066話 呪いに支配されし者
黒き霧が晴れた後も、アレフたちはしばらくその場を動けずにいた。
戦いの余韻と、監視者バルバドスが残していった言葉ーー《神殿の企み》という不穏な響きが、頭の奥に深く残っていた。
やがて、アレフは静かに立ち上がる。
黒曜石のような“強欲”の指輪が、彼の指で鈍く光った。
「行こう。……ベレティックを……ミーシャを守るために」
その声には、ためらいはなかった。
アスタロスが頷き、ライカも魔導書を強く握り締める。
こうして、彼らの新たな旅路ーー神器を持ち去った男を追う旅が始まった。
元々一つの魂からなる大罪神器は、呪力を介して“共鳴”として感じ取る特性を持っていた。
アレフはそれを頼りに、夜空を覆う星々の下を、各地へと転々とした。
最初に訪れたのは、山岳地帯に築かれた小さな交易都市。
そこでは、神殿の聖印を刻んだ巡礼者たちが不自然な数で出入りしていた。
アスタロスが道端で呟く。
「なぁ兄貴、あの白いローブの連中……どうも普通の神官には見えねぇな」
「ああ、神殿直属の“執行隊”だ。聖浄の神聖の手先だろう」
アレフは低く答え、視線を逸らさぬまま歩みを止めた。
「ここで何かを探している……傲慢の鎧を運んだ痕跡を辿ってる可能性が高い」
夜になり、人気のない裏通りで、ライカが小声で問う。
「アレフお兄ちゃん……神器は、まだ反応してるの?」
「微かにな。だが、まるで何かに遮られてるような感覚だ。呪力の波が……歪んでいる」
“呪われた神器”が放つ鈍い振動ーーそれは確かに、傲慢の鎧が近くを通った証だった。
しかし、その痕跡はまるで誰かが意図的に隠しているかのように、断片的で掴みきれない。
旅は続いた。
雪深い峠を越え、荒れた村を抜け、幾度となく神殿の追手を退けた。
アレフの呪力は次第に削られていったが、彼の瞳は決して曇らなかった。
そして、ある夜。
アスタロスが焚き火の前で静かに言った。
「……兄貴。どうしてそこまでして、ベレティックを守ろうとするんだ? 傲慢を手に入れたら、そのまま次の神器を取りに行けばいいんじゃねぇの?」
問いに、アレフは少しの間だけ沈黙した。
焚き火の炎が彼の横顔を照らし、指輪の黒が淡く揺らめく。
「……あの街は、“不幸体質”を持って産まれた俺の原点だ。人々から否定され、見捨てられ、“異端”と呼ばれた者たちが、それでも生きようとしてる。俺は、そういう場所をーーライカやミーシャが笑って暮らせる場所を壊させたくない」
ライカはその言葉を聞いて、小さく微笑んだ。
炎の奥で、アスタロスが鼻を鳴らす。
「……ったく、そういうとこが性分だよな。兄貴は。まぁ、ついてくぜ。どうせ俺ら、真っ当に生きるつもりなんざねぇしな」
アレフは少しだけ笑い、夜空を見上げた。
その視線の先、暴食の魔剣がわずかに反応した。
《呪力の波……今までよりも、はるかに強い》
「……来たな。傲慢の鎧だ」
*
翌朝、アレフたちは南方の廃都に辿り着いた。
かつては神殿直属の聖騎士団が駐留していたが、今は荒廃し、瓦礫の街と化している。
だが、中央の礼拝堂から、確かな呪力の脈動が感じ取れた。
「間違いない……ここにいる。」
アレフの声に、仲間たちは無言で頷いた。
皆息を潜め、崩れた壁の隙間から内部を覗く。
ーーそこには、一人の男がいた。
神殿の白衣をまといながらも、皮膚の一部が黒く変色し、金属のような光沢を帯びている。
その姿は、まるで鎧と一体化したかのようだった。
「やっと見つけた……傲慢の鎧を持ち去った男」
アレフが一歩踏み出した瞬間、男の背に刻まれた紋章が赤く輝いた。
次の瞬間、轟音とともに礼拝堂の柱が粉砕される。
圧倒的な衝撃波ーーそれはもはや人間のものではなかった。
「来ますッ!」
ジェームスが叫ぶより早く、男の拳が空気を裂いた。
アレフは身を翻し、間一髪でそれをかわす。
地面が陥没し、破片が宙を舞う。
