071話 傲慢の塔 北区
瘴気が吹き荒れていた。
北区一帯は、もはや“街”の形を留めていない。
瓦礫が積み重なり、崩壊した建物の隙間から、どろどろとした黒い霧が這い出していた。
その中心に、黒い塔がそびえていた。
それはまるで天を穿つ棺。瘴気を空へと吐き出し、周囲の空気さえも濁らせる。
「……あれが、北の塔……?」
ライカが呟いた。
彼女の碧眼には恐怖よりも、ただ冷たい決意が宿っていた。
「近づくだけで、これだけの瘴気じゃ。塔の中は、もっと酷いことになっていそうじゃの」
シノが小さく呟き、背の竜尾を揺らす。金の瞳が塔の最上部を睨んでいた。
竜人の彼女でも、ここまでの負の圧に顔をしかめるほどだった。
「まぁ、文句言っても始まらねぇな」
アスタロスが肩を回し、巨大な戦斧を構える。
女の姿になったとはいえ、その技のキレは健在だ。水の加護を帯びた刃が淡く蒼光を放つ。
「行くぞ、塔まで一気に突っ切る!」
その瞬間、地響きが鳴った。
瓦礫の下から、瘴気に満ちた獣が這い出してくる。
黒い毛皮に無数の眼。口の中からは人の腕がぶら下がっていた。
続いて、骸骨の兵士、影の狼、瘴気のスライム――ありとあらゆる魔物が、塔の防衛線を築いていた。
「数が多すぎるよ……!」
ライカが後退しながら、手にした魔導神書を開く。
白紙だった頁が、一瞬で光を帯びる。
「――《氷槍の雨・アイシクルランス》!」
無数の氷槍が空から降り注ぎ、魔物たちの身体を貫く。
だが、倒れても倒れても、次から次へと新たな瘴気の影が這い上がってきた。
「チッ、キリがねぇっ!」
アスタロスが戦斧を振り下ろし、地面を割る。
「《破衝烈斬》!!」
轟音が響き、地面の下から爆裂する衝撃波が敵を薙ぎ払った。
しかし、前線はすぐに瘴気で埋まり、再び群れが迫る。
「――下がるのじゃ、アスタロス!」
シノが竜気を纏う。
「《竜雷閃》!!」
蒼白い稲妻が地を駆け、塔の前の魔物をまとめて焼き払った。
雷鳴が轟き、空を裂く光が塔を照らす。
だが――それでも、道は開けなかった。
瘴気の壁が再び閉じ、塔への道が遠のく。
ライカは額に汗を滲ませながら、結界を張る。
「《輝印結界》――っ!」
光の円陣が三人を包み、外からの瘴気の侵入を防いだ。
息を荒げながら、ライカは苦しげに言う。
「……もう、魔力が……長くは持たない……」
アスタロスが舌打ちする。
「クソ、押し返される……!」
その時だった。
――遠くから、野太い声が響いた。
「姉さーーーんッ!!」
三人が同時に振り返る。
見ると、北区の瓦礫の上に、巨大な牛の角を持つ男――牛鬼が立っていた。
その背後には、屈強な獣人たちがずらりと並んでいる。
「て、てめぇ……!」
アスタロスの顔がみるみる赤くなる。
「何でお前らがここに来やがったッ!」
「決まってるだろ! 姉さんが困ってると聞きゃ、黙ってられねぇッ!」
ダンクが親指を立てる。
「ここは俺たち牛鬼一派が引き受ける! 姉さんたちは塔に行けッ!!」
「バカやろう! 死ぬ気かてめぇら!!」
アスタロスが怒鳴る。
だが、ダンクはただ、にやりと笑って片目をつむった。
「死ぬ? 俺たちはもう、街のゴロツキだ。生きててもロクなもんじゃねぇ。だったら――せめて、あんたのために暴れて死ぬ方がマシだ!」
ライカとシノがクスクスと笑い出す。
「ふふっ……モテモテだね、アスタロスさん」
「牛鬼、意外といい奴じゃの」
「う、うるせぇ! お前ら、後で覚えてろよッ!!」
顔を真っ赤にしたまま、アスタロスが叫ぶ。
「さっさと行くぞ! あいつらの覚悟、無駄にすんじゃねぇ!」
牛鬼たちが一斉に咆哮し、前線へ突撃する。
「うおおおおおッ!!」
彼らの雄叫びが轟き、塔の前の魔物どもが一瞬怯んだ。
その隙を逃さず、ライカたちは塔へと走り出した。
*
塔の中は異様な空間だった。
外から見たときよりも広く、上下の感覚が曖昧だ。
石壁の間を、黒い霧が血管のように這い回り、光を飲み込んでいる。
「まるで……生きてるみたい」
ライカの声が震える。
「瘴気の流れが、コアの脈動だ。塔全体が一つの生体……いや、“呪体”ってとこか」
アスタロスが吐き捨てる。
シノが前に出る。
「気を抜くでない。来るぞ――!」
ガシャアアッ!
