064話 恋と笑いのベレティック脱出劇
朝の光が、ベレティックの街を淡く照らしていた。
孤児院の前では、子供たちが笑顔で手を振っている。
ミーシャはその中で、少し涙ぐみながらも笑っていた。
「アレフお兄ちゃん、ほんとうにありがとう。また、絶対……絶対会いに来てね!」
「ああ、約束だ。それでお前がここで笑っていられるなら、それが一番だ」
アレフの短い言葉に、ミーシャは何度も頷いた。そして、アレフたちは街の通りを抜け、北西へと向かう石畳の道を歩き出す。
次なる目的地ーー軍事国家ヴィクター。
その首都にあたる傭兵の街。
“B”ランク神器の一つ、“傲慢の神器”が眠るダンジョンが存在すると言われる地だ。
静かな出立のはずだった。
だが、運命というものは、どうにも静寂を好まない。
街の門へと向かう途中ーー
その道の先に、数人の影が立ち塞がった。
「……おいおい、また厄介なのがいるな」
アスタロスが戦斧を担ぎ、前に出た。
目の前には、あの時アスタロスが広場で蹴散らした亜人たちの姿。
牛頭の亜人、猪人、蜥蜴人の戦士たちが、ずらりと並んでいる。
「なんだ、てめぇら? 仕返しにでも来たのか?」
アスタロスの低い声に、前列の手下たちがざわつく。
しかし、すぐにその間が開かれた。
ーー違う。道を譲ったのではない。
彼らの間を抜けて、一際大きな影が前に出る。
角の形も、筋骨の張りも、一段と異様。
その牛頭の亜人は、鼻息荒く、アスタロスの前で立ち止まった。
「てめぇ……あのときの牛野郎か」
アスタロスが眉をひそめる。
彼は牛鬼ーーその名はダンク。
この辺り一帯を牛耳っている小派閥の頭だ。
そして今、彼の瞳には怒りではなく、何か別の炎が燃えていた。
*
話は少し時を遡るーー
場所は、ベレティックの裏通り。
薄暗い倉庫のようなアジトに、怒号と唸り声が響いていた。
「くそっ! あの牛娘……今度会ったらタダじゃおかねぇッ!」
「そうだとも! 牛鬼の兄貴が本気を出しゃあ、あんな女、瞬殺でさぁ!」
「ね? そうっすよね、兄貴!」
手下たちの怒声の中、リーダー・ダンクは腕を組んで黙っていた。
その表情には、怒りではなくーーどこか虚ろな陶酔があった。
「……あ、兄貴?」
怪訝そうに首をかしげる手下たち。
すると突然、ダンクは天を仰ぎ、口を開いた。
「惚れた……」
「は?」
「兄貴、今なんて?」
アジトが静まり返る。
「アイツ……あの牛娘……拳を交えた瞬間、俺は分かった。あれが避けられない運命ってやつだ!」
手下たちは混乱の極みだった。
「決めた! 行くぞ、野郎共! この押さえきれねぇ衝動を、あの女に直接ぶちかますッ!!」
「そうだとも! 今度こそ、牛鬼のーー兄貴の力を思い知らせてやりましょう!」
やはりさっきの言葉は聞き間違いだったのだと、手下たちが意気込む。
こうして、愛に暴走した牛鬼ダンクと、その愉快な子分たちはアジトを飛び出した。
そしてーー現在。
アスタロスの前で、牛鬼ダンクが立ち止まる。
その胸には、場違いにも色鮮やかな花束。
「懲りねぇやつだな。……また、この俺様にぶっ飛ばされ――」
アスタロスの言葉が終わるより早く、ダンクが叫んだ。
「姉さんに惚れやしたぁぁぁ!!」
……時間が、止まった。
アレフ、ライカ、シノ、ジェームス、デュラでさえ……
全員の顔に同じ反応が浮かぶ。
「は?」
アスタロスの眉間がピクピクと跳ねた。
「……は、ぁ?」
必死に笑いを堪えるアレフたち。
しかしダンクは止まらない。
花束を胸の前に掲げ、片膝をつく。
「俺は牛鬼のダンク! どうか、俺の子を産んでくれ!!」
「……子……ども……だと……!?」
アスタロスの目が泳ぎ、頬が一気に真っ赤に染まる。
必死に唇を噛んで笑いを堪えるアレフたちだったが、それももはや限界だった。
「ぷっ……」
「シ、シノ……だめだよ、笑っちゃ……!」
