097話 竜の迷宮 中編――生き続ける死
灰色の空が、重くのしかかっていた。
蒸気の街マージラルを出て三日。アレフたちは軍事国家ヴィクターの西方に広がる山岳地帯――“グラナス山系”の麓に辿り着いていた。
岩肌は焦げ、草木はほとんど生えていない。
山々の合間を抜ける風は冷たく、どこか鉄錆と血の匂いを含んでいる。
「……この匂い、ただの硫黄じゃねぇな」
アスタロスが鼻を鳴らす。
「竜の瘴気だ。まだ生きてるみてぇに濃い……」
「竜の“死”が、まだ終わっていないのかもしれぬな」
デュラの声は低く、どこか祈りにも似た響きを帯びていた。
ライカは小さく頷き、懐のグリモワールを抱きしめた。
『……この魔力の濁り。死した竜の怨嗟が、地脈と混じって循環している。普通の迷宮とは違うわ』
「うん……“生きてる死骸”って感じ。グリモワール、気をつけてね」
『あなたたちこそ。ここは、“人の理”の外側にある場所よ』
アレフは無言で前を見据えた。
道の先――断崖を削るようにして造られた黒い洞窟がぽっかりと口を開けている。
周囲には焦げた鱗や、風化しかけた骨が散乱しており、その大きさは人間の背丈をはるかに超えていた。
「……あれが、レッサードラゴンの巣のようですな」
ジェームスが唸る。
「確かに、死骸がそのまま山肌と融合しておる。まるで“竜そのものが迷宮になった”ようじゃ」
「竜玉を得るには、あの中に入るしかない。だが……一歩間違えれば、戻れねぇ」
アレフは振り返り、一人ひとりの顔を見た。
ライカ、アスタロス、デュラ、ジェームス、シノ――
どの顔にも、恐れよりも決意が宿っている。
「行くぞ。……グリモワールの“居場所”を見つけるために」
灰雲を背に、六人は迷宮の口へと歩み出した。
*
洞窟の奥は、思いのほか広かった。
いや、それはもはや“洞窟”というより――“竜の体内”だった。
壁面には巨大な肋骨が幾重にも重なり、赤黒く変色した骨の隙間から、燐光を帯びた瘴気が滲み出している。
足元には、乾いた鱗片が敷き詰められ、踏みしめるたびに“パリパリ”と音を立てた。
「……うわぁ。竜の体の中って、ほんとにこんな感じなのかな?」
ライカが小さく息を呑む。
「もう死んでるはずなのに……まだ熱を感じるな」
アスタロスが壁に手を触れると、じんわりとした温もりが返ってきた。
「まるで、呼吸してるみてぇだ」
『これは竜の生命力が完全には消えていない証拠ね。
死骸に残った魔力が地脈と結合し、“疑似生命”を形成してるのよ』
グリモワールの声が、どこか緊張を含んで響く。
「つまり……この迷宮そのものが、生きた“竜の亡骸”というわけですな」
ジェームスの言葉に、シノが頷いた。
「このような形態変化は稀じゃな。竜の怨念が“コア”と融合し、迷宮そのものを再生し続けておるのじゃ」
アレフは剣の柄に手をかけた。
「なら、なおさら早く終わらせよう。グリモワールの器を完成させるには、竜玉が必要だ」
そう言いながら、一行は奥へと進む。
やがて通路は狭まり、岩と骨の間から、淡い青白い光が漏れているのが見えた。
「……見ろ、壁の模様が動いてる」
デュラの言葉に、皆が足を止める。
確かに、骨の間を這うように走る紋様が、まるで“血管”のように脈打っていた。
光の流れが、どこかへと導かれているようだ。
『あの光……“魔導式の回路”よ。自然発生するはずのない構造』
グリモワールが不穏な声で告げる。
『誰かが――この迷宮を“改造”している』
「まさか……ここも“聖浄の神殿”の実験跡か」
アレフが呟くと、ジェームスがそれを否定した。
「いえ、この場に満ちているのは“呪力”ではなく”魔力“。 おそらくはヴィクターが竜玉の膨大な魔力を利用して兵器を造ろうとしていた……」
「そして、暴走した結果、竜が迷宮化した……か。ははッ……軍事国家らしいな」
アレフが嫌悪感を露にする。
「それじゃあ……竜玉の採掘が禁止されたのは……」
ライカが唇を噛んだ。
「この事実を隠すためじゃろうな。この国は、そういうことを平気でする。兵器のためなら、命も理も踏みにじる」
シノの声は冷たく、深い怒りを滲ませていた。
そのとき――
“ズズン……”と地鳴りが響いた。
次の瞬間、天井から腐食した鱗片が剥がれ落ち、通路の前を塞いだ。
さらに、壁面の“骨の血管”が光を強め、骨の間から何かが這い出てくる。
「来るぞ!」
アレフが叫ぶ。
現れたのは、骨と金属が融合した竜の亡霊だった。
その身は半ば崩れながらも、機械の脚と翼を持ち、眼窩には赤い光が灯っている。
『……あれは、“魔導竜の残骸”。完全体じゃないけど、厄介よ!』
「了解!」
アレフが剣を抜き、前に出る。
アスタロスが戦斧に手を掛け、デュラが大剣を構える。
シノは後方で竜気を解放し、ライカが詠唱を始めた。
「精霊たち、加護を……《ルミナ・シールド》!」
淡い光の壁が展開し、亡霊竜の放った炎の息を受け止める。
空気が焼け、通路が震える。
「旦那、左を!」
「承知!」
二人の前衛が挟み込み、アスタロスが巨体を押し込む。
「うおおおおおっ!」
戦斧が唸り、竜の機械脚を叩き折った。
だが、折れた脚の内部から“魔力導線”がのたうち、アスタロスの腕に絡みつく。
「ぐっ……こいつ、動力が生きてやがる!」
『触れちゃだめ! 魔力を吸われるわ!』
グリモワールの警告と同時に、ライカが詠唱を紡ぐ。
「ライト・パルスッ!」
光弾が炸裂し、導線を焼き切る。
アスタロスが息を吐き、再び戦斧を構えた。
「助かったぜ!」
アレフが機を見て、剣を構える。
足元の鱗が崩れ、竜の口が大きく開いた――その喉奥に、青白い魔力炉が見える。
「今です、アレフ様!」
ジェームスの声。
「――黒焔斬ッ!!」
アレフの黒炎を纏った剣が閃き、竜の喉を断ち切った。
次の瞬間、機構が暴走し、光と炎が弾ける。
轟音とともに、通路の奥が崩れ、亡霊竜の残骸が光の粒となって霧散した。
「……はぁ……やっぱ、ただの死骸じゃねぇな」
アスタロスが息を吐く。
『あれは実験体の一部。奥には、もっと完全な“魔導竜”がいるはず』
グリモワールの声が重く響く。
「つまり、それがこの迷宮の“コア”か」
アレフが頷く。
「進もう。竜玉は、その先にある」
次回タイトル:098話 竜の迷宮 後編ーー竜屍の心臓




