077話 王都にもたらされた災厄
夜明けを告げる鐘の音が、まだ薄闇を帯びた空気を震わせた。
ベレティックの街は静寂に包まれていたが、その静けさの裏には、昨夜までの地獄の名残が潜んでいた。
瓦礫と灰の匂い、焦げた大地、そして空気に混ざる微かな血の臭いーー
それでも、陽光が差し始めると、人々は恐る恐る外に出て、瓦礫をどかし始めた。生き延びた者たちは、また生きるために動く。
そんな街を見下ろすように、ギルドの応接室の窓辺に立つ男がいた。
ガイル・グランフォード。
歴戦の戦士であり、今はこの街の冒険者ギルドを預かるギルドマスターでもある。
彼の顔には深い疲労と、言い知れぬ苛立ちが刻まれていた。
夜通し、領主とともに王都への報告を済ませ、朝方になってようやくギルドに戻ってきたのだ。
魔導通信具を通じて、王都に伝えたのは「ベレティック壊滅危機」の一報。
「……王都が、沈黙したままなのが気に入らねぇな」
ガイルは低く呟いた。
彼はため息をつき、背後の扉を叩く。
「おい、起きてるか? アレフ!」
しばらくして、重い扉が開く。
ぼさぼさの髪をかきあげながら、アレフが顔を出した。
「……朝から声がでかいんだよ、ガイルさん。寝起きの人間に優しくしてくれよ」
「寝起きってレベルじゃねえ。死人みたいな顔してるぞ」
「昨日の件を思い出したら、そりゃ寝付きも悪くなるさ……」
その背後では、枕を抱えたアスタロスがまだ毛布にくるまり、シノが真面目に支度をしている。ライカは魔導書を抱えて、寝癖のまま椅子に座っていた。
まるで遠征明けの小隊のような光景だ。
ガイルは部屋に入り、机の上に書簡を置いた。
「王都から命令が下った。……お前らを呼び戻すそうだ」
「俺たちを? ……王都が、今さら何の用だ?」
「“奇病”だとよ」
その言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
「奇病?」
「詳しいことは不明だ。だが、回復魔法も薬も効かねえ。しかも、感染が異常に早い。……その被害が王都中心部にまで及んでいるらしい」
「王都が、病で……?」
ジェームスが眉を寄せた。
「ベレティックの件と……関係が?」
「それを調べるために、お前らが呼ばれてるんだろうな」
アレフは短く息を吐いた。
「……面倒なことになったな」
「それともう一つ。――お前の名前を出した奴がいる」
「俺の、名前?」
「“灰域の亡剣”リシェルだ」
ピクリと、アレフの眉が跳ねた。
「あの女か……」
「どうやら王城に直接進言したらしい。“奇病を治せるかもしれない男を知っている”ってな」
ライカが苦笑する。
「アレフお兄ちゃん、有名人だね。病の治療まで頼られるなんて」
「いや、相手はあのリシェルだぞ――押し付けられてる気しかしねぇ……」
アレフは頭を掻きむしり、ぼやいた。
ガイルは少しだけ笑いを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「笑い事じゃねぇ。王都の王命だ。拒否すれば……お前らの立場も危うくなる」
「わかってるよ」
アレフは、深く息を吐き出した。
*
その頃。
王都ルクレシアから遠く離れた辺境の街バロール――
白金の塔が立ち並ぶ中心区の奥、ひときわ高くそびえる建造物がある。
“聖浄の神殿”。王国三大宗教機関の一つであり、神の名のもとに異端者を裁く聖域。
その広大な聖堂の奥、荘厳な魔法陣が刻まれた円形の部屋で、儀式が終わろうとしていた。
「……大神官様、ご報告申し上げます」
白衣をまとった神官長が、床に跪いた。
「人工ダンジョン・コアの実験は……成功いたしました。呪力循環の安定も確認済みです。ですが――異端者の街ベレティックへの制裁計画は……」
報告の声が震えた。
しかし、玉座に座る白髪の老人は、顔色ひとつ変えない。
「……失敗、というわけですか」
「は、はい。予定外の干渉がありまして……。しかしながら、コアそのものの成功は、神に近づく第一歩かと!」
老人――大神官セレーネは、ゆっくりと立ち上がった。
その動作一つで、空気が変わる。冷たく、透明で、刃のような威圧。
「……良いでしょう。失敗はどうでも構いません。重要なのは、“創造の模倣”が成功したという事実です」
その瞳に、異様な光が宿る。狂信と歓喜の入り混じった輝き。
神官長はその表情を見て、安堵の吐息を漏らした。
叱責どころか、賞賛の色さえある。
「はっ、それでは次の段階に――」
「ええ。……“彼ら”の件ですね?」
「はい。手筈通り、“憤怒の因子”移植の失敗者たちを王都へ引き入れることに成功いたしました。既に潜伏も完了しております」
「よろしい」
セレーネは、ゆるやかに口角を上げた。
「“神に背く都”には、清めの炎が必要です。……彼らの存在は、神意の具現。人間たちがどこまで堕ちるか、見てみましょう」
神官長が深く頭を垂れた瞬間、聖堂の壁に刻まれた魔法陣が微かに輝いた。
誰も気づかぬほどの淡い赤光。
それは“瘴気”とも“呪詛”ともつかぬ波動で、神殿全体に染み渡っていく。
一方、王都ではーー
聖浄の神殿の企みで、“失敗作”と呼ばれる者たちが王都に潜入してから
数日後――
最初に倒れたのは、貧民街の子供だった。
咳き込み、やがて皮膚に黒い斑点が浮かび、体温が異常に上昇して――最後には、意識が溶けるように失われた。
その症状は次々と広がり、あっという間に市街地全域を覆った。
「……薬師でも治せないのか?」
「だめだ。癒しの魔法も効果なしだ!」
「“神の罰”じゃねぇのか!?」
民衆の叫びが街に溢れる。
教会の鐘が鳴り止まない。
恐怖が伝染し、信仰が狂気へと変わっていった。
そして噂が広まる。
――第二王女、感染。
その報せは、瞬く間に王都中を駆け巡った。
冒険者ギルドにも、それは届いた。
そのギルドの片隅で、
黒いコートを羽織った女が、カウンターに肘をついている。
長い黒髪、片目にかかる傷痕、唇には小さな笑み。
《灰域の亡剣》――リシェル・ヴァルン。
「……王女様まで感染、ね。これはまた、たんまり稼げそうだ」
リシェルはグラスを傾け、ワインをひと口。
カウンターの男が顔をしかめた。
「不謹慎だぞ、リシェル。これ以上感染が広がったら、王都は終わりだ」
「ふふっ。だからこそ――彼の出番なのさ」
「出番?」
「そう。《呪いに好かれた男》の、ね……」
男は首を傾げる。
「呪いに好かれた男?」
「……ああ。あの少年なら、きっと上手くやってくれるさ」
リシェルはグラスを置き、立ち上がった。
「さて……王城に行って、少し貸しを作っておくとしようか。あの子がどんな顔をするか、楽しみだ」
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