046話 死者の眠る聖域 後編
ピラミッドの入口を抜けてから、どれほどの時が経っただろうか。
砂の匂いと古の瘴気が入り混じった空気は、肺を焼くように重苦しく、歩を進めるごとに身体が鉛のように重くなっていく。
「……ふぅ、さっきから妙に息が詰まるな」
アレフが眉をひそめる。
「瘴気のせいじゃの。普通の人間なら、もうまともに動けなくなってるはずじゃ」
シノが冷静に答える。
竜である彼女は瘴気への耐性が強いのか、息一つ乱れていない。
アレフは剣を握りしめ、周囲を見渡した。
石の壁には古代文字が刻まれ、そこかしこに崩れ落ちた石棺や壊れた供物の壺が散乱している。
天井は低く、時折、砂がはらはらと落ちてきては頭上に薄い砂の幕を作る。
「しかし……思った以上に、迷路みてぇな構造だな」
アスタロスが苛立った声で言った。戦斧を肩に担ぎながら、狭い通路を進む。
「ピラミッドの中は“死者が生前歩いた迷宮”を模して作られると聞いたことがあります。……迷わせるのも、死者を守るための仕掛けのひとつだそうです」
ジェームスの言葉に、ライカは青ざめた顔で頷いた。
「迷うだけならまだいいけど……出られなくなるのは、絶対イヤだよ……!」
彼らが歩を進めるたび、足音が反響し、虚ろな空洞に響き渡った。
その時――
唐突に彼らを迎えたのは――地を這う黒い霧だった。
それはゆらりと形を変え、人の姿を模した。
空洞の瞳孔を持ち、口を開くと、無数の嘆きが同時に溢れ出す。
「レ、レイス……!」
ライカが怯えた声をあげ、反射的にグリモワールのページをめくった。
レイスの群れは十を超え、壁や天井からにじみ出るように現れる。
肉体を持たず、生きる者の生命力を吸い取る、冷気を伴った魔物。
生者の温もりを求めて這い寄るその姿は、ただ存在するだけで仲間たちの体温を奪っていく。
デュラが前に出て、盾を構える。
「来るぞ! 正面は我が受ける!」
最前線を守るデュラを中心に、仲間たちは即座に陣形を組む。
アレフは剣を抜き、アスタロスは戦斧を構え、シノは炎の竜気を練り上げていく。
レイスの一体が思念体のデュラには目もくれず、彼をただすり抜け、ライカへと突っ込んだ。
「輝印結界!!」
しかし、彼女に触れようとした瞬間、光の印が浮かび上がり、レイスを弾き飛ばす。
「やった! 光属性は通るみたい!」
「なら、次は炎を試してみるか!」
ライカ叫びに呼応し、アレフは剣を黒炎で覆い、一閃を放った。
斬撃は確かにレイスの身体を焼き、霧散させる。
シノも負けじと炎の息を吹きかける。
だが数が多い。
次々と現れる怨霊が、耳を劈く叫び声をあげ、隊を飲み込もうと迫った。
「――瘴気の壁!」
周囲の空気が、一瞬で病的な緑色に染まった。
デュラが叫ぶやいなや、胴体から凄まじい勢いで濃密な瘴気が噴き上がり、襲い来るレイスの群れとこちらの間に、厚い障壁を築き上げた。
それはただの瘴気ではない。呪力が凝縮された、呪いの壁だ。
先頭を切っていた数体のレイスが、その瘴気の壁に触れた。
「ヒッ……!」
幽体の体表が瘴気に触れた瞬間、激しく「焼ける」ような反応を示した。
無形の存在であるはずのレイスから、まるで熱湯をかけられたかのように凄絶な断末魔が響き、その黒い体躯が溶けるように歪む。
触れた部分から、彼らの魂の残滓が削り取られ、煙のように消散していく。
瘴気の壁は、猛然と迫るレイスの波を完全に受け止め、その進撃を食い止めた。一歩も踏み込めない群れの咆哮と、瘴気が空間を侵食する「シュウ……」という音が、緊迫した静寂の中に響き渡る。
「数秒で霧散する。今のうちに次手を!」
全身から吹き出す瘴気の勢いがだんだんと弱まっていく。
「みんな、下がって!」
後ろからライカの声が飛ぶ。
