081話 “失敗作”と呼ばれた者たち 前編ーー貧民街
王都の北門を抜けた瞬間、アレフたちは息を呑んだ。
視界いっぱいに広がるのは、死の街だった。
かつて白亜の石造りで知られた大通りは、人々が倒れ伏す避難所と化し、路地裏では痩せ細った子供が、乾いた咳と共に血を吐いている。
――生の匂いよりも、死の気配のほうが濃い。
アレフの掌に嵌められた指輪《暴食》グラトニーが、微かな震えを見せた。
《ここは穢れている……呪力の腐臭が充満しているぞ》
頭の奥に直接響く低い声。
アレフは無言で頷き、フードを目深にかぶり直す。
「……ここは、本当に王都かや?」
シノが低く呟く。その金の瞳には怒りと悲しみが同居していた。
「竜の誇りにかけて言うが、こんなもの……人の街じゃないぞ」
「呪毒が空気に混じってやがる。気を抜けば、俺様たちもやられる」
アスタロスが鼻をひくつかせ、戦斧の柄を握りしめる。
その声には焦りよりも、かつて戦場で死を嗅ぎ分けてきた者特有の冷静さがあった。
そして、ライカが一歩前へ出る。
小さな手に抱いた魔導神書が、淡く白光を放っていた。
「……アレフお兄ちゃん、この光、呪いの反応を示してる。
呪力の濃い場所ほど、ページが強く輝くみたい」
「そうか。じゃあ――導いてくれ。中心を突き止める」
アレフの声に、ライカは小さく頷いた。
街の中心部へ向かう途中、通りすがりの治療師たちが、次々と倒れていく。
薬草も、回復魔法も、この“病”には通じない。
それは、明らかに医術ではなく呪術の領域だった。
途中、路上で膝を抱える老婆がアレフたちを呼び止める。
「頼むよ……わしの孫が……急に黒い痣が浮いて、息ができなくなって……」
アレフはしゃがみ込み、老婆の腕を握る。
痣の形は、まるで“眼”を象るように歪に広がっていた。
「……これは、呪紋か」
グラトニーが低く唸る。
《この痣……傲慢の因子の残滓とよく似ている。だがこれは……粗悪な模造品》
「つまり、“実験の失敗作”ってわけだな」
アレフは呟き、老婆の手を離した。
「すまねぇ……今は、根を断つほうを優先する」
その言葉に老婆は何も言わず、ただ深く頭を垂れた。
王都の地図を広げたアレフは、感染者の分布を示す印を確認する。
リシェルから受け取った情報によると、感染源の“中心”は貧民街の中心に集中しているという。
そこには、かつて疫病者を収容していた隔離院があった。
夜が更ける頃、ライカが立ち止まる。
魔導神書の光が、一際強く輝いた。
「ここ……この辺りが、一番光が強いよ」
周囲を見渡すと、崩れかけたレンガ造りの建物群が並び、
汚泥の匂いと血の臭気が混ざって鼻を刺す。
まさに、貧民街の中心部。
「やはり中心部か……分かりやすい」
アレフは地図を折りたたみ、腰の剣を確認する。
柄に触れるたび、魔剣が低く唸るように震えた。
《呪いの臭いがする……》
剣の奥から声が響く。
街に入ってからずっと呪力に晒されていたせいか、“暴食”の本能が疼くのか、まるで飢えた獣のように、グラトニーは欲していた。
“呪い”を、“喰う”ことを。
貧民街の入口には、兵士の姿があった。
鎧の上に防護服を纏い、手には聖印を刻んだ槍。
だが、その瞳はすでに人のそれではなかった。
「……あいつら、もう取り込まれてるな」
アレフが呟くと同時に、兵士の首筋から黒い紋様が走る。
次の瞬間、甲冑の中から黒い蔦が爆ぜるように伸び、地面を這った。
「来るぞ!」
アレフが踏み込む。
大剣がうなりを上げ、黒い蔦を一閃。
魔剣の刃が呪毒を吸い込みながら、鈍く輝く。
その後ろでは、ライカが結界を張り、皆を守っていた。
「中心はまだ奥のようです……!」
ジェームスが目を細め、周囲を見渡す。
「こんな場所に潜みやがって……手間のかかる奴らだ」
アスタロスが舌打ちする。
「行くぞ。ここで足を止めるな!」
アレフは仲間たちを先導し、瘴気の濃い方へと進んでいった。
隔離院の内部は、崩れかけた病棟のようだった。
壁一面にびっしりと黒い触手のようなものが這い、天井からは逆さ吊りの人影が揺れている。
「……これが、“出来損ない”の巣か」
アレフが呟く。
その時だった。
部屋の中央、肉塊のようなものが蠢いた。
――“なぜ、私を棄てたのですか”
――“どうして、私だけが……壊れたのですか”
通路の奥、黒く塗り潰された空間に、異形の“人影”が立っていた。
人の形をしてはいるが、頭部が歪み、腕が二本どころか四本、六本と増えている。
皮膚は灰色に溶け、眼窩の奥で青白い光が点滅していた。
“出来損ないの呪い”――神殿が失敗作と呼ぶ存在。
傲慢の因子移植に失敗し、人格を喰われ、呪いそのものと化した哀れな成れの果て。
「こいつ、自分の身体に他の感染者を取り込んでやがる……!」
アスタロスが目を見張る。
その瞬間、肉塊が咆哮を上げた。
壁を突き破るように、黒い腕がいくつも伸びる。
空気が震え、呪毒が弾ける。
「離れろッ!」
アレフが跳躍し、グラトニーを振るう。
魔剣が唸り、黒い腕を次々と斬り裂く。
切り落とされた腕が地に落ちるたび、腐敗した肉片が蠢いた。
「グラトニー、全部喰え!」
《……承知している》
黒炎が爆ぜる。
呪毒の奔流が逆流し、アレフの剣へと吸い込まれていく。
数瞬のうちに、広間の空気が一変した。
静寂。
肉塊は灰となり、消え去った。
「……終わった、の?」
ライカが息をつく。
アレフは黙って頷き、グラトニーを鞘に戻した。
ジェームス目が、何かを見据えていた。
灰の中に、奇妙な印が浮かび上がっていたのだ。
円形の陣。その中央に刻まれた紋章は、聖浄の神殿の封印印と一致していた。
「……やはり、聖浄の神殿の仕業のようですな」
ジェームスが険しい顔で呟く。
アレフは無言で灰を踏みしめた。
そして低く呟く。
「次は……地下だな」
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