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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第十二席 初恋

 僕が信長の同朋衆になって半年以上が過ぎた。

 今は七月である。

 初めは大変だったが、なんとか慣れることができた。まあそれもこれも信長の側近である堀久太郎ほりきゅうたろうさんと小姓の森乱丸もりらんまるさんのおかげだった。城勤めしたことのない僕にいろいろとアドバイスしてくれた。おかげで短気で癇癪持ちな信長の手打ちに合わずに済んだ。


 とはいえ、平和な毎日を過ごせているかどうかは不明だった。

 信長の機嫌を損ねないように気を張り詰めなければいけなかった。

 加えて仕事は茶を点てるだけではない。清掃や雑務をこなさなければいけなかった。埃一つ落ちていただけで処罰が下る環境だ。誠心誠意を込めて行なわなければならない。


 まるで薄氷を踏むような仕事場で働いて半年間生き残れたのは、ただの茶道部員の僕にしてみれば褒められて当然だと自負している。そのくらい厳しいのだ。戦場で戦わなくてもいいけれど、か弱い僕には奥向きの仕事も戦いそのものだった。


 こんなことなら宗匠や山上さんと一緒に堺で修行していたほうがマシだった。そう思わない日はなかった。それでも耐えられたのは、同朋衆の雑務の一つである茶道具や茶器の管理があったからだ。


 目が肥えるほどの名物が丁寧に保管されている。もちろん、手入れをするときは一人っきりではなく複数人で行なう。それがまた緊張感が高まるけど、名物が手元にあるという感動は何よりも勝った。


 その中でも僕が好んだものは井戸茶碗が多かった。特に一文字井戸茶碗の明るさには目を瞠る。おそらく僕は明るい色を用いた茶道具や茶器が好きなんだろう。赤楽茶碗を好むのもそれが理由だ。まあ信長が宗匠の言う『華の美』に傾倒しているから、そういう名物が多いのは当たり前で、自然と僕も好みが寄ってしまった。


 それでも僕は平蜘蛛を至高のものとしていた。

 あれを超える名物には出会えていない。

 まあ初花肩衝はつはなかたつき新田肩衝にったかたつきのような大名物はまだ見たことがないから、僕が未熟であるのは否めないけど、華やかさとは違った『そこにある美』の衝撃は何年経っても残っている。


 また平蜘蛛が見たいなと思っていると、森乱丸さんが「藤田殿。よろしいですか?」と声をかけてきた。仕事が終わって一息ついたときだった。いつも綺麗な美少年だなあと思いつつ「なんでしょうか?」と応じた。


