090話 王の間にて――再び動き出す影
ザナドゥでの“脱出劇”から数日後。
王都の空には、すっかり穏やかな陽光が戻っていた。
破壊と呪いの余波に覆われていた街も、聖女ジャンヌの歌声によってようやく息を吹き返し、人々の表情にも笑顔が戻り始めている。
アレフたちは、王都南区にある宿《金の翼亭》に滞在していた。
一階の食堂では、すでに朝の賑わいが始まっている。
焼き立てのパンと温かいスープの香りが立ち込める中、アレフたちは久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。
「……買い物は台無しになっちゃったけど、楽しかったです」
テーブルに頬杖をつき、ライカがニコニコと微笑んでいる。
「デュラの旦那がおろおろする姿は、確かに傑作だったな」
アスタロスがスープをすすりながら肩を震わせる。
「じゃが、そのおかけで、妾はまたもや“邪竜”認定されてしもうたがの……」
シノがぶつぶつと不満を漏らし、尻尾をぱたぱたと揺らす。
「お前の場合、見た目が完全に“邪竜”なんだよ」
「ライカよ、こやつの小遣いを0にせい!」
「邪竜だ……!こいつ、やっぱり邪竜だぁぁ!」
そんな軽口の応酬に、アレフは思わず口元を緩めた。
……デュラは、窓際の席で無言のまま座っていた。
彼自身は怒るでも落ち込むでもなく、淡々と紅茶を飲んでいる。
アレフが小さく笑うと、デュラは肩を竦めた。
「……気にしてはおらぬ。人々が我を恐れるのは自然なことだ」
その静かな声に、ライカたちは一瞬言葉を失う。
だが次の瞬間。
「けどよ、その割に、首を着けてる時は子供たちに人気なんだよな」
アスタロスがにやりと笑う。
「ふん。あやつらには一度、我の恐ろしさを分からせてやらねばなるまい……」
「やめろ!」
言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに返すデュラ。
そのやり取りに、全員が吹き出した。
そんな賑やかさの中、宿の扉が開く。
王宮の紋章を掲げた使者が姿を現した。
「冒険者、アレフ・カース殿。陛下より、謁見の招待状をお持ちしました」
使者の言葉に、一瞬、場が静まり返る。
アレフは静かに立ち上がり、招待状を受け取った。
封蝋に刻まれた王家の紋章が、朝の光を反射して黄金色に輝いている。
「……王様からの直々の呼び出し、ってやつか」
アスタロスがニヤつく。
「褒美の話じゃな。いよいよ“出世街道”に乗るときが来たのではないか、アレフよ?」
「出世なんて、俺の性分じゃないさ」
アレフは苦笑し、黒い上着を羽織った。
――そして数時間後。
重厚な扉が開くと、まばゆい光が差し込む。
純白の大理石に金細工の柱、天井には絵画が描かれ、壮麗な王座がその中心に鎮座していた。
玉座に座る王は、年齢に似合わぬ力強い眼光を放っている。
その隣には宰相や近衛たちが並び、静寂が張り詰めていた。
「アレフ・カース。王女を救い、王都の呪いを払った功績――まこと、見事であった」
王の声が広間に響く。
「いえ。自分一人の力ではありません。仲間たちがいたからこそ、ここまで来られました」
アレフが恭しく頭を下げる。
王は満足げに微笑んだ。
「謙虚な姿勢、まことに良し。ゆえに、望む褒美を取らせよう。金でも地位でも構わぬ」
一瞬、アレフは迷った。
脳裏をよぎるのは“カース家”の名。
没落した家を再興することもできる。
だが、それを望む自分はもういなかった。
――自由に生きたい。
縛られることなく、己の足で道を歩きたい。
それが、今のアレフ・カースという冒険者だった。
「……陛下。僭越ながら、禁書庫への出入りの許可を賜りたく存じます」
広間にざわめきが走る。
禁書庫――それは王国の最高機密に触れる場所。
許可を与えられる者など、歴代の宮廷魔導師を除いて数えるほどしかいない。
「ふむ……理由を聞こう」
王が静かに問う。
アレフは短く息を整えた。
「この国に満ちる“呪い”を、根から断ち切るためです。
そして、二度と同じ悲劇が繰り返されぬよう、真実を知りたい」
王の目が鋭く光る。
だが、その瞳にはわずかな興味も宿っていた。
「よかろう。そなたの志、しかと受け取った。――許可を与える」
宰相が驚いたように王を見たが、王はただ穏やかに頷いた。
「同時に、金貨千枚を下賜し、そなたおよび仲間たち全員のランクを一つ上げるものとする」
「……感謝いたします」
アレフは深く頭を垂れた。
謁見を終えたアレフは、王宮の石畳をゆっくりと歩いていた。
黒いスーツの裾を風が揺らし、夕日が王都を赤く染めていく。
ふと、空を横切る影が見えた。
一羽のメッセンジャーバード――銀色の羽根を持つ、小さな鳥。
それは、アレフの肩に止まると、小さな筒を足にくくりつけていた。
「……メッセンジャーバード?」
アレフは眉をひそめ、筒の封を解く。
中から出てきたのは、一枚の手紙と簡素な地図。
そこには、見覚えのある筆跡でこう記されていた。
――『探し物はそこにある。』
それだけだった。
差出人の名は、リシェル・ヴァルン。
《灰域の亡剣》と呼ばれる、あの女剣士の名だ。
地図には、王都から北西へ外れた山奥。
先日、リシェルが呪詛を招き入れた者を追って辿り着いた、廃屋がある場所が記されていた。
むろん、アレフはそのことを知らない。
アレフはしばらく無言で手紙を見つめた。
やがて、口元に静かな笑みを浮かべる。
「……あぁ。どうやら、休息の時間は終わりらしいな」
彼は手紙を胸元にしまい、宿の方向へ歩き出す。
沈みゆく太陽の中、長い影が石畳に伸びていく。
その瞳には、再び戦いの光が宿っていた。
次回タイトル:091話 廃屋のダンジョンーー実験場




