070話 堕ちた街、ベレティック
ベレティックの街が見えてきたのは、夕日が地平に沈みかけた頃だった。
長い旅路を経て、ようやく帰ってきたというのに、アレフたちの胸には安堵よりも、ただ不吉な予感だけが渦巻いていた。
「……ア、アレフ……あれ……」
最初に異変に気づいたのはシノだった。
竜人の彼女が指さした先――街の中心部。そこには、以前にはなかった“塔”がそびえ立っていた。
黒曜石のような材質でできた異様な塔が、空を貫くように伸びている。その表面には脈動する光の紋が浮かび、まるで生きているかのようにゆらめいていた。
「……まさか……」
アレフが息を呑む。
塔を中心に、街の北と南――二つの方向に、巨大な魔法陣が広がっている。淡い蒼光が空を覆い、まるで都市そのものが結界に閉じ込められているようだった。
「あれは……ダンジョン化特有の現象……!?」
ダンジョンから生まれたデュラだからこそ、今現在、何が起きているのかを他の誰よりも理解していた。
地を這うように濃い瘴気が街を包み、腐臭と焦げた臭いが風に混じって漂ってきた。
「くそっ……間に合わなかったのか……!」
アレフは拳を握りしめた。
聖浄の神殿の企み――人工のダンジョン・コアによって街そのものを変質させる。
それが現実となって、目の前に広がっていた。
街の門が見える距離まで近づくと、惨状がはっきりとわかった。
瓦礫と炎。崩れた建物の隙間から、魔物の咆哮が響く。
逃げ惑う人々、剣を手に必死に戦う騎士たちの姿。
かつて穏やかで、笑い声が絶えなかったベレティックの街は、今や地獄のような光景へと変わり果てていた。
「……ひどい。みんな、ただ普通の生活を望んでいるだけなのに……」
ライカの声が震える。
彼女はこの街の出身ではないが、自分と似た境遇のこの街の人々とは、馴染み深い親近感を抱いていた。
それだけに、今の光景は胸に突き刺さるものがあった。
「泣くな、ライカ。まだ終わってねぇ。……救える命がある限り、俺たちがやるんだ」
アレフがそう言って前を向くと、皆の表情に再び気力が戻る。
彼らは急ぎ、混乱の中を突き進みながら、冒険者ギルドへと向かった。
街の中央区。かつて活気に満ちた広場を抜けると、そこにギルドの建物が見えた。
外壁はひび割れ、窓は割れ、外で数人の冒険者が負傷者の手当てをしている。
「お前たちは……以前ミーシャを救ってくれた、冒険者一行!?」
重い扉を押し開けると、重みのある良く通る声が響いた。
ギルドマスター――ガイル。
この街の冒険者をまとめるリーダーである。
その顔には疲労の色が濃く、左腕には包帯が巻かれていた。
しかし、その眼光はいまだ鋭く、諦めの色など微塵もなかった。
「ギルドマスター……ご無事でなによりでごさいます」
ジェームスが一礼する。
「なんとか、な。だが……この有様だ」
ギルドの中を見渡すと、床には負傷者が並び、治療の魔法光が淡く灯っている。
薬草の匂いと血の臭いが混ざり、誰もが沈痛な表情を浮かべていた。
「一体何があったんですか?」
アレフの問いに、ガイルは深く息を吐いた。
「……三日前だ。街の北と南、両方の地区で突然“塔”が出現した。最初はただの構造物かと思ったが……すぐに空に魔法陣が広がった。街全体を覆うような、見たこともねぇ規模のやつだ」
彼の声は低く、重かった。
「その直後、濃い霧が街を包み込んだ。瘴気のような……人間には耐えられねぇ代物だ。
霧が晴れた時には、もう……街の中に魔物が現れてた。建物の中から、地面の下から、どこからともなくだ。まるで街全体が――」
「――ダンジョン化した。」
アレフが静かに言葉を継いだ。
ガイルは驚いたように目を見開く。
「知っていたのか……?」
「ええ。……これは聖浄の神殿の仕業です」
その名を聞いた瞬間、ギルドの空気が一気に張りつめた。
周囲の冒険者たちがざわめき、ガイルは低く唸る。
「聖浄の神殿だと? まさか……連中が街を……!?」
「はい。彼らは“人工のダンジョン・コア”を作り出す実験をしていました。その試作体を使って、街そのものを“異端者狩り”の檻に変えたんです」
「……バカな、狂ってやがる……!」
ガイルは拳を握り、机を叩いた。
机が軋み、地図が床に落ちる。
アレフはその地図を拾い上げ、目を通した。
そこには、街の北と南に描かれた二つの塔の位置、そして周辺に広がる魔物の分布が記されていた。
「塔の中心に、それぞれコアがあると考えるのが自然ですね」
ジェームスが冷静に分析する。
「間違いねぇだろうな」
アレフが同意する。
「問題は、その塔を守ってる連中だ。神殿の連中がコアを放置するはずがねぇ。……きっと、守護者を配置してる」
「だろうな」
ガイルが頭を抱える。
「街の騎士団も手を出そうとしたが、塔に近づくほどに魔物の数が増えやがる。外に応援を頼もうにも、結界らしきもののせいで魔法も弾かれるし、通信魔法も届かねぇ。完全に隔離されてる」
「やはり、結界の類でしょうか……」
ジェームスが腕を組む。
その眉間には深い皺が寄っていた。
「……ああ。だが、ただの結界じゃねぇ。憤怒の因子に残っていた呪いの力が付与されてる」
アレフが目を閉じ、傲慢の神器へと意識を向ける。
(おい、プライド。お前の“同胞”の仕業だろ? なんとか出来ないのか?)
