147話 怠惰の英雄ーー最短ルートで天を突く
バベルの塔――かつて幾多の冒険者が挑み、その多くが志半ばで倒れた、世界屈指の超巨大階層式ダンジョン。
空を突くその巨柱は、いまも濃霧をまとって天を貫き、壮麗でありながら不気味ささえ漂わせている。
その前に、一頭の首無し馬が蹄を鳴らしながら足を止めた。
「……着いた」
デュラの愛馬の背にぐでりと横たわっていたアレフが、怠惰そのものの声で呟く。
ただ呟いただけで、深い溜息さえ含まれているような気だるさだ。
「はぁ……マジでここをまた登るのかよ……」
アスタロスが早くも泣き言を言いながら、見上げた。
その顔には、以前ここを苦労して攻略した時の記憶が蘇っているのだろう、げんなりとした色が浮かんでいる。
「まあ……確かに……めんどうじゃの……」
シノも珍しく同意気味だ。
アレフの怠惰は周囲に伝染するのか、彼女まで語尾が重い。
「だが、我々の目的は魔界へ至る門。浮遊大陸へ行くために開いた扉を、今度は魔界へ行くために開く――」
「でも、そのためにはーー」
「再び100階まで行く必要がございますな」
ジェームスとグリモワールが同時に頷く。
ライカは魔導書を胸に抱え、塔を見上げながら息を吐いた。
「見上げてるだけでも疲れちゃう……それに、アレフお兄ちゃん……この状態で100階なんて登れるのかな?」
そう言って首無し馬から引っ張り降ろそうとすると――
アレフは、ふらりと自力で地面へ降り立った。
それだけでも皆が「おお……?」と驚くほど、彼の行動は最近“動かない”寄りだったのだ。
そしてアレフは、ぼんやりと塔の前に立ち――
懐から、古びた銀の腕輪を取り出した。
ジェームスが眉を上げる。
「これは……“グラビティ・リング”でございますか。以前は重力操作の高級魔導具でしたが……」
「呪具になってからは……半分以上の性能が死んでるんだよな?」
アスタロスが呟くと、アレフはこくりともせず、ただ淡々と腕輪を手首にはめた。
そして――
「……登るの……めんどくさい……だから……飛ぶ」
その一言。
「は?」
「え?」
仲間全員が揃って間抜けな声を出した。
アレフの言葉は、あまりに簡潔すぎて意味がわからない。
だがアレフは構わず、ぼそりと言葉を足した。
「手……繋ぐの……めんどくさいから……お前らが……俺に……掴まれ……」
「ぼく……とても嫌な予感がするよぉ!?」
ライカが呟く。
シノ、アスタロス、デュラの三人も同じ心境のようだ。
しかしジェームスとグリモワールだけは、
「アレフ様……あなた様が何をなさろうと、わたくしは信じておりますぞ」
「ふふ。なんだか面白そうね♡」
と、なぜか楽しそうだ。
アレフは無言で腕を差し出す。
その動作ひとつにも、絶望的なまでの“やる気のなさ”が漂っており、逆に仲間たちは「怒る気力も削がれる」ような気にすらなった。
「……いいから……さっさと……掴め」
「ひぃ……」
ライカたちは泣きそうな顔でアレフにしがみついた。
その瞬間、アレフの腕に装備された“憤怒の手甲”が、突然黒く脈動した。
次いで――
ゴォォォォォォォォオオオオオオッ!!
「「「なっ!?」」」
黒炎が、手甲の内部から爆発的に噴射された。
塔の麓に黒い風圧が巻き起こり、周囲の砂石が跳ね飛ぶ。
「まさか……まさか、これ……」
ライカ、シノ、アスタロス、デュラの四人の顔が青ざめていく。
そう、彼がやろうとしていることはただひとつ。
――全員まとめてロケットのように飛ぶ。
アレフは、重力を操る“グラビティ・リング”に呟いた。
「……起動」
その瞬間、アレフと仲間たちの身体がふわりと浮かび上がる。
続いて、憤怒の手甲へ。
「……ラース……最大火力……」
吹き上がった黒炎が、今度は完全に地面へ向いた。
次の瞬間――
――轟音。
黒い光を伴い、アレフたちはまさに“ロケット発射”のごとく天へ向かって急上昇した。
「ぎゃああああああああああああああ!!!!!」
「お、落ちる!落ちるぅぅ!!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
ライカ、シノ、アスタロス、デュラが絶叫の嵐。
一方ジェームスは、
「おお……見事な加速でございます!」
グリモワールは、
「もっと速くー♡」
と喜んでいた。
風が唸り、景色が流星のように流れ、塔の階層が目にも止まらぬ速さで通り過ぎていく。
そしてほんの数十秒――
黒い風圧と爆音を残し、アレフたちはバベルの塔の最上階へと着地した。
足元にはまだ煙が立ち上り、焦げた岩盤の香りが漂っている。
巨大な黒曜石の門の前。
アレフはふらりと立ち上がり、土まみれのままぼそりと呟いた。
「……着いた……」
「着いた……じゃねぇぇぇぇ!!」
アスタロスは顔を青ざめさせ、へたり込んだ。
横ではライカが肩を震わせている。
「……死ぬかと……思った……」
シノに至ってはうずくまり、地面に突っ伏している。
デュラは無表情だが、微かに鎧が震えていた。
対照的に、ジェームスとグリモワールだけは余裕の笑みを浮かべていた。
「アレフ様の高速上昇……見事でございました」
「こういう大胆さ、好きよ♡」
そんな二人の余裕をよそに、ライカは顔を上げた。
――そして、見た。
最上階にそびえる、黒曜石の巨門。
以前来た時と同じ、しかしどこか異質な圧を放つその門は、巨大な黒の石板を組み合わせて造られ、その表面には七つの封印紋が刻み込まれている。
「ふむ……これは……」
シノが駆け寄り、門に触れずに手をかざす。
「以前と変わっておるのぉ……」
以前、浮遊大陸へ向かった時――
この門に刻まれた七つの封印紋のうち、赤く光っていたのは五つだけだった。
《暴食》《憤怒》《色欲》《強欲》《傲慢》
しかし今、残る二つ――
《嫉妬》《怠惰》
までもが赤く光り、七つの大罪が完全に揃ってしまっている。
ライカが唾を飲む。
「これって……七つの封印が全部“解放”されたってことだよね?」
グリモワールが、軽く息を吐く。
その声音はいつもの軽さはなく、どこか緊張が混じっていた。
「ええ……この門のもう一つの用途……覚えている?」
ライカ、シノ、アスタロス、ジェームス、デュラが同時に頷いた。
「浮遊大陸への入り口であると同時に――」
「――魔界へ通じる門、でもある」
グリモワールの言葉に、場の空気がわずかに重くなる。
アレフは黙ったまま、ふらふらとした動きで門に近づいた。
その歩みには、気迫も緊張もない。
ただただ怠惰だけがまとわりついているだけだった。
次回タイトル:148話 怠惰は剣を取らず、仲間が立つ




