091話 廃屋のダンジョンーー実験場
木々のざわめきが風に揺れ、霧の匂いが立ちこめる。
陽の光すら届かぬ深山の奥、ひっそりとした獣道を、五人と一頭の黒馬が進んでいた。
先頭を歩くのは、ローブを翻す青年――アレフ・カース。
腰に下げた“暴食”の魔剣が、霧を切り裂くように静かに光を放っている。
彼の隣には、幼いハーフエルフの少女ライカが、魔導神書を抱えながら小走りでついていた。
「……ここの山道、魔力の流れがおかしいです。まるで、別の力が魔力の流れを邪魔してるみたい」
ライカの耳がぴくりと動く。
森に漂う魔力が、彼女の繊細な感覚を刺激していた。
「別の力、か」
アレフは低く呟く。
「なら、その力の主に会ってやらねぇとな」
その背後で、銀髪の男――ジェームス・クリフが優雅に頷いた。
タキシードの裾を風に揺らし、銀のトレイを片手に持ちながらも、一分の隙もない。
「実に教育的展開ですね。主の探し物とやら……“問題児”な香りがいたします」
「問題児って……」
ライカが苦笑する。
しかし、アレフは何も言わずに前を向いた。
その表情は、どこか――嬉しそうだった。
「どうせ退屈してたところだ。厄介ごとくらい、ちょうどいい刺激だ」
低く笑う声が響くと、最後尾を歩く魔竜の少女シノが、小さくため息をついた。
「……お主といると、ほんと退屈せん。危険を察しても、なぜか突っ込んでいくからの」
「それがアレフ様の“冒険”でございますよ、シノ殿」
ジェームスが軽口を叩く。
「……ま、“姫”として祀りあげられているより、よほどマシじゃがの」
シノは腕を組み、空を見上げた。竜族特有の紅い瞳が、霧の上の雲を射抜く。
そして――。
「主よ、あれを」
デュラの低い声が響いた。
黒馬の首なき騎士が指さす方向、木々の隙間に、不気味な影が見えた。
苔に覆われ、蔦が絡みついた古びた屋敷。
屋根は崩れ、窓は割れ、しかし、まるで呼吸するように――その建物全体が脈動していた。
まるで、“生きている”。
「……間違いない。リシェルが書いた地図の印は、ここだ」
アレフは懐から一枚の手紙を取り出す。
薄紙には、簡略な地図と、たった一行――『探し物はそこにある』と記されていた。
「まさか、ダンジョンだったとはな」
ジェームスが息を呑む。
屋敷の周囲を漂う霧は、ただの霧ではなかった。
黒い靄――瘴気だ。
その時、アレフの腰の魔剣グラトニーが震えた。
刃の奥から、低くくぐもった声が響く。
《……フフ、感じるぞ。奥からひときわ強い“呪い”の臭いがする。実に“喰い甲斐”がありそうだ》
「なるほどな……」
アレフの口角がゆっくりと吊り上がる。
「単に厄介事を押しつけられたと思っていたが、どうやら違うようだ」
彼の空色の瞳が、霧の中の屋敷を捉える。
リシェルの言葉の意味――『探し物』。
それが“呪具”のことを指しているのなら、彼にとってこれ以上の報せはない。
「そうと分かれば話は別だ。Aランクダンジョンに挑む前に、力を手に入れる好機ってわけだ」
不敵に笑い、アレフは屋敷の大扉に手をかけた。
ギィ……と音を立てて開く扉の奥から、冷たい空気が吹き抜ける。
階段だ。地下へと続く、無限の闇。
アレフが一歩踏み出すと、後ろから仲間たちがそれに続いた。
階段の石段が、足音とともに低く震える。
地上の光が完全に消えたその瞬間――。
グラトニーの刃先が、ぼうっと赤黒い光を放った。
《……来るぞ。腹を括れ。ここから先は、喰らうか喰われるかだ》
「ああ、望むところだ」
アレフは応え、闇の底へと進んだ。
地下に降り立った瞬間、全員の肌に粘つくような感触がまとわりついた。
瘴気だ。しかも尋常な濃度ではない。
