036話 谷間に舞う巨影
翌朝――
ウォーラルを発ったアレフたちは、西に連なる山岳地帯へと足を踏み入れていた。
水の都の喧騒から一転、険しい岩肌が天を突く荒涼の光景が広がる。
流れる川もなく、乾いた風が砂塵を巻き上げ、肌を容赦なく打ち据える。
「……随分と荒れた谷じゃの」
シノが外套の裾を押さえ、眉をひそめる。
「本当に、こっちを通るの? 迂回すれば時間はかかるけど、もっと安全な道もあるよ」
ライカの言葉に、アレフは迷いなく頷いた。
「いや、谷を抜ける。……実はもう一つ、依頼を受けているんだ」
「依頼?」
驚くライカに、アレフは声を落として続けた。
「この谷には、数ヶ月前からロック鳥が巣を作っている。通行人や馬車が襲われ、被害が相次いでいるそうだ。ギルドは討伐依頼を出しているが、難度が高くて手を出す冒険者が少ない。……だから、俺が引き受けた」
その説明に、仲間たちは互いに顔を見合わせる。
ロック鳥――伝承にもたびたび登場する巨大な猛禽。
翼を広げれば十メートルを超えるとも言われ、その爪は鋼鉄をも引き裂くと恐れられている。
「危険じゃない?」とシノ。
「護衛依頼もあるのに……無茶するのはやめて、アレフお兄ちゃん!」
しかしアレフは冷静な眼差しを返した。
「護衛と討伐は両立できる。むしろ、ロック鳥を放置すればザーバラに向かう商隊は今後も被害に遭う。……それに」
アレフは腰の魔剣グラトニーに視線を落とす。
「強欲のダンジョンに挑める条件はBランク以上だ。護衛依頼だけじゃ、とても昇格なんてできやしない」
声から彼の熱意が感じられる。
「それだけじゃない。ロック鳥の羽根や爪、嘴は高く売れるし、武具の素材としても一級品だ。手に入れておいて損はない」
打算も交えた言葉。
だが、その裏に――呪具探索を進めるため、もっと力をつけたいという彼の焦燥が隠れていることを、仲間たちは感じ取っていた。
サミュエルは、娘を救う薬瓶を大事そうに抱えながら、不安げに尋ねた。
「で、でも……ロック鳥なんて化け物、護衛のついでにどうこうできる相手なのか?」
「できるさ」
アレフは断言した。その瞳には揺るぎがない。
「俺たちはそれだけの力を持っている。……だから安心してくれ」
サミュエルはなおも不安そうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。
アレフたちは覚悟を決め、谷へと入っていく。
切り立った岩壁が両側に迫り、陽光は斜めからしか差し込まない。
頭上を仰げば、細い筋のように空が切り取られていた。
乾いた空気に混じるのは、鳥の羽ばたきにも似た低い風音。
やがて、道端に異様な光景が現れた。
折れた馬車の残骸、砕けた樽、引き裂かれた布。
血に濡れた車輪跡が砂利の上で途絶えている。
「……襲撃の痕のようですな」
ジェームスが表情を曇らせる。
彼は膝をつき、砕けた板を確かめる。
「……まだ新しい。せいぜい数日以内に襲われた馬車だと思われます」
サミュエルが顔を蒼白にする。
「や、やっぱり……ここを通るのは……」
「もう後戻りはできない」
アレフはきっぱりと言い放ち、足を進める。
「ロック鳥がどこにいるかは分からない。だが、襲撃痕がある以上、そう遠くないはずだ」
さらに進むにつれ、空気は重くなった。
ふいに、ひゅう、と谷を吹き抜ける風が変わる。
乾いた砂の匂いに、鉄錆びのような生臭さが混じった。
「……血の匂いじゃ」
シノが呟いたその時――
谷の上方、岩壁の影から、かすかな影が動いた。
それは最初、黒い雲のように見えた。
