093話 不穏の予兆と禁断の書庫
ーー王都 ルクレシア から遠く離れた辺境の街 バロール。
その街の中心にそびえるは、白と黒の尖塔を持つ古の神殿。
その名は 聖浄の神殿。
大理石の床が冷たく、静寂が重く圧し掛かる謁見の間。
柱の影を抜け、奥へと続く祭壇の裏手、更にその奥。
そこには「封印区画」と記された扉があった。
扉の前に立つ一人の男。
それが、神官長――黒い装束をまとい、金の十字架を胸に刻んでいた。
アンブレラのような影を背負い、彼の瞳には、静かな欲と期待が宿っていた。
「監視魔獣、映像を送れ」
彼の声は低く、冷たく。
扉の内側で魔獣が羽ばたき、古びた石張りの通路を飛び回った。
その先に映るのは――
地下深く、崩れ行く処刑場。大きく裂けた天井から瘴気が溢れ、
物言わぬ亡者の残骸が粉砕されていく。
冒険者たちの刃と魔法が跳ね返る。
そして――破壊。
神官長は薄く微笑んだ。
「大神官様――こちらの件につきましてご報告があります」
神官長が声を潜めて囁く。
暗がりに立つもう一人。
それが、大神官 セレーネ。
白銀の頭髪が肩に垂れ、目は静かに笑っていた。
大神官は手を掲げ、祭壇の裏にある封印区画の窓越しに、遠くの夜空を仰いでいた。
「王都に放たれし『失敗作』による呪詛が――浄化されました。また、Sランク冒険者 リシェル が嗅ぎ回っております。さらに、山奥の廃屋……第一実験場が壊滅しました」
大神官は眉一つ動かさず、その告げられた内容を静かに受け止めた。
「神官長よ。報告は把握致しました」
大神官の声音は穏やかだったが、その奥底には水底のような深さと冷酷さが潜んでいた。
「ですが――すべて予見済みです」
その言葉を発した途端、異様な静けさが謁見の間を支配した。
「我らは、失敗作に依存してはおりません。あの方の為す“計画”の序章に過ぎぬ。実験は、初めから次のステージを見据えておりました」
神官長の表情が誇らしげに変わる。
「はい。第一実験場の破壊も、特段の懸念ではございません。数年前に廃棄した場所。我らの計画は次の段階へ移っております」
「それは僥倖です。これにより、“あの方”が唱え給う――『混沌による浄化』の時が、また一歩近づいた。やがて、すべての異端者は消え去り、世界は純粋なる祈りの光のみに包まれるでしょう」
その瞳が燃える。
「その時には、この聖浄の神殿こそが世界の礎となるのです」
「おっしゃる通りでございます」
神官長も力強く頷いた。
大神官が再び身を翻し、背後の窓から夜の静寂を眺める。
「実験場を破壊をした例の冒険者たちは、いずれ我らの前に姿を現すでしょう。その時に、始末すれば良い――ということです」
男が低く笑った。
「はい。御心のままに」
「ですが、《灰域の亡剣》リシェル……彼女の存在は些か目障りです。できれば、早めに始末なさってください」
退室しようと歩き出した神官長の背中に、大神官の鋭い視線が突き刺さる。
しかし、神官長は何も答えず、ただ足早に部屋を後にするのだった。
その瞬間、祭壇上の淡い光がゆらりと揺れ、
扉の向こうから、遠くで鐘が鳴るような音が聞こえた。
大神官はその音に耳を傾け、静かに頷いた。
「さて……」
その言葉と共に、謁見の間の灯が一つ、また一つ消えていく。
残されたのは、黒い翼の影と、冷たい笑みだけだった。
*
奇病の原因であった呪毒が晴れてから、王都が息を吹き返すまでには、思っていた以上の時間を要した。
焦げた石畳の上を、荷車の音が軋む。瓦礫を運ぶ兵たちの肩には、未だ瘴気の黒痕が残る。
それでも人々は立ち上がっていた。崩れた街を再び築き、失った日常を取り戻そうと、懸命に手を動かしていた。
広場の中央では、ジェームスがエレガントに埃を払い、アスタロスが腕を組んで指示を飛ばしていた。
その横で、デュラが供たちの遊び相手になっている。
奇病により荒廃した王都を、三人は黙々と支えていた。
一方その頃――
アレフ、ライカ、シノの三人は、王都の中心に聳える白亜の王城へ向かっていた。
「まさか、王女様自ら案内してくれるとはな」
軽く笑いながら、アレフは城門をくぐる。
磨かれた大理石の廊下を進む足音が、静寂の中で反響した。
