041話 砂漠に沈む咆哮
「……さて。次の調理を始めるといたしましょうか」
銀のトレイを構え直し、ジェームスは深く息を吐いた。
その背でシノが咆哮を上げる。
「そうじゃの……アレフたちが心配じゃ。サクッと終わらせるとしようぞ」
「承知いたしました、シノ殿」
――暴走する群れと、執事と魔竜の死闘が幕を開ける。
サミュエルの支配を失ったサンドワームたちは、暴走した獣の本能そのままに、目に映るすべてを貪ろうと牙を剥いた。
「……いささか数が多いですな」
ジェームスは銀のトレイをくるりと回し、姿勢を低くする。
一方のシノは、魔竜の姿を誇示するように翼を広げ、紫紺の瞳を爛々と輝かせた。
「なぁに、怯む必要などないわ。 妾が前を抑える! そなたは――切り拓け!」
「心得ました。さぁ、エレガントに参りましょうか」
轟音とともに一体のワームが地中から飛び出す。
顎門が魔竜に迫る――
「おおおおおッ!!」
シノは咆哮し、顎に真正面から体当たりを叩き込んだ。
大地が砕け、衝撃で砂が吹き飛ぶ。
巨体同士の衝突。だが魔竜の筋力が上回り、ワームの頭部は押し潰されるように地面へ叩きつけられた。
その瞬間を逃さず――
「ーー鋭切…レフト・ミートッ!」
「ーー刺突…ライト・ミートッ!!」
ジェームスの刃が閃き、ワームの眼球を貫き、喉奥を切り裂く。
熱風とともに血砂が舞い、ワームは断末魔を上げて沈んだ。
「一体……」
「だがまだ来るぞッ!」
シノが翼を広げ、宙へ舞い上がる。
二体目のワームが地を割って躍り出る。
大口を開け、天へ飛ぶシノを狙って――
「舐めるなッ!」
シノの竜尾が閃き、巨大な鞭のようにワームの口内へ叩き込まれた。
直後、尾先から放たれたのは雷撃を纏った竜気。
「魔竜雷閃ッ!!」
口内で炸裂する雷撃に、ワームは内側から焼かれ、黒煙を吐きながら砂へ崩れ落ちる。
「お見事!」
ジェームスは笑みを浮かべ、振り向きざまに香水瓶を取り出した。
「ーーブースト・フレグランス!!」
香気が風に乗って広がり、シノの翼が力強く輝きを増す。
だが――暴走は止まらない。
三体目、四体目のワームが同時に地中から襲いかかった。
「左右から来るぞッ!」
「ならば――鉄壁ーパーフェクト・レシーブ!!」
ジェームスが二枚の銀のトレイを交差させ、左右から襲いかかる顎門を受け止める。
ギィィィンと金属を軋ませながら火花が散り、執事の両腕が震えた。
「ぐぬぅぅ……! なかなかの重量感ですな……!」
「ジェームスッ!」
シノが滑空し、左右のワームに双翼の爪を突き立てた。
竜爪が肉を裂き、悲鳴が響く。
さらにシノは空へと飛翔し――
「竜爪乱舞ッッ!」
両の爪の斬撃が四方八方から繰り出され、ワームの頭部を切り刻んだ。
ジェームスはその隙に、闘気を集約させる。
「さぁ、これでフィニッシュです! 剪定補助ーーエレガント・プランニングッ!!」
巨大な剪定鋏を模した闘気が交差し、両断の閃光が走る。
ワームの首が刎ね飛び、血飛沫が砂に降り注ぐ。
残るは――最大の巨躯、一際巨大なサンドワーム。
その体は他の個体の倍以上。暴走の象徴ともいえる怪物が姿を現した。
「……来たな」
シノの翼が震える。
ジェームスは深呼吸し、スパイスの小瓶を懐から取り出した。
「――これぞ隠し味。アレフ様に叱られましょうが、背に腹は代えられませんな」
激辛スパイスをトレイに叩きつけ、砂嵐に乗せて怪物の顔面へと撒き散らす。
