082話 “失敗作”と呼ばれた者たち 後編ーー王都地下
王都の地下へと続く道は、封印された古の水路跡だった。
長い年月、誰の手も入らなかったその空間は、まるで“死の胎内”のような静寂に包まれている。
石造りの階段を降りるたび、足元からはぬめるような冷気が這い上がってきた。
壁面を伝う水滴の音が、規則正しく響いている。
それが不気味な心音のように感じられるほど、この地下は“生きていた”。
「……ここが、最後の調査地点だよね」
ライカが結界の符を展開しながら呟く。
淡い光が闇を押し返し、黒い石壁に刻まれた文字が浮かび上がった。
古代語。だが、部分的に聖浄神殿の封印術式と酷似している。
「やはり……ここも神殿の管理下だったようじゃの」
シノが唇を噛む。
アレフは前を見据えたまま、低く応じた。
「ここから“失敗作”を引き入れた可能性が高いな。最初の感染が貧民街で起きたことを考えると、この水路は貧民街とも繋がっているんだろう」
アスタロスが周囲を警戒しながら、戦斧を構える。
「……妙だな。地下のわりに、風がある」
確かに、奥からかすかな風が流れてくる。
だがそれは生ぬるく、血と鉄と腐臭の混じったものだった。
アレフは眉をひそめ、足を止める。
「……“息”だな」
「え?」
「地下全体が呼吸してやがる。まるで……生き物の中だ」
その瞬間、通路の奥から低い呻きが響いた。
壁面がぐにゃりと歪む。
石ではなく、肉だった。
黒い脈が走り、壁の表面から目玉のような器官がいくつも開く。
「来るぞ!」
アレフの声と同時に、肉壁が裂け、無数の腕が飛び出した。
その腕はすべて、人のもの。だが指の先は爪のように尖り、滴る液が石を溶かしていく。
「瘴気の壁!」
デュラが頭部を外す。
胴体の首元から溢れ出した瘴気の霧が、迫る腕を腐食させる。
しかし、次々と生えてくる腕の数は止まらない。
それどころか、奥から“何か”が這い出してきた。
それは、三つの顔を持つ異形だった。
肉の塊の上に、男女も年齢も異なる顔が三つ、無理矢理に縫い合わされている。
身体の表面には、無数の封印陣が焼き付けられていた。
そのうち二つは、すでに崩壊している。
「……二体分、取り込んでやがるのか」
アレフの目が細くなる。
グラトニーが低く唸り、空気が震えた。
《“出来損ないの呪い”だな……》
異形は、人の声とも獣の咆哮ともつかぬ音を発しながら、アレフたちを見据える。
その三つの顔が、それぞれ別の言葉を吐いた。
「わたしを……壊したのは、誰……?」
「神……神を喰らって……還るんだ……」
「……助けて……痛いの……もう……やだ……」
同時に響く三つの声。
その悲鳴のような祈りに、シノは一瞬動きを止めた。
「まさか……こやつら、本当に……“人間”なのかや……?」
「迷うな!」
アレフの怒号が響く。
「“呪い”だろうが“人”だろうが、やることは変わらねぇ!」
次の瞬間、異形が爆ぜた。
その身体から噴き出した呪毒の霧が、瘴気の霧と混ざり合う。
黒煙の中で、ライカが咄嗟に詠唱を開始した。
「輝印結界!」
光のドームが仲間たちを包み込み、呪毒を遮断する。
だが、その結界の外では、石が溶け、天井が腐り落ちていく。
デュラの放った瘴気と呪毒が結合した、息をするだけで肺が焼けるような呪いの瘴気だ。
「すまぬ。我が余計なことをしたばかりに...…」
デュラは頭部を胴体に戻し、項垂れる。
「気にすんな。不幸な事態には馴れてる」
「でも……これじゃ、戦えるのは……」
ライカが苦しげに言う。
アレフは頷き、ゆっくりと外へ歩き出した。
「分かってる。ここから先は、俺の領分だ」
グラトニーの刃を抜き、腰のペンダントに手を伸ばす。
黒曜石のような宝玉が脈打っていた。
“色欲の呪具”――ラスト。
「……お前から逃げるのは、もうやめだ、ラスト!!」
アレフはペンダントを握り、呪力を流し込む。
――抗うな……お前には力があるーー
色欲の声がアレフ精神に干渉する。
「ああ、その通りだ。けど、それは俺だけの力じゃねぇ。ここにいる仲間や神器がくれた力だ……そして、お前もその一つだ……ラスト!」
途端、空気が艶やかに震えた。
視界が歪み、異形の動きが鈍る。
それは、理性を削ぎ落とす“魅惑”の波動だった。
「呪われた神器ーー《七つの大罪シリーズ》を集めて最強を目指す……そう決意した反面、俺はどこかで“呪い”に対して恐れを抱いていた。だが、もう恐れねぇ!!」
ーー力を貸せ、ラストッ!!