「ハァァァァァッ――!!」
叫びとともに、男の身体から蒼白い光が噴き上がる。
その光はまるで意志を持つかのように歪み、背後に巨大な幻影ーー《傲慢の鎧》そのものを形作っていった。
「どうやら……鎧が、男を支配しておるようじゃの……!」
シノが緊張した声で呟く。
アレフは歯を食いしばり、魔剣を構えた。
「ラース、グリード……力を貸せ」
“憤怒の手甲”から噴き出した黒炎が、視界を遮るように男にまとわりつく。
同時に“強欲の指輪”が発動ーー指輪から伸びた“呪いの鎖”が男を捕える。
男の記憶の一部を奪い取り、そのエネルギーを自らの体へと流し込んだ。
だが、その瞬間、脳裏に鋭い痛みが走る。
傲慢の呪いが反発し、奪取の代償としてアレフの血管が赤黒く染まる。
「アレフ様! 無茶はおよしください!!」
「大丈夫だ……まだ、いける!」
アレフは叫び、奪い取った力で反撃に転じた。
その手から漆黒の閃光が放たれる。
しかし、閃光が男の鎧に触れた瞬間、強引にねじ曲げられたかのように閃光が弾かれた。
「何ッ……!?」
《傲慢の力だ。やつの呪いは、攻撃の威力に抗えるだけの呪力を持ち主から強引に引き出し、跳ね返す》
グラトニーの声が脳裏に響いた直後、別の声がアレフの耳に響く。
《我は神の鎧に選ばれし者……貴様ら、塵に等しき異端が抗えるものか!》
その声は、男のものではなかった。
礼拝堂全体に響くそれは、まるで鎧そのものが語っているようだった。
「……喋った、鎧が」
《否――傲慢の意志が宿っている》
グラトニーの言葉にアレフの目が細められる。
「教えろ。神殿は、何を企んでいる?」
すると、“声”が応えた。
傲慢の鎧が歪み、男の身体を覆う金属の口がゆっくりと開いた。
《聖浄の神殿は、新たな神を創り出す。
その核となるのは、我――傲慢の力だ》
「新たな……神、だと?」
《そう。人が神に成る道を。
奴らは人工のダンジョン・コアを造り出し、この地に蔓延る全ての“異端”を滅ぼそうとしている。
ベレティック……あの異端の街は、“最初の生け贄”だ。ダンジョンが生み出す魔物どものな》
ライカが絶句した。
シノが怒りに拳を震わせる。
「ベレティックを……生け贄にじゃと!?」
アレフの表情から、言葉が消えた。
指輪が脈動を強め、周囲の空気が震える。
「……神殿のやつら、本気で世界を書き換える気か」
《そうだ。そして、我を媒介として――“傲慢の因子”でこの世を満たす》
「なら……その計画、ここで終わらせる」
アレフが指輪に呪力を流し込むと、黒い光が奔った。
奪われた力をさらに奪い返す、“強欲”の逆流。
男の鎧が軋み、苦鳴が響く。
だが、傲慢の呪いは強大だった。
男の身体が膨張し、皮膚が裂け、鎧が全身を包み込む。
光と闇がぶつかり合い、廃都の空が裂ける。
「兄貴、やべぇぞッ! このままじゃ――!」
「分かってるッ!」
アレフは指輪に残る最後の呪力を絞り出した。
だが、傲慢の鎧が放った光の奔流に呑み込まれ、彼の身体は後方へ吹き飛ぶ。
ライカが悲鳴を上げ、アスタロスが叫ぶ。
「兄貴ィッ!」
男の姿が光の中に立つ。
もはやその瞳に人の理性はなく、傲慢そのものの狂気が宿っていた。
《跪け、異端者ども。これが“傲慢”の力だ――!》
次の瞬間、轟音とともに大地が割れた。
だがその爆光の中に、一筋の銀閃が走った。
斬撃。
風すら裂く音とともに、男の腕が宙を舞う。
アレフが目を見開く。
そこに立っていたのは、一人の女剣士だった。
長い黒髪を風に靡かせ、蒼い瞳が冷たく光る。彼女の背には、淡く輝く聖剣のような刀身。
その姿は、光と影の狭間に生きる戦士のようであった。
「……誰だ、あんたは」
アレフの問いに、女剣士は短く答えた。
「……《灰域の亡剣》、リシェル。神殿の“賞金首”を討ちに来た」
その声が、破壊された廃都に静かに響き渡った。
次回タイトル:067話 《灰域の亡剣》リシェル