「デンジャラス・スパイスッ!!」
刺激臭にのたうち、ワームが暴れ狂う。
その隙をシノが逃すはずもない。
「これで決める――
竜雷閃咆!!」
魔竜の口から放たれた閃光のような雷撃の咆哮が、ワームの頭部を貫いた。
巨体が痙攣し、砂を巻き上げながら倒れ込む。
やがて、轟音が砂漠に響き渡り……暴走の群れは静かに沈黙した。
砂漠に、ようやく静寂が戻っていた。
暴れ狂ったサンドワームの残骸は半ば砂に埋もれ、その巨大な肉体は不気味なほど動かない。さっきまで地鳴りのような咆哮を上げていた存在が消え去ると、世界そのものが一瞬、音を失ったかのようだった。
シノは魔竜の姿から徐々に人の姿へと戻り、荒い息をつきながら膝をついた。
黒紫の鱗が消えていき、銀髪と細い体躯が夜風に晒される。
「……ふぅ……どうにか……終わったようじゃの……」
その声には安堵と、微かな高揚が混じっていた。魔竜としての力を解放したことで、己の中に眠る圧倒的な力と暴威の興奮がまだ胸を焼いていたのだ。
「竜姫様……お疲れさまでございました」
柔らかい声と共に寄り添ったのは、砂まみれになりながらも姿勢を崩さないジェームスだった。
彼のタキシードは所々焼け焦げ、袖は砂に裂かれ、それでもなお気品を纏っている。
シノは思わず小さく笑った。
「おぬしこそな。あんな状況でまだ執事ぶりを忘れんとは……」
ジェームスは胸に手を当て、深々と一礼する。
「執事たる者、いかなる時でも優雅さを失ってはなりません。……たとえ戦場であろうと、です」
その言葉に、シノは小さく肩を震わせた。戦場の余韻の中で笑うなど、不思議な感覚だった。
けれど、今はそれが心地よい。
砂に沈むサミュエルの最期の姿を見やりながら、二人は短く沈黙した。
神殿の尖兵――憎き相手を倒したという実感はある。だが、彼が最期に見せた恐怖と、哀れなまでの執念は、簡単に笑い飛ばせるものではなかった。
「……奴は、最後まで神殿に縋っていたな」
シノが呟く。
「ええ。しかし、信仰に酔うあまり、自らの命運すら見失った。滑稽なものです」
ジェームスの声は冷ややかだったが、その奥には、わずかな哀惜が滲んでいた。
風が吹き抜ける。砂の匂いに混じり、どこか鉄のような血の匂いが漂う。
シノは夜空を仰ぎ、星々を見つめた。
「ジェームス……わたしは……魔竜として、この先……」
言いかけたシノの言葉を、執事は静かに遮る。
「シノ殿。未来に怯える必要はございません。どれほど強大な力をその身に抱えようとも、私たち……いえ、アレフ様が必ずお傍におります」
その断言に、シノの胸は熱くなった。
孤独に囚われていた心が、ふと解き放たれるような感覚。彼女は小さく頷いた。
「……なら、もう少しだけ。魔竜の力を恐れずにいられそうじゃ」
二人の間に、言葉はいらなかった。
ただ、砂漠の冷たい風が吹き、夜空の星が瞬く。
死闘の後の、ほんのひとときの静けさ。
それは、戦場に生きる者にとって何よりの贅沢だった。
やがてジェームスが真剣な眼差しで告げる。
「……さて、シノ殿。申し訳ございませんが、もうひと働きしていただきますぞ」
「うむ……とっととあやつらを探しださねばの……」
シノは立ち上がり、差し出されたジェームスの手を取った。
彼女は再び魔竜へと変化すると、ジェームスを乗せ、漆黒の翼を羽ばたかせるのだった。
次回タイトル:042話 脱出