だがすぐに、羽ばたきによる風圧が地を震わせ、砂礫を巻き上げる。
「上だっ!」
アレフの叫びと同時に、仲間たちが一斉に構える。
轟音とともに現れたのは――翼を広げれば岩壁を覆い隠すほどの巨大な猛禽。
黄金の瞳がぎらつき、鋭い嘴が月牙のように弧を描く。
翼の羽根一枚一枚が刃のように光を反射し、その姿はまさに伝承に謳われる怪鳥そのものだった。
ロック鳥ーー
その雄叫びは雷鳴の如く谷に轟き、岩肌を震わせる。
サミュエルが思わず尻餅をついた。
「ひ、ひぃっ……! あれが……!」
アレフは一歩前に出て、魔剣を抜く。
刃から溢れる瘴気が空気を歪ませ、彼の背を押すように蠢いた。
「――来いよ。ここで仕留める」
ロック鳥の影が、谷一帯を覆い尽くす。
戦いの幕は、いま開かれたばかりだった。
*
乾いた風が谷間を抜け、砂塵を巻き上げていた。
やがて、影が射した。
「……来るぞッ!」
アレフの声と同時に、上空から降り注いだのは、山岳の王者とも呼ばれる怪鳥――ロック鳥の影。
翼を広げれば十メートルを優に超える。
岩肌を思わせる硬質の羽根に覆われた体躯は、まるで一枚の壁が空から落ちてくるようだった。
鋭い眼光が谷底の獲物を射抜くと、突風が唸りをあげ、爪が稲妻のように閃いた。
「来いよ、このデカブツ……ッ!」
アレフは剣を抜き、地を蹴る。迫りくる爪に対し、彼は正面から斬り払った。
金属が擦れるような甲高い音。火花が散り、アレフは弾き飛ばされるように後退する。
「がっ……! ちっ、重てぇな!」
一撃で大地がえぐれ、砂礫が飛び散った。
続くのは翼の一振り――それだけで暴風が巻き起こり、地面にいた仲間たちは思わず身を低くした。
「……ッ!? 風が強すぎて立っていられない!」
ライカは必死に堪え、風障壁を展開する。
だが、ロック鳥は悠々と天へ舞い戻っていった。
「……ちょろちょろしやがって!」
アスタロスが苛立ちを露にする。
「降りてきた時を狙うしかないようだな」
兜の奧で光るデュラの紅い瞳が大空を舞うロック鳥に向けられる。
「あいつ……ただデカイ鳥ってわけじゃねぇな……考えてやがる」
アレフもまた、歯を食いしばりながら視線を空に向ける。
ロック鳥は獲物を試すかのように旋回し、再び鋭い影を落としてくる。
「次は横から来るッ!」
シノが叫んだ瞬間、巨鳥は岩肌すれすれを滑空して襲いかかってきた。
「受け止めるぞッ!」
アレフが構え、デュラが横から駆け込み、両腕で盾のように受け止める。
轟音と共に爪と爪がぶつかり合い、火花が散る。
「ぬぅぅぅ……ッ!!」
デュラの腕がきしみ、足場の岩盤に亀裂が走った。
「ライカ! 今だ、援護をッ!」
「は、はいッ! ――《雷鎖の鎖よ、縛れッ!》」
放たれた雷が鎖のようにしなり、ロック鳥の片翼をかすめた。
巨体がわずかにたわみ、攻撃の軌道が狂う。
「よし、今度は俺がッ!」
アレフはその隙を逃さず跳び込み、翼の下を駆け抜けて斬撃を放つ。
だが刃は羽毛に阻まれ、浅くしか食い込まない。
「クソッ……通らねぇ!」
ロック鳥は鋭い悲鳴をあげ、体をひるがえすと再び大空へ舞い戻っていった。
彼らの攻撃は確かに届いている。
だが致命には程遠い。
「ちっ……完全に遊ばれてやがるな」
アレフは荒く息を吐き、剣を握り直す。
仲間たちは互いに視線を交わした。
ロック鳥は、地上の攻撃が届かぬことを知っている。
挑発するかのように空を舞い、隙を見せぬその戦法に、じわじわと焦燥が募っていった。
次回タイトル:037話 デュラ、再び空を飛ぶ――そして執事の真剣勝負