《……いいわ、アレフ。あなたに従ってあげる》
ペンダントの奥から、艶やかな声が響く。
“色欲”本来の声。
アレフは眉をしかめたまま、答えなかった。
「……“三つの精神”を……互いに食わせる。簡単な話だ」
アレフの瞳が紫に染まり、呪力の糸が異形へと伸びる。
一本、二本、三本。
それぞれの顔へと絡みついたその糸が、ゆっくりと震えた。
「支配・精神干渉――“魅惑の支配”」
異形が絶叫した。
その身体が痙攣し、三つの頭が互いに噛み合う。
「やめろ!」「離せ!」「私の身体だ!」
叫び声と共に、肉体が崩壊を始めた。
骨が突き出し、血が煙のように舞う。
呪毒の奔流が地下空間を荒れ狂う。
「今だッ、グラトニー!!」
《ウム、主の望むままに!!》
魔剣が咆哮を上げ、黒炎が奔る。
呪毒を吸い上げ、異形の身体を喰い尽くすように焼き払った。
数秒の後、全ての音が消えた。
そこに残ったのは、ただひとり――アレフだけだった。
「……終わった、の?」
ライカが結界を解除し、シノが駆け寄る。
アレフは膝をつき、浅く息を吐いていた。
ペンダントは静まり、かすかに声がした。
『ふふ……また会いましょうね、可愛い子……』
やがて沈黙。
アレフはペンダントを首に提げた。
「……“失敗作”はこれで二体目。残りは……もういねぇ」
「ほんとう?」とライカ。
アレフは静かに頷く。
「こいつの記憶を覗いた。貧民街の一体と合わせて四体いたらしいが、残りは三体が互いに喰らいあって同化したそいつだ。つまり、これで全て終わりってことだ」
ライカが安堵の息をつき、シノは壁に背を預ける。
だがアレフだけは、表情を緩めなかった。
「……だが、“終わった”のは王都の呪いだけだ。聖浄の神殿の企みはまだ残ってる」
彼の視線の先、地下最奥の壁に一枚の鉄扉があった。
焼き焦げた封印陣の奥に刻まれた文字。
そこには、こう記されていた。
『第零実験区 ——神格移植試験体 封印中——』
「……“第零”だと……?」
アレフは眉を寄せ、低く呟いた。
「そんな!?……“出来損ない”どころか……“完成品”がいるってこと……?」
ライカが背筋を震わせる。
沈黙。
次の瞬間、扉の向こうから微かに音がした。
“コン……コン……”と、何かが中から叩いているような音だ。
ライカが震える声で問う。
「……誰か、いるの?」
「ーーいや。中からは何の気配もしない」
アレフがゆっくりと扉を開ける。
その途端、冷たい風が吹き抜けた。
扉の向こうは部屋……というより、牢獄のような場所だった。
部屋の様子から、ここが長いこと使われていなかったことがわかる。
壁に垂れ下がる引きちぎられたような鎖が、崩れた天井から入り込む風で“コン……コン……”と揺れていた。
ここに幽閉されていた“完成品”が鎖を引きちぎり、天井を突き破って逃げたのだと、誰もが理解できた。
王都の地下に潜む“真の呪い”は、まだ終わっていなかった。
次回タイトル:083話 王都に響く祈り




