055話 黄金郷ザナドゥ
夜明け前のザーバラの街は、昨夜の宴の余韻をまだ残していた。
広場には転々と酔いつぶれた冒険者が転がり、どこからか楽器の余韻が微かに聞こえる。
砂漠の冷たい風が、徐々に陽光に押し流され、街を新しい一日の空気で満たしていった。
その門前に、アレフたちの一行が立っていた。
アスタロスは未だ頬に青あざを残し、昨夜のオアシスでの騒動を夢だと信じ込んでいる。
彼の愛用の戦斧は、何故かしっとりと水気を帯びており、振るうたびに微かに蒸気を発していた。
「……まさか、本当に水の加護が宿ったのか?」
仲間が首を傾げるたび、アスタロスは昨夜のことを必死に思い出そうとするが……
「……ダメだ。全く記憶がねぇ」
結局、釈然としない様子で、ズキズキと痛む顔の痣を擦るだけだった。
そんな軽いやり取りを背に、アレフは歩みを止め、振り返る。
その手には、昨夜手に入れた呪われた神器――
《嘆きのワンド》が握られていた。
黒曜石のように光を吸い込む杖。その存在感は重々しく、ただ握っているだけで心の奥を侵食してくるかのような威圧を放っていた。
だが、グラトニーの主であるアレフにとって、その呪いの影響は届かない。
彼はただ冷静に、その杖を布で覆い直すと、深く息を吸った。
「次の目的地を決める。――“強欲”か、“傲慢”か」
言葉に応じて、一行の空気が引き締まる。
次なる神器の在処は二ヶ所。
“強欲”の指輪か、“傲慢”の鎧ハーフアーマーか。
二つとも“B”ランクのダンジョンに眠る神器と伝えられていた。
「まずは……“強欲”の指輪からだ」
静かだが揺るぎない声音で、アレフは決断を告げる。
「理由は?」と問うたのはシノだ。
彼女の銀の髪は朝日に照らされ、清冽に光る。
「強欲の神器が眠るダンジョンは……大陸一の巨大な商業都市“ザナドゥ”にある。あの街では様々な情報が行き交ってるはずだ。残りの神器や新たな呪具の情報もきっとある」
言葉に嘘はなかった。
“傲慢”の鎧が持つ潜在的な能力も無視できないが、“ザナドゥ”の街には世界中から優秀な商人、腕利きの護衛、そして強力なスキルを持つ冒険者が集まっている。
昼間は活気に満ちた市場、豪華絢爛な宮殿や大商人の屋敷が並び、誰もが一攫千金を夢見ている。
しかし夜には裏通りで闇取引が行われ、地位や富のためなら手段を選ばない強欲な人々が暗躍している。
アレフの選択は理にかなっていた。
「ふん。どっちでも構わねぇ。強欲だろうが傲慢だろうが、俺様がぶっ倒してやるだけだ」
アスタロスは肩を鳴らし、青あざの顔を歪めて笑う。
「まずは、その顔の傷を治してから言うことだ」
デュラが冷ややかに突っ込みを入れ、思わず一行の緊張が緩む。
かくして、彼らの次なる旅路は決まった。
目指すは――商業都市ザナドゥ。
黄金と欲望が渦巻く世界最大の富の坩堝。
そこに眠る“強欲”の指輪を手に入れるため、一行はザーバラを後にした。
ザーバラからザナドゥへ至る道は、砂漠の大街道を越え、さらに国境を越える長旅である。
彼らは道中、商人のキャラバンに同行することになった。
「ザナドゥを目指すのか? ならばちょうど良い。護衛の数は多い方が安心だ」
そう言って手を差し伸べてきたのは、肥えた体に金糸の衣をまとった大商人ファティマであった。
彼の商隊は数十頭のラクダと護衛を従え、香辛料、宝石、絹織物などを積み込んでいた。
「ザナドゥは甘くないぞ。金を持たぬ者は奴隷に堕ち、心を持たぬ者は強欲に喰われる」
ファティマは揺れる天幕の中で、杯を傾けながらそう警告した。
「だが、そこで一攫千金を得られるのもまた事実。富を夢見る者にとって、あそこほど魅力的な場所はないのだ」
その言葉を聞きながら、アレフは無意識に《嘆きのワンド》へと手を伸ばす。
欲望――それは人を突き動かす力であり、同時に破滅へ導く呪いでもある。
“強欲の指輪”は、そんな人の本質を映す神器に違いなかった。
夜。砂漠の冷気が降りる中、一行は焚き火を囲み、警戒を怠らなかった。
やがて、闇の中から盗賊団が襲いかかる。
十数人の影がキャラバンを包囲するが、しながらの竜爪が閃き、アスタロスの戦斧が唸りを上げる。
ライカの氷の矢が盗賊の膝を撃ち抜き、黒炎を纏ったアレフの魔剣が盗賊を焼き払う。
盗賊たちは瞬く間に制圧され、残党は砂漠の闇へと逃げ散った。
「やれやれ……強欲の街に行く前から、命を狙われるとは……アレフ様の不幸体質は相変わらずですな」
ジェームスが息を吐き、焚き火に小枝を突き刺す。
「欲望に飢えた連中は、どこにでもいるものじゃ」
シノがフードを脱ぎ、夜空を見上げる。星々は砂漠を照らし、静寂を広げていた。
こうして幾日もの旅路を経て、一行はついにその街の姿を目にする。
ーー黄金郷ザナドゥ
それは、砂漠の果てに忽然と現れる巨大な蜃気楼のようだった。
遠目にも煌めく黄金の尖塔、絢爛豪華な宮殿、果てしなく広がる市場。
街を囲む城壁は白大理石で築かれ、陽光を浴びて輝いていた。
「……まるで別世界だな」
アスタロスが思わず息を呑む。
街へ足を踏み入れると、そこは人の波だった。
商人が声を張り上げ、奴隷商が鉄鎖を引き、旅人が宝石を掲げて取引する。
香辛料の匂い、焼き肉の香り、そして金貨の音が混ざり合い、まさに“富の坩堝”と呼ぶにふさわしい喧騒が広がっていた。
「ここが……大陸随一の商業都市ザナドゥ」
アレフは足を止め、街の奥に聳える白亜の宮殿を見据える。
その地下深く――“強欲”の指輪が眠るダンジョンがあるとされていた。
だが、彼らが足を踏み入れたその瞬間から、街の空気が変わる。
金に群がる商人たちの視線、裏通りで蠢く暗殺者の気配。
まるで街そのものが試練の舞台となり、彼らを呑み込もうとしているかのようだった。
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