048話 仮初めの勝利
死霊王リッチの骸は、砂のように崩れ、広間全体へと散っていった。
かつては幾多の兵や冒険者を葬ってきた冥府の王。その姿はもう、どこにもない。
だが――静寂の中に立つアレフたちの胸中には、決して晴れやかな勝利の余韻だけがあるわけではなかった。
「……終わった、のか?」
アレフが呟いた。剣を下ろした彼の腕は痙攣し、呼吸も荒い。
ジェームスは眼鏡を指で押し上げ、慎重に広間を見渡した。
「いえ。やはり、まだかと……」
《リッチの“器”は滅んだ。だが、あれはあくまで仮初の肉体に過ぎぬ。根源たる“心臓部”が存在する限り、奴は幾度でも甦る》
答えたのはグラトニーだった。
ライカが魔導書を抱きしめ、不安げに声を震わせた。
「じゃあ……また、戻ってくるの?」
「そうでしょうな」
ジェームスは冷然と告げる。
「しかも、今の我々の探索では、その“心臓部”とやらを見つけることはできなかった……」
重苦しい言葉に、場の空気が一層沈む。
勝利は確かだ。
だが、それは刹那的な平穏にすぎない――誰もがそう理解していた。
アレフは剣を背負い、静かに玉座を振り返った。
そこにはもう骸もなく、ただ冷たい石の座があるだけだ。
「……なら、心臓部を探すまでだ」
彼は静かに言い放った。
「このまま放置すれば、街はまた夜ごとに死霊に苛まれる。それを繰り返すわけにはいかない」
シノは腕を組み、深く頷いた。
「その通りじゃ。人々の安寧を守るためにも……必ず本体を倒さねばならぬ」
ライカは力なく笑みを浮かべた。
「でも、少しは……街の人たちに休息を届けられたよね。数日は、死霊が現れないんだから……」
ジェームスは目を伏せ、静かに言葉を添えた。
「それが、せめてもの救いですな」
四人は崩れ落ちた広間を後にし、暗い回廊を戻り始めた。
足音だけが虚ろに響く。
だがアレフの心には、奇妙な感覚が残っていた。
――リッチの最期の言葉。
「我が命脈は……常に最愛の者と共にある」
それが単なる虚勢なのか、それとも核の在処を示す手掛かりなのか。
考えれば考えるほど、答えは遠ざかるばかりだった。
外に出ると、既に夜明けが近づいていた。
ザーバラの街を覆う砂漠の空に、薄い光が滲み始めている。
死霊王は確かに倒した。だが、根本的な問題は何一つ解決していない。
それを告げねばならないことに、四人の足取りは自然と重くなった。
それでもアレフは、微かに口元を吊り上げた。
「……次の一手を考えるのは、それからだ」
彼の目は、既に次なる戦いを見据えていた。
――死霊王の復活を止める術を探し出すために。
砂漠に昇る朝日が、四人の背を照らす。
その光は希望であると同時に、未だ終わらぬ闘争の幕開けを告げていた。
ザーバラの街に戻ると、既に市民たちはざわめいていた。
夜ごと街を脅かしていた死霊が、昨夜は一体も現れなかったのだ。
人々は「勇者が討ち果たした」「神が奇跡を起こした」などと噂し合い、街全体が久方ぶりの安堵に包まれていた。
アレフたちの姿を見つけた子どもが駆け寄り、無邪気に叫んだ。
「お兄ちゃんたちがやっつけたんだろ!?」
「死霊、もう出ないんでしょ!」
ライカは戸惑いながらも笑顔を作り、子どもたちの頭を撫でてやった。
「うん、しばらくは大丈夫。だから、安心して眠れるよ」
その言葉に母親が深々と頭を下げ、涙を浮かべて感謝を述べた。
「……本当に、ありがとうございます……」
だがアレフの表情は固いままだった。
希望を与えることは大事だ。
けれど虚偽で安心させることは、彼にとって居心地の悪いことでもあった。
冒険者ギルドに到着すると、普段のざわめきは影を潜め、疲弊した冒険者や職員たちが机に突っ伏していた。
アレフたちが入ると、一同の目が一斉に向けられる。
「……戻ったか」
受付に立つ若い職員が顔を上げ、安堵の笑みを浮かべる。
「街には昨夜、死霊は出ませんでした。皆、あなた方のおかげだと……」
しかし、アレフは首を横に振った。
「依頼は失敗だ。 確かに死霊王は倒した……だが、心臓部は見つからなかった。数日後には復活するだろう」
職員は深刻そうに眉をひそめ、すぐさま上階へと案内した。
二階の応接室。そこにはギルドマスター、老練な男オルドが待っていた。
彼の顔には数日の疲労が色濃く刻まれていたが、アレフたちを見るとわずかに和らいだ。
「……ご苦労だったな」
オルドは低く言い、椅子に腰掛けるよう促した。
アレフたちは席に着き、ピラミッド内部での出来事を順に語った。
怨霊の群れ、仕掛けの罠、そして死霊王リッチとの戦闘。
最後に「リッチの器は滅ぼしたが、心臓部を見つけられなかった」ことを明言すると、オルドの顔に苦渋が浮かんだ。
「……やはり、そうか」
彼は掌を握り締め、机を叩きそうになって自制した。
「我らも騎士団や冒険者を幾度も送った。リッチは必ず倒される。だが数日後には、何事もなかったように甦る。それが繰り返されてきた」
オルドは深いため息をつき、苦々しく言った。
「原因は明らかです。核――心臓部を破壊せぬ限り、リッチは無限に甦る」
ジェームスが冷静に言葉を紡いだ。
眼鏡を外し、静かに磨きながら言葉を続ける。
「問題は、心臓部をどう探し出すか……ですな」
「隠し部屋や隠し通路を見逃した可能性があるんじゃないか?」
アスタロスが珍しくまともな意見を口にする。
しかしーー
《あの墓場からは“呪いの気配”は感じなかった》
声の主は、腰に下げた黒剣《暴食の魔剣グラトニー》だ。
戦いの最中は沈黙していたが、時々こうして隙を突くように言葉を投げかけてくる。
「……あの場所以外の別の場所に……ある?」
「そういえば、ピラミッドは複数あると言っておったの……」
シノの言葉にアレフはしばし沈黙する。
「手掛かりがない以上、可能性がある場所を当たってみるしかねぇな……」
こうしてアレフたちは、一時の平穏を街に取り戻しながらも、次なる探索への決意を固めたのだった。
次回タイトル:049話 最愛の者の墓を求めて