瘴気から黒鎧の騎士たちが現れる。
兜の奥には眼がなく、全身から呪力が漏れ出していた。
「《雷鳴轟斬》!!」
アスタロスが戦斧を叩き下ろすと、雷撃が通路を駆け抜け、騎士たちを一掃する。
だが倒れたはずの鎧が立ち上がり、次の瞬間、瘴気の刃を振るってきた。
「しつこいッ!」
「ライカ! 頼む!」
「まかせてっ!」
ライカが詠唱を開始。
「――《氷槍嵐》ッ!」
嵐のような氷槍が空間を埋め尽くし、敵の群れを貫いた。
瘴気が霧散し、静寂が戻る。
「……何やら、やばい場所じゃの」
シノが呟く。
「どの階層も、瘴気が濃くなってる。最上層、かなり危険だよ」
「危険上等だ!」
アスタロスが鼻を鳴らす。
「このまま突っ切るぞ!」
塔の中は、まるで果てがなかった。
足場のない空間に、浮かぶ魔方陣を足場にして進む。
途中、罠のように現れる瘴気の触手を、シノの《竜炎》が焼き払う。
ライカは《浄化陣》を展開しながら、瘴気を抑え続けた。
やがて――
最上階。巨大な門が姿を現した。
その扉には、“聖浄の紋章”が刻まれていた。
「これは……神殿の封印陣?」
ライカが目を見開く。
「やはり聖浄の神殿が……この塔を造ったようじゃの……」
「ってことは、守ってる奴は――」
ギギィ……と、門が自動的に開いた。
そこに立っていたのは――ひとりの聖導騎士。
だが、その姿は歪んでいた。
白銀の鎧は黒く染まり、背中からは闇の翼が生えている。
瞳は黄金に輝き、頭上には浮かぶ傲慢の紋章。
「……私は、聖浄の神に選ばれし者。
この塔を守護する者――《傲慢の聖導騎士・キュロス》」
声は低く、どこか誇り高かった。
だがその奥に、狂気が潜んでいる。
「貴様らか。塔を汚す不浄の者は……」
アスタロスが前に出る。
「聖浄の神殿の犬かよ。悪いが、街のために、てめぇをぶっ飛ばす!」
キュロスはゆっくりと剣を構えた。
その刃からは、白と黒、相反する光が滲む。
「愚か者ども。
我は神に最も近き存在。貴様らのような“混ざり物”が、神域に踏み入ることなど許されぬ!」
その瞬間、聖なる光と瘴気の雷が交差し、空間が揺らいだ。
「くっ……! やる気満々かよ!」
アスタロスが構え、ライカが詠唱を始める。
「――いくぞッ! “傲慢の塔”の守護者、叩き潰すッ!!」
雷鳴が轟き、竜気が唸る。
光と瘴気が交錯する戦いが、今――始まった。
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