067話 《灰域の亡剣》リシェル
廃都リュサールに、再び風が吹き抜けた。
崩れ落ちた石壁の上に立つ女――その黒髪が、夜風を切り裂くように揺れていた。
月光が彼女の剣に反射し、鋭い光の筋を描く。
その刹那、アレフたちを苦しめていた“傲慢の鎧を纏う男”の右腕が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
ーーあまりにも速い。
誰もが視認できなかった。
アレフが息を飲む。
シノが呟いた。
「……い、今の……何が……?」
女剣士は静かに地上へ降り立つ。
鎧に支配された男の前に歩み寄ると、無造作に剣を肩へ担ぎ上げた。
そして、吐き捨てるように言った。
「アンタ……神殿の聖騎士だったな。 傲慢の呪いに喰われて、あっち側の“怪物”になっちまったか」
返事はなかった。
ただ、鎧に侵された男の瞳が赤く光り、呻き声を上げる。
「我ハ……神ノ代弁者……人ハ跪ケェェェェェ!!」
再び放たれる光の奔流。
だが、女剣士は眉一つ動かさない。
「うるさい。神の代弁者が聞いて呆れる」
その瞬間、彼女の剣が走った。
斬撃が空気を裂き、次いで“音”が遅れて届く。
傲慢の鎧を纏う男の身体が、一瞬にして五つに分断された。
白銀の軌跡が闇に溶ける。
男の身体は崩れ、あとには鈍い光を放つ黒銀の鎧だけが残された。
アレフは呆然と立ち尽くした。
シノが息を呑み、アスタロスが目を丸くする。
「……は、速すぎるだろ。兄貴……今の、見えたか?」
「いや……まるで空間ごと切り裂いたみたいだ」
女剣士は振り向き、淡々と血を払った。
その顔には疲労も達成感もない。
ただ、仕事を一つ終えたーーそんな無機質な静けさだけがあった。
「……《灰域の亡剣》、リシェル。 “聖浄の神殿”の依頼で、あの男を追っていたSランク冒険者だ」
彼女は自ら名乗った。
その声には硬質な響きがあり、何より迷いがなかった。
「そいつが各地でいろいろやらかしちまうもんだから、とうとう賞金首になっちまったらしくてよ。
神殿側としても、流石に見過ごせなくなっちまったらしい。で――Sランク冒険者の私に声がかかったってわけさ」
アスタロスが口を開けたまま呟く。
「……Sランク、だと? 化けもんかよ」
リシェルは軽く肩をすくめ、アレフをじろりと見る。
その視線は、鋭利な刃物のようだった。
「で――次は、あんたたちの番だ」
冷えた声。
その瞬間、アレフたちの背筋に緊張が走った。
「な、なんの話だよ……!」
アスタロスが慌てて言うが、リシェルはまるで聞いていない。
「とぼけるな……同じ呪いの気配が四つも集まっていると思えば……
案の定、仲間がいたわけだ」
視線がアレフの手元へーー“憤怒の手甲”と“強欲の指輪”。
さらに、背負う魔剣《暴食》。
そして首元に輝く《色欲》の首飾り。
「……なるほど。それぞれが一つの神器を所持しているのかと思っていたんだが……まさか、一人で“大罪神器”を四つも所持してるなんて、悪趣味なやつだね」
リシェルは、ほんの少しだけ口角を上げた。
だがそれは笑みではなく、断罪の前の静けさだった。
「誤解だ。俺たちは――」
「言い訳はいい。呪いを操る異端者なんざ全部“処分対象”だ。そこの憤怒と合わせて、あんたが身につけてる四つの神器をギルドか神殿に持っていきゃあ、がっぽり報酬が貰えるかもしんねぇだろ? ま、ちょっとした小遣い稼ぎさ」
言葉の終わりと同時に剣が鳴る。
鋼と鋼が擦れ合う音が、夜の廃都に響いた。
次の瞬間、リシェルが動いた。
地を蹴る音もなく、ただ残像だけが走る。
「ッく!」
アレフは咄嗟に強欲の指輪をかざす。
リシェルのスキルを奪おうとしたが、まるで通じない。
彼女の速度が、認識の限界を超えていた。
「“灰域流・一閃”」
その声が響いた瞬間、アレフの頬を鋭い線が掠め、血が飛ぶ。
アスタロスが咄嗟に戦斧を振るった。
「裂断衝ッ!!」
しかし、リシェルは軽く戦斧を受け止める。
金属が軋む音が鳴り、次の瞬間にはアスタロスの体が吹き飛んでいた。
「くそっ……速すぎる!」
ライカが詠唱を始めようとしたその刹那、リシェルの足が軽く動いた。
彼女の剣が風を裂き、ライカを弾き飛ばす。
(グリモワールが咄嗟に結果を張ってくれなかったら、いまごろ僕……)
違っていたかもしれない結果を想像し、青ざめるライカ。
「魔導士が呪いの補助に回るとはね……厄介だ」
「ま、待ってくれ! 俺たちはベレティックの街を救うためにその男を追っていただけだ――!」
「じゃあなんで“大罪神器”を四つも持ってる?
神殿が奪還を諦めた神器を、平然と使いこなす奴が“無害”なわけねぇだろ!」
アレフは歯を食いしばった。
リシェルの言葉に理屈があるのは分かっていた。だが、だからといって引くわけにはいかない。
「この力は……守るために使ってる!」
「“守るため”か。誰もがそう言うさ。
だが、呪われた神器ってやつは結局、人を蝕む。あの男がいい例だろう?」
リシェルが指した先には、崩れ落ちた“傲慢の鎧”がある。
黒い残滓がまだ空気中を漂っていた。
次回タイトル:068話 S ランクの断罪者