「ひっ……! む、無理っ……!」
「こ、子供だってよ……!」
爆笑の連鎖。
アレフでさえ、口元を押さえて肩を震わせていた。
「笑ってんじゃねぇぇぇぇぇッ!!」
アスタロスの怒号が響く。
その顔は完全に茹でダコだった。
「ふ、ふざけんじゃねぇ! 寝言は寝てから言いやがれってんだ! この、ド変態牛野郎ぉぉぉぉぉッ!!」
次の瞬間ーー
戦斧が唸りを上げた。
轟音と共に、牛鬼ダンクの巨体が宙を舞う。
まるで流星のように、一直線に空の彼方へ飛んでいった。
「兄貴ぃぃぃぃッ!!!」
手下たちが涙ながらに追いかけていく。
残されたアレフたちは、地面に座り込むほど笑い転げた。
「……っはははははっ! やっぱりアスタロス、おまえ最高だよ!」
「やかましいッ!!」
戦斧を構えたままのアスタロスが怒鳴る。
耳まで真っ赤に染まりながら、地面を踏み鳴らす。
「あの野郎……次に会ったら焼き肉にしてやる!!」
「それを言うなら、ひき肉だろ?」
恥の上塗りをするアスタロスだった。
事件の余韻を背に、アレフたちは再び街を後にした。
ベレティックの門を出た頃には、全員の表情がすっかり和らいでいた。
「……アスタロスさん、あんなに顔真っ赤にして怒るなんて珍しいね」
ライカが笑いながら言う。
「黙れ。忘れろ。あれは夢だった。いいな!」
「夢って便利な言葉だね」
ライカが冷ややかに呟く。
アレフは苦笑しつつ、背中の荷を直した。
「まぁ、悪い夢ではなかったろう。笑って出発できた」
「ま、そうだな」
アスタロスは鼻を鳴らす。
「……それよりも、良かったのか?ライカ。 あの街なら、ハーフエルフのお前を受け入れてくれたはずだ」
アレフがそっとライカに問いかける。
「うん。僕はお兄ちゃんたちと行く。 だって、いまの僕の居場所はここだから...…」
ライカはアレフの手を取り、嬉しそうに微笑む。
「……そうか」
アレフの口からは、それ以上の言葉は無かった。
街を離れるにつれ、風が冷たくなっていく。
遠くに見える山脈。
その向こうがヴィクター領。
「ヴィクターは、軍が国を支配してるという話です。民間の街フォルティスも、半分は傭兵で成り立ってるらしいですな」
ジェームスがベレティックで得た情報を口にする。
「つまり、喧嘩好きが集まる街ってわけじゃの?」
「アスタロスさん……自重してくださいね」
ライカの刺すような眼差しがアスタロスに向けられる。
「あれは俺様のせいじゃねぇ! それと、二度と“牛”の話はするな」
笑いが起きる。
荒野の風に、その声が心地よく響いていた。
数日後。
乾いた風が鉄と油の匂いを運ぶ。
眼前にそびえるのは、黒鉄の城壁ーー傭兵の街。
無数の鍛冶屋が火を噴き、訓練場では剣戟の音が絶えない。
通りを行き交うのは、金で雇われた兵士、冒険者、そして戦争商人。
「すげぇな……街全体が戦場みてぇだ」
「腕を試すには、うってつけの場所でしょうな」
「誰かさんが恋の戦場で敗れたばっかりじゃがな」
「言うなっつってんだろ! それと、俺様は敗けてねぇ!」
アスタロスの怒声を背に、アレフは視線を街の中央へと向ける。
そこには、軍神を祀る“カストルム神殿”が建っていた。
神殿の地下は、かつて神聖なる水が湧き出る泉があったとされる聖堂跡になっている。
その聖堂跡こそが“傲慢の神器”が眠るダンジョンだった。
「次の神器、“傲慢の鎧”……か」
陽が落ち、街が橙に染まる。
その中心で、アレフたちは立ち止まった。
「行こう。次の戦場へ――」
傭兵たちの喧騒の中、アレフのローブが風に翻る。
その背中を追って、仲間たちも歩き出す。
しかし、アレフたちは知らない。
笑いと怒号、血と鉄、そして誇りが渦巻く街。
その地下に眠る“傲慢”が、すでに奪われていることをーー
次回タイトル:065話 奪われた傲慢、創られた神




