054話 精霊の加護は鼻血とともに
死霊王の討伐が終わり、街には解放の喜びが満ちていた。
広場で催された宴は夜を徹して続き、酒樽は空になり、焚火の炎は絶え間なく燃え盛る。
アレフたちも人々と肩を並べ、久しぶりに心安らぐ時間を過ごしていた。
……もっとも、その中のひとりだけは酒に呑まれ、ろれつが回らなくなっていたが。
「ふふん……どーだ! 俺様がいなけりゃ、あのリッチだって粉砕できなかったんだぞぉ! わははっ! 飲め飲めェ!」
豪快に酒瓶を煽り、胸を張って笑うのは牛娘アスタロスである。
仲間のライカが呆れた顔で額を押さえ、シノは無言で視線を逸らす。
ジェームスに至ってはーー
「これは、特殊な頭痛薬を調合せねばなりませんね……」
などと首を横に振りつつも止める気はなさそうだった。
だが、さすがのアスタロスも次第に視界がぐらつき始め、ついにはふらふらと広場を離れていった。
「うぅ……ちょいと風にあたってくる」
月光に照らされながら千鳥足で茂みを抜けた先――そこには街外れのオアシスが広がっていた。
砂漠に囲まれたこの街にとって、唯一の命の泉。
古より聖女と水の精霊の契約により、澄みきった水が絶えず湧き出ているという。
夜風が頬を撫で、泥酔した頭を少しだけ冷やしてくれる。
アスタロスは喉を鳴らしながら腰を下ろそうとした、その時だった。
「……ん?」
背後の草むらがガサリと揺れる。
アスタロスは反射的に戦斧を構え、鋭い眼光を放つ。
「誰だッ!」
緊張が走る一瞬。
だが草むらからぴょこんと飛び出してきたのは、ぷるぷると光を帯びた半透明の小さなスライムだった。
それは、オアシス周辺に生息し、水を浄化したり、周辺のゴミや汚れを食べてくれるといった無害な生物、“スピリッツスライム”であった。
水の精霊が生み出したとされる特殊個体である。
「チッ……ただのスライムじゃねぇか。驚かすんじゃねぇ!」
アスタロスが戦斧を下ろした直後だった。
スライムがぴょん、と跳ねてアスタロスの胸へと飛びつく。
「どわぁっ!? いきなり何しやが……ひゃ、ひゃああ!? ちょ、そ、そこはやめ……っ!」
豊満な胸に張りついたスライムは、ぷにぷにと震えながらもぞもぞと動き回る。
まるで同族を見つけてじゃれつく子犬のように。
「お、俺様の胸はスライムじゃねぇぇぇ!!」
顔を真っ赤にして悶絶するアスタロス。
その拍子に、手から滑り落ちた《グロウアックス》がオアシスの泉へと沈んでしまった。
「うわああっ! 俺様の相棒がぁぁぁ!!」
慌ててスライムをひっぺがし、草むらへ放り投げる。
ぷるんと弾んだスライムは悪びれる様子もなく、再びオアシスの縁を跳ね回っていた。
もはや届かぬと知りつつも、必死に手を伸ばすアスタロス。
そして、ガックリと膝をついたその時、水面が揺らぎ、泉から美しい女性の姿が現れた。
透き通るような青髪に水晶の瞳を持つ、水の精霊である。
「お前が落としたのは――このオリハルコンの斧か?」
唐突に問う精霊。
手にしていたのは黄金に輝く見事な戦斧。
だがアスタロスは鼻を鳴らす。
「ちげぇよ! 俺様の戦斧はそんな陳腐なもんじゃねぇ!」
「ち、陳腐……!? ま、まぁ良いわ」
精霊の眉がぴくりと動く。
唇を引きつらせながらも、次の斧を掲げた。
「……では、こちらのミスリルの斧か?」
「だから違ぇって言ってんだろ! てめえ、わざとやってんのか! さっさと俺様の相棒を返しやがれッ!?」
完全に八つ当たりじみた言葉に、ついに精霊の堪忍袋が切れた。
「……誰がんなもんいるかぁぁ! さっきから何なのよ、あんた! オリハルコンが陳腐? はぁ? まさか、戦斧と陳腐をかけたつもり? 全っ然笑えないからッ!」
怒声とともに、水面から飛び出したのは本物の《グロウアックス》。
「黙示録……いえ、今はベータと名乗っていたわね……。との契約だから、仕方なく水の加護を付与してやっただけだっつうのッ!!」
水の精霊は戦斧を手にすると、大きく振りかぶる。
「さっさと持って帰りやがれ! この牛野郎ッッ!!」
「おい待て、落ち着け精霊! あ、危な――」
言葉の終わりを待たず、斧は凄まじい速度でアスタロスの顔面へ放たれた。
避ける間もなく、峰の部分が見事に彼女の鼻梁に直撃する。
「ぶほぉっ!!?」
星を散らし、アスタロスはそのまま地面に沈んだ。
「フンッ! なんで、こんな失礼な牛野郎に加護なんか……まったくもう!」
ぷんすか怒りながら、精霊は泉の底へと消えていった。
翌朝。
朝になっても戻らないアスタロスを心配したアレフたちがオアシスに駆けつけると、そこには涎を垂らしながら気絶している彼女の姿があった。
顔には大きな赤い痣が残り、鼻には詰め物がされている。
「おい……これは一体!?」
「きっと、飲みすぎてぶっ倒れただけじゃろ……」
シノが淡々と答える。
「アスタロスさん……」
ライカは残念なものを見るような眼差しを向けていた。
当のアスタロスは、目を覚ますなり頭を押さえ、夢うつつに呟いた。
「う、うぅ……変な夢見たぜ。……胸にスライムが絡みついてきて、精霊にぶん殴られて……へへっ、バカな夢だ」
仲間たちは顔を見合わせ、苦笑を浮かべるしかなかった。
だが彼の戦斧は、いつの間にか蒼い光を帯びていた。
斧を振るえば、水の波動が迸り、灼熱の砂漠をも冷やす力が宿っている。
――それが、水の精霊から与えられた“加護”であることを、当の本人は全く気付いていないのだった。
こうして宴の夜は幕を閉じ、
彼らの旅路は再び砂漠を越えて続いていく。
次回タイトル:055話 黄金郷ザナドゥ