「家老の佐久間さまが本願寺攻めの陣中で茶会をなさるとのこと。藤田さまも参加するよう上様からのご命令です」


 上様とは信長のことだ。

 あの日以来、僕は信長と直接顔を合わせていない。


「陣中、ですか? それは危なさそうですね」

「いえいえ。本願寺は籠城していますゆえ、本陣には攻めてこないでしょう」

「上様のご命令ならば参ります。出発はいつぐらいでしょうか?」


 森乱丸さんは涼やかな笑みを浮かべた。


「三日後になります」

「ご家老さまをもてなすと考えると身が引き締まりますね」

「ああ。藤田殿はそうではありません」


 なんだろうと思い、次の言葉を待った。


「藤田さまは――松永弾正さまをもてなしていただきます。今焼の赤茶碗をお持ちになってください。かの方はそれを望んでおりますから」



◆◇◆◇



 松永さんの陣は佐久間さまの本陣とは離れたところにあった。

 本願寺の本拠地である石山とも遠い。だから安心して茶を点てられる。

 はっきり言って戦争に関わりたくない。人が目の前で死ぬのは怖いからだ。


「久しぶりだな、千宗易殿の弟子よ。確か、藤田次郎と言ったか」


 松永さんとは二年ぶりだったけど、歳を取った感じはしなかった。

 前よりも若く見える……気のせいかもしれないけどそう感じた。


「お久しぶりです。松永さまのご指名、光栄に思います」

「くっくっく。若者はいいな。見ないうちにずいぶんと成長しているではないか」


 まあ座れと席を用意された。

 松永さんは陣羽織を着ていてそれがまた見事だった。一見、孔雀のような緑鮮やかな色合いだけど、どことなく渋さを思わせた。


「まずは一服差し上げます。よろしいでしょうか?」

「ああ、そうしてくれ。例の赤茶碗は持ってきたか?」

「ええ。こちらに」


 桐の箱から取り出すと松永さんは「ほう。良い出来ではないか」と素直に褒めてくれた。

 それから傍にいた家臣と小姓に「外してくれないか」と命じた。


「この者の茶を味わいたいのだ」

「よろしいのですか?」


 別に僕は同行しようとは思わないけど、つい訊いてしまった。

 松永さんは「一座建立を成したいのだ」と鷹揚に笑った。


「それとも自信がないのか?」

「ありますとも。それでは……」


 家臣と小姓たちが去った後、僕は陣の中に持ってきた緑の布を敷いた。

 まあ野点と変わらないやり方だ。後は大きな唐傘を立てて日陰にする。七月の日光は強すぎてせっかくの赤楽茶碗が映えなくなる。


 真形釜しんなりがまの湯は低くしている。熱すぎるのは夏場にあまりよろしくない。

 作法通り茶を点てて松永さんの前に置く。

 うん、やはり緑の布の上に赤楽茶碗はどちらも強調されて良い。


「なるほど。爽やかで美味い茶だ。創意工夫もなされている」


 手放しに褒められて嬉しい反面、僕としては物足りなさを感じていた。

 ああやはり、この場に相応しいのは――


「平蜘蛛があれば素晴らしい茶席になったと言えるな」

「……お気づきですか」


 寝ても覚めても僕は平蜘蛛のことばかり考えている。

 二年ぐらいその生活をしていると、平蜘蛛をベースに茶事を考えてしまう。

 真形釜ではなく、古天明平蜘蛛ならば、もっとこの場は引き締まっただろう。


「わしと一緒だな。平蜘蛛に憑かれている」

「正直なところ、僕は平蜘蛛が欲しいのです。欲しくて欲しくてたまりません」


 松永さんに願ってもくれるわけがない。

 金を積もうが他の名物と替えようが、譲ってくれるわけもない。


「なあ藤田殿。お前は同朋衆になったのだろう。だったら他の名物を見たはずだ。ならば平蜘蛛への執着はなくなってもいいんじゃないか?」


 その期待はあった。

 他の名物に目がくらめば――平蜘蛛から逃れられると思えた。

 だけど。


「平蜘蛛とは上手くいったものです。僕は絡めとられてしまった」

「蝶のようにか?」

「松永さまも一緒……ですよね?」


 松永さんは「ああ、そうだな」と短くこぼす。

 それは憑かれたというよりは、疲れ切ったもののようだった。


「藤田殿。わしの下へ来んか?」

「何をおっしゃっているんですか?」

「平蜘蛛を扱わせてやる。どうだ?」


 それはどれだけの幸せなんだろうか。

 毎日平蜘蛛と関われることを考えると心が躍ってしまう。


「お前にとって平蜘蛛は初恋のようなものだろう」

「良い話、なんでしょうね。それに飛びつかないのは大馬鹿者です。しかしどうして僕なんかを欲しがるんですか?」

「いくつか理由はある。一つは優れた茶人だからだ。千宗易殿の弟子でありながら、彼とは違う道を歩もうとしている」


 信長の『華の美』に当てられて、侘び数寄から離れようとしているのを敏感に察知したのだろうか。


「それにわしと一緒で平蜘蛛に憑かれた者だからだ。同好の士は欲しいものよ」

「分かります。宗匠と違うことも、同好の士であることも」

「最後にこの赤茶碗が気に入った」


 手に取って眺め回す松永さん。

 日光が当たってどろりとした赤が手に溶けている。


「このようなものを作れるのは素晴らしい発想だ」

「僕が作ったわけではありません」

「だが用いた。それは真実だ」


 僕はふうっとため息をついて「申し訳ございません。お断りさせていただきます」と頭を下げた。


「理由を聞こう」

「僕は松永さまのおっしゃるとおり平蜘蛛に憑かれて――いや恋しています。それなのに所有しているのは松永さまです。毎日扱っていてもそのことがよぎります。なんだか間男のように自分が思えてくるのが嫌になります」

「くっくっく。確かにそのとおりだ。しかしならばこそ、奪おうとは思わないのか?」

「思えません。そうしてしまえば平蜘蛛に相応しい男でなくなりますから」


 自分でも馬鹿な選択をした……そう思えてならない。

 それでも僕は言う。


「略奪愛は趣味ではありません。それにそういうものだと思って諦めます」

「何を諦めるのだ?」

「平蜘蛛への恋ですよ。なんてったって――」


 戦国時代だけじゃなくて現代にも通じることだ。


「初恋はたいがい、実らないものですから」


 その答えを聞いた松永さんは一瞬、あっけに取られた顔になったけど、すぐに大笑いした。


「くっくっく。洒落たことを言いよって。いいだろう。後悔するなよ」


 それから少し会話して、僕は退席した。

 何を考えているのか分からない人だったけど、一つだけ言える。

 天下三悪事を働いた人だけど茶の湯には誠実だ。

 それだけは間違いなかった。

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