ライカは落ち着いた声で詠唱を終え、皆を下がらせると、グリモワールを頭上に掲げた。
光の紋章が浮かび上がり、ピラミッドの通路を一瞬にして白く照らし出す。
「――浄化陣!」
閃光が爆ぜ、レイスたちの群れが悲鳴をあげながら消滅していった。
残されたのは焦げた石壁と、凍り付いた床の名残。
静寂が戻る。
「未練に縛られ、死してなお解放されぬ者たち……解放された我は運が良かったのだ……」
デュラは横目でアレフを見やり、低く呟いた。
「数は多かったが……所詮はただの怨霊だな。俺たちの敵じゃねぇ!」
アスタロスがドヤ顔で胸を張る。
「いや……お前は何もしてねぇから」
アレフは眉間に皺を寄せた。
「とはいえ、こいつらはただの足止めだ。俺たちを消耗させるために用意された…な」
「……つまり、この先が本番ってわけだな!」
アスタロスが意気揚々と歩き出す。
そんな彼の様子に肩を竦める者、苦笑いする者など、反応は様々だったが、ライカだけは…
「……あの人がいると、不思議と重たい空気が一変しちゃう」
などと笑顔を見せていた。
能天気に先を行くアスタロスの後を追い、再び通路を進む一行。
やがて通路が広がり、大きな石造りの間に出た。
床には幾何学模様の魔方陣が刻まれている。
その中心には、黄金の棺が鎮座していた。
「……これは!?」
ライカが息を呑む。
「触れるな!」
アレフが鋭い声で制した瞬間、棺の蓋がひとりでに動き出す。
ギギ……ギギギ……。
重々しい音を響かせて、黄金の棺の中から這い出てきたのは――
ミイラの姿をした番人だった。
乾き切った包帯の隙間から、腐敗した肉片がのぞき、眼窩には赤黒い光が灯る。
その手には古代の呪杖。
「番人か……!」
デュラが身構える。
「ミイラなんざ干からびた雑魚だろ!」
アスタロスが斧を構え、突進する。
だが――。
番人のミイラは杖を振るうと、床の魔方陣が眩く光った。
次の瞬間、アスタロスの体が弾き飛ばされ、石壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!?」
「ただのミイラじゃねぇ……守護者クラスだ!」
アレフが叫ぶ。
ミイラ番人は低く呪文を唱え、砂嵐を巻き起こす。視界を遮る砂が吹き荒れ、同時にいくつもの黒い槍が空間に生じた。
「っ……影槍か!」
シノが竜鱗で防御するも、槍の一本が掠めただけで鱗が裂ける。
「やべぇぞ、こいつ……!」
アスタロスがよろめきながら立ち上がる。
「デュラ、前衛を頼む! シノは援護! ライカは結界を!」
アレフが即座に指示を飛ばす。
デュラが巨体で前に立ち、シノの炎とアレフの黒炎の剣撃がミイラを攻め立てる。
だがミイラは再び杖を振るい、黒い炎を纏って反撃。
「こいつ……俺と同じ炎を!?」
アレフの腕に焦げ跡が走る。
「兄貴ッ!」
アスタロスが斧を投げつけ、ミイラの杖を弾き飛ばした。
「今じゃ!ーードラゴン・メガフレイムッ!!」
シノの特大の炎が直撃し、全身に巻かれた包帯が燃え上がる。
ミイラが絶叫を上げ、崩れ落ちた。
「この調子では……死霊王の間に辿り着くまで、まだまだこんな仕掛けがありそうだな」
デュラは燃え尽きた番人の骸を見下ろし、大剣を握り直した。
その奥へと続く通路は、さらに深い闇に沈んでいた。
「行くぞ。ここからが本番だ」
一行は重い足取りで、闇の奥へと進み出した――。
暗闇の中を進むほど、冷気は増し、心臓を握り潰すような圧迫感が強まっていく。
石壁に描かれた壁画には、古代王が冥府の神と契約を交わす場面が延々と続いていた。
アレフはその不吉な絵を睨みながら、胸中で剣を強く握り締めた。
この先に待つものはただ一つ。
――不死の王、リッチ。
その玉座まで、彼らはまだ序章を踏み出したにすぎなかった。
次回タイトル:047話 死霊王の間




