくお点前することができた。