古の魔導実験場――そう呼ばれても不思議ではない光景が、そこには広がっていた。
壁には錆びた鉄格子、砕け散った試験管や薬瓶。
床には魔法陣の残骸が刻まれ、血の跡が乾いて黒ずんでいる。
ただの廃屋が、ここまで変貌するには“理由”がある。
「ここは……実験施設、みたい」
ライカが呟く。
グリモワールのページが勝手に開き、古代文字のような呪文が浮かび上がる。
「呪力の干渉を受けている。ここでは、死した者の怨念が呪力の形を取っている……だって」
「つまり、“実験の失敗作”ってやつか」
アレフが呟いた瞬間、通路の奥からずるりと何かが這い出てきた。
人間の胴に、獣の頭。
片腕が鎌のように変形した異形――“被検体”。
「来るぞッ!」
アスタロスが戦斧を構え、雄叫びを上げる。
「破衝烈斬ッ!!!」
地面を叩き割る一撃が衝撃波となって通路を薙ぎ払い、異形たちを吹き飛ばす。
だが、すぐに後方の牢獄から、さらに多くの影が現れた。
「……やれやれ、掃除が追いつきませんね」
ジェームスが羽ぼうきを取り出し、優雅に構える。
「風塵!!」
巻き上がる砂塵とともに、異形の群れが吹き飛ぶ。
しかし――倒れたはずの身体が、瘴気に包まれて再生を始めた。
「再生能力……!?」
ライカが後退しながら詠唱に入る。
「なら、焼き尽くすしかない」
アレフの目が光る。
「黒焔斬ッ!」
グラトニーから放たれた黒炎が、空気を焦がす。
燃え上がる瘴気。だがその黒炎は、呪いの力を喰らうように、異形たちの肉体を“消滅”させていった。
《……悪くない。が、神器五つ分を満たすには足りない。もっと喰わせろ》
「この、大飯食らいども……」
グラトニーの刃が淡く輝き、次々と敵を呑み込んでいく。
戦いの余韻が消えると同時に、奥の通路の壁が崩れ落ちた。
アレフは魔剣を構え直す。
刃に宿る黒炎が、まるで“意思”を持つように唸った。
「行くぞ。――奥に、“答え”がある」
実験室を抜けると、廊下の奥に巨大な扉があった。
扉の表面には、見たこともない古代文字が刻まれている。
「“下層監獄”……か」
アレフは扉に手をかけた。
下層は湿っていた。
滴る水音と、腐肉の臭いが漂っている。
鉄格子の中には、もはや原形を留めない異形が閉じ込められていた。
翼の欠けた魔人。角の折れた鬼。人の顔をした蜘蛛。
――すべて、“造られた”ものだった。
「生きた素材……だな。こいつら、研究のために捕まってたのか」
アレフが呟くと、背後から短く息を呑む音がした。
ライカだ。
脳裏に響くグリモワールの言葉を聞いた途端、彼女の表情は青ざめ、唇が震えていた。
「これ……魂を固定してる。肉体が死んでも、抜け出せないように。魂牢って言うんだって」
「……ずいぶんと悪趣味な真似を」
アレフの声が低くなる。
同時に、憤怒の手甲がわずかに震えた。
《ここは怒りに満ちている》
「……こういうやり方は好かねぇ。せめて、楽にしてやる」
アレフが黒炎を放つ。
牢獄の列が一斉に燃え上がり、怨嗟の声が闇に吸い込まれていった。
やがて、炎が鎮まると、あたりには静寂だけが残った。
その奥――
階段がまた、下へと続いていた。
階段を降りるにつれ、空気が重くなる。
息をするたびに、喉が焼けるような“呪圧”が押し寄せた。
アレフは額の汗をぬぐいながら言う。
「感じるか? この圧力……ただの怨霊じゃねえ」
《ああ、いる。強力な“何か”が。我々と同類の匂い》
「同類……ってことは、“呪具”か」
やがて一行が辿り着いたのは、広大な石造りのホール。
――そこは、“処刑場”だった。
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