《……あれらは、すでに我の魂を離れた残滓。魂の繋がりなき器だ。ゆえに、我が干渉できる余地はない》
「魂の繋がりがない……つまり、意志を持たない“器”か」
《然り。神殿の手で制御されているならば、あれはただの呪力の塊にすぎぬ》
アレフは小さく舌打ちした。
「厄介だな……」
ガイルは重い声で言った。
「結界のせいで、街の外にも出られねぇ。援軍を呼ぶこともできん。残ってるのは、ここにいる連中だけだ」
「……つまり、この街を取り戻せるのは、俺様たちしかいねぇってことだな!」
アスタロスが声を大にしてに言う。
その声は、誰よりもやる気がこもっていた。
「そういうこった」
アレフが頷く。
「塔を壊す。いや、正確には中の“ダンジョン・コア”を破壊する。そうすりゃ、この呪いも結界も全部崩れるはずだ」
「だが、二つある。……どちらから行くのだ?」
デュラがアレフに問う。
アレフは地図を睨み、短く息を吐く。
「二手に分かれるしかねぇな。どっちも同時に叩かねぇと、神殿側が気づいて防衛を固める」
「危険すぎる!」
ガイルが警告する。
「相手は、神殿の狂信者どもだ。どんな魔物が潜んでいるのかもわからん!」
「それでも、やるしかない。……俺たちは、この街を救いに来たんだ」
アレフの声に、全員の視線が集まった。
その瞳は真っ直ぐで、恐れを知らぬ光を宿していた。
「それで、どう分けるのじゃ?」
シノが問いかける。
「俺とジェームス、それにデュラの三人で南の塔へ向かう。
ライカ、シノ、アスタロスの三人は北の塔だ」
「うむ。戦力のバランスを考えると、それが妥当じゃの」
シノが了承する。
アスタロスも軽く頷き、ライカは不安げにアレフを見た。
「……ほんとに大丈夫? お兄ちゃん、また無茶しない?」
「俺は不幸体質だからな。無茶ぐらいしか取り柄がねぇ」
「もう……ジェームスさん、くれぐれもアレフお兄ちゃんをお願いします」
「お前は俺の母さんか!」
ライカは苦笑し、彼の手を両手で握りしめた。
「約束してね。ちゃんと生きて戻るって……」
「……ああ。お前もな。」
短い沈黙の後、二人は笑い合った。
「こんな時に、見せつけてくれるの」
シノが呆れたように言う。
アスタロスも「フン」と鼻を鳴らし、肩をすくめた。
だが、その場の空気は不思議と温かかった。
血と瘴気に満ちた街の中でも、彼らの絆は確かに息づいている。
ガイルは静かにアレフの肩に手を置いた。
「頼む。……この街を、取り戻してくれ」
「ああ。任せてくれ。……ベレティックは、俺たちにとっても大切な街だからな」
アレフのその言葉に、ギルドの中にわずかな希望の光が差し込んだ。
疲れ果てた冒険者たちが、その声に背中を押されるように顔を上げる。
夜が更け、遠くで塔の光が再び脈動する。
それはまるで、ベレティックの心臓が苦しげに鼓動しているようだった。
アレフたちは、互いに頷き合い、武具を整える。
――次に目指すのは、死地。だが、その先に希望がある。
「行くぞ。……ベレティックを取り戻すんだ!」
アレフの号令とともに、六人の冒険者がそれぞれの塔へ向かって走り出した。
炎と瘴気の夜を切り裂くように――
その背中には、かつての仲間たちの誓いと、救うべき街の願いが宿っていた。
次回タイトル:071話 傲慢の塔 北区




