143話 怠惰の深淵
内部は広大だった。王の謁見室を思わせるが、装飾はすべて色褪せ、くすみ、崩れている。
天井から差し込む光も弱々しく、どこか眠気を誘うように淡い。
「あれ……?」
ライカが小さく声を上げた。
玉座に座っているはずの“守護者”は、そこに── 横たわっていた。
紫の長い髪を床に垂らし、仰向けになって寝そべり、欠伸をしながら片手で頬杖をついている。
「んぁ……。もう来たの? はやい……」
声も覇気がなく、瞼も半分しか開いていない。
しかし、その身体から放たれる呪力の密度は、今までの怠惰な魔物たちとは桁違いだった。
アレフたちの肌に、粘りつくような重圧がのしかかる。
「……お前が“怠惰の守護者”か」
アレフが言うと、
「そう……ボクは“怠惰”を司る者。……あんまり覚えてないけど」
「覚えてないのかよ!?」
アスタロスが叫んだ。
「……めんどくさいんだもん」
守護者が片手をだらりと振った瞬間。
空気が重くなる。
「……え、なに……これ……」
ライカが膝をついた。
「身体が……鉛みたいじゃ」
シノの声も弱々しい。
ジェームスでさえ、眉をひそめ立つのがやっと。
アレフだけは、平然と立っていた。
「これが……“怠惰の呪い”か」
「うん……。なにもかも……どうでもよくなる。立つのも、喋るのも、食べるのも、呼吸するのも……。
……そのうち、生きるのもめんどくさくなるよ……」
守護者の声は眠たげだ。
しかし内容は凶悪そのものだった。
「やばいぜ兄貴……! これ……マジで……」
アスタロスが床に手をつく。
アレフはすぐに呪いの正体を見抜いた。
(呪力による侵食……精神と肉体、両方を蝕むタイプ……!)
だが、自身には通じない。
「だったら──喰えばいい」
暴食の魔剣が小刻みに震え、憤怒の手甲が黒く染まり、禍々しい紋が浮かび上がる。
「グラトニー、ラース! 呪力を喰らい尽くせ! 黒炎の傷痕!!」
アレフが仲間たちに手をかざすと、呪い喰らいの黒炎が仲間の身体を覆う黒い膜を焼き、ドロリとした瘴気が吸い込まれれる。
「……っ! 身体が……軽く……!」
ジェームスが息を吸い込んだ。
「助かったのじゃ……アレフよ……!」
しかし、アレフは眉をしかめていた。
(呪いの密度が……魔物の比じゃない。これを全員分となると……)
守護者は相変わらず寝そべったまま、つまらなそうに呟く。
「ふわぁ……別に戦わなくてもいいんだよ……? ここで寝れば……全部どうでもよくなるよ……」
「ふざけんな!」
アスタロスが怒鳴り、拳を構える。
「てめぇ、兄貴の仲間を弱らせて寝ろだぁ!? ふざけんなよ!」
「あ……叫ぶの……うるさい……」
守護者の指先がわずかに動く。
次の瞬間。
ーー空間が歪んだ。
「アスタロス! 伏せろ!」
アレフが叫ぶよりも早く、
アスタロスの身体が── 止まった。
「ッ!? 兄……貴……?」
完全に時間が凍結したかのように、アスタロスの動きが止まっている。
「……“怠惰の時間停止”……」
守護者は壁に寄りかかり、欠伸を漏らしながら言った。
「めんどうな相手は……止めちゃえば……いいんだよ……」
「時間停止……!」
ジェームスの顔色が変わる。
しかし、アレフだけはすぐに理解した。
(この停止……純粋な時間操作じゃない。呪力による“行動意欲の停止”……!
動く意志を奪われ、行動の概念ごと止められてる……!)
「……アスタロスから離れろ」
アレフは呟き、鋭く光る眼を守護者へ向けた。
「その能力……解除してもらう」
「えぇ……やだ……」
守護者が顔を背ける。
「なんで……そんなめんどくさいこと……しなきゃいけないの……?」
「理由は一つだ。……お前を倒す気でいるからだ」
アレフの影が、ゆっくりと禍々しく広がりはじめる。
仲間たちは呪いに抗うだけで精一杯。
アレフ一人だけが、守護者の呪力に飲まれず立っていた。
「……でも……今すぐ倒すのはむりだよ……?」
守護者が怠そうに手をひらひらと振る。
「だって君……さっきからずっと……呪いを喰うのに集中してるでしょ……」
「……っ」
アレフは拳を握りしめる。
確かにその通りだった。
仲間全員に襲いかかる“怠惰の呪い”を喰い続けているかぎり、攻勢に出る余裕がない。
(こいつ……自分の特性を理解してる……!
呪いをばら撒き続け、俺に喰わせる……その間に“時間停止”で潰すつもりか……!)
守護者はまた大きな欠伸をした。
「ねむ……。もう寝たい……君たちも寝てよ……」
次の瞬間、広間の空気がさらに重くなった。
まるで海底のような圧力が足元から吹き上がり、視界が暗くかすむ。
「……く……そ……」
ジェームスが片膝をつく。
「アレフ……また、呪いが……!」
シノの小さな身体が震えた。
アレフは全員の呪力を吸うため再び手をかざす。
(くそ……このままじゃ俺はずっと守りに徹するしかない……! しかも時間停止で牛野郎は戦力外……。 このままじわじわ仲間が衰弱していけば……)
守護者の声が遠くから響く。
「……ねぇ。無理しないで……。 休んじゃいなよ……?」
「誰が……お前なんかの言うこと……きくかよ……!」
アレフは黒い炎を散らし、守護者を睨みつけた。
その瞳だけは、どんな呪力にも濁らない。
守護者はようやく、ほんの少しだけ興味を示すように目を開いた。
「へぇ……君だけは……止まらないんだね……? おもしろいよ……人間……なのに……」
そして、だらりとした手をほんの少し持ち上げた。
「じゃあ……次は……君だけを止めるよ……?」
空間が震えた。
アレフの身体が、重力を増したかのように沈み込む。
(まずい……これは……!)
仲間を守りながら、自分も止められまいと全力で抗うアレフ。
守護者の怠惰な声が、天から降りてきた。
「――“怠惰の深淵”」
視界が暗転し、音が消えた。
アレフの身体が、地面に沈み込むように動きを奪われていく。
(……くそ……このままじゃ……)
守護者の瞳が、ようやく薄く笑った。
「おやすみ……英雄さん……」
ーーアレフの視界は完全に闇へと閉ざされた。
次回タイトル:144話 怠惰を縛る嫉妬