「きっと感謝してるんだよ。奇病の時、お兄ちゃんが懸命に治療したからね」
そう答えたのは、後ろを歩くライカだった。
彼女のグリモワールは、いつもよりも微かに脈動していた。
まるで、何かを感じ取っているかのように。
「にしても、“禁書庫”かや……」
シノが呟く。その表情には好奇心よりも警戒が勝っていた。
「そこに眠るのは、誰も読んではならない知識。古代の魔法、封印術、そして失われた王家の歴史。扱いを誤れば、何かが目覚める可能性もあるやもしれぬ」
アレフは軽く肩をすくめた。
「まあ、俺たちの目的はそこまで大層なもんじゃない。次のダンジョン、“嫉妬の迷宮”や“使えそうな呪具”の情報を掴めればそれでいいさ」
そう言いながらも、彼の瞳にはわずかな熱が宿っていた。
呪具《処刑人のダイス》を手に入れてからというもの、アレフの呪力は以前よりも深く、重くなっている。
それは神器に近い“力の波”であり、彼自身が無意識に抑え込んでいるものだった。
「お待ちしておりました」
階段を上がった先――
待っていたのは、第二王女イレーネ・ファル=アークライト。
金の髪を結い上げ、上品な衣装に身を包んでいたが、どこかぎこちない笑みを浮かべていた。
「アレフ様、その……先日は、本当にありがとうございました」
そう言って、彼女は小さく頭を下げた。
「い、命を賭けてまで私を守ってくださったこと……忘れません」
アレフは照れ隠しのように頭をかいた。
「気にしなくていい。あれは俺の判断だ。……それより、禁書庫を案内してもらえるんだったな」
王女は頷き、足を踏み出す。
彼女の背を追って、三人も歩き出した。
王城の地下――
そこには、重厚な鉄の扉が立ち並ぶ回廊があった。
ひときわ大きな扉の前で、王女は立ち止まる。
「ここが、王家に伝わる“禁書庫”です」
金の鍵を三度回すと、低い音が響いた。
扉の紋章が淡く光り、ゆっくりと開いていく。
扉の向こうに広がるのは、無限に続くかのような書架の森だった。
空気は乾ききっており、古びた紙とインクの香りが混ざり合う。
だが、その奥底には明らかに魔力の流れがある。
それは“生きた知識”の呼吸――まるで書物たちが意志を持っているかのようだった。
「持ち出しは禁止。閲覧はこの場のみ。……それと、ここで見たことは絶対口外しないでください」
王女は静かに言い残し、ほんの一瞬、アレフの方へと目を向けた。
そして――わずかに頬を染めながら、
「どうかまた……お会いできることを」
と小声で呟くと、扉の外へと去っていった。
しばらくの間、静寂が満ちた。
誰も言葉を発さず、ただ三人は目の前の光景に息を呑んでいた。
「……すごいな」
最初に声を漏らしたのは、アレフだった。
「情報の海じゃの」
「まるで世界が本でできてるみたい」
ライカはグリモワールを胸に抱え、書架の奥へと歩みを進める。
「手分けして探すぞ、“嫉妬の迷宮”の記録を」
それから、幾日かが過ぎた。
禁書庫に夜はなく、ただ時間を忘れさせる静けさだけがあった。
蝋燭が幾度も溶け落ち、アレフは目をこすりながら書をめくる。
シノは封印魔法の古文を読み解き、ライカはグリモワールを頼りに次々と資料を探した。
そして――五日目の夜。
ライカが一番奥の棚に辿り着いた時だった。
手にしたグリモワールが、ふいに光を放った。
「……え?」
白い光が糸のように伸び、棚の最上段に置かれた一冊の魔導書を指し示す。
それは他の本とは違い、黒曜石のような装丁に銀の文様が刻まれていた。
ライカは思わず手を伸ばす。
指先が触れた瞬間――魔導書が震え、光の粒子が舞い上がった。
「お兄ちゃん! シノ! これ、何か……!」
だが、二人が駆け寄るより早く、グリモワールのページが勝手にめくれ出した。
未知の文字が浮かび上がり、ライカの視界に流れ込む。
声が勝手に紡がれる。
「……“我は頁を綴る者。永遠の記録者にして、知識の主なり――”」
その瞬間、空気が一変した。
重圧のような魔力が空間を満たし、書架の影がうねる。
床に魔法陣が展開し、中心に光の渦が生まれる。
そして、その中から――
一人の“エルフ姿の女性”が、ゆっくりと姿を現した。
次回タイトル:094話 魔導神書の女神




