142話 怠惰な迷宮
異空間・神域の中央にそびえ立つ「ヴァルハラ宮殿」は、空間そのものを歪ませるほどの威圧感を放っていた。
白金の宮殿は天へ伸び、外壁には古代神話に描かれるような英雄と怪物のレリーフが刻まれている。風も吹かない静寂の世界で、彼方では雷鳴だけが低く轟いていた。
「……やっと、着いたな」
アレフが呟くと、隣でファムがきょろきょろと辺りをうかがった。
「わたしたちは、ここから先には行けないの。妖精や精霊は“神の領域”の中枢に入ると存在が薄れてしまうから……」
「そうか……それは残念だな。けど、助かったよ。ここまで案内してくれて」
アレフが礼を言うと、ファムは小さく頷き、胸の前で両手を合わせる。
「みんなが世界樹に選ばれた旅人たちでありますように。スクルドも、あなたたちの力をしっかり見届けるって言ってたよ」
「ええ。わたしたちは運命を紡ぐ者として、あなたたちの歩みを見届けたわ」
スクルドも穏やかな微笑みで告げる。
「じゃあ……気をつけてね!」
そう言い残し、ファムとスクルドは白い羽のような光になって天へ昇っていった。
アレフたちはしばしその姿を見上げ、そして前を向いた。
――ここからが本番だ。
ヴァルハラ宮殿の巨大な扉は、アレフたちが近づくと同時に、軋む音一つ立てずにゆっくりと開いていく。
「自動かよ……神ってやつは、たまに現代的だよな」
岩を砕く細腕のアスタロスが、妙に素朴な感想を漏らした。
「余計なこと言ってると、神罰が落ちてくるぞ」
アレフが肩をすくめ、宮殿の中へ足を踏み入れた。
内部は白く輝く回廊が果てしなく続き、天井から下がる巨大な水晶が淡い光を放っている。
黄金と白銀の紋章が刻まれた床は鏡のように磨かれており、歩くたびに靴音が反響した。
――だが。
「おーい! お前ら、そこ動くなよ!!」
突然、アスタロスが指をさした。
彼らの十メートル先。寝そべったまま動かない“何か”がいた。
全身が神獣めいた毛並みに覆われ、角だけが妙に立派で……しかし、だらけきっている。
「……魔物、だよな?」
「うむ。あれは“怠惰獣”じゃな。だが……じゃが……」
シノが言葉を失うほど、そいつはぐでーっと床に溶けそうなほど横たわっていた。
まるで昼寝中の猫。
だが次の瞬間、そいつの目が開いた。
ずず……と重い気配が立ち上がる。
「ふあぁ……よく来た、勇敢なる挑戦者たち……」
眠たげな声。
「体動かすのだるいから……そのまま勝手に倒れてくれない?」
「倒れるかぁ!! やんのかコラァ!!」
アスタロスの怒声と同時に、床が爆ぜた。
怠惰獣は横になったまま、尻尾だけを軽く揺らす。
しかし、そのたった一振り。
「――ッ!?」
アレフは咄嗟に皆を引き寄せた。
直後、床がひっくり返るような衝撃波が襲い、彼らは吹き飛ばされた。
「うそだろ、おい……!」
「尻尾で、ここまで……?」
怠惰とは裏腹に、その力は圧倒的だった。
「ブースト・フレグランス!!」
ジェームスは、身体強化作用がある自家製の香水を取り出し、素早くアレフに降りかける。
「助かる!」
アレフは剣を握りしめ、疾駆した。
怠惰獣のすぐ近くまで到達し、横薙ぎに斬り払う。
だが――
「んー……よけんのも、だるいんだけど……」
怠惰獣は寝返りを打っただけ。
たったそれだけで、アレフの渾身の斬撃が空を切る。
「アレフ! 下がるのじゃ!」
シノが飛び出し、口内に竜気を収束させた。
「《竜息・ドラゴン・ブレス》!!」
轟音。圧縮された竜気が巨弾となって放たれる。
しかし怠惰獣は――また寝返り。
「ぬおおおお!? 避けられた!? 寝ながら避けよった!!」
「避けたんじゃないわ。あれは……単に痛いのが嫌で、無意識にやっているだけみたい……」
グリモワールの呆れた声。
怠惰でありながら強靭。
やる気ゼロだが反射だけは最強。
それがこのダンジョンの魔物たちの共通点だった。
「めんどくせぇ……ってタイプの最強だな、これ……!」
アレフたちはその後も戦い続け、どうにか怠惰獣を撃破した。
倒れた瞬間、怠惰獣は
「あぁ……ねむ……」
と呟いて霧散した。
「……やれやれ。やっと一匹……」
ため息をつくアレフ。
しかし。
そこから先も、怠惰な魔物たちのオンパレードだった。
回廊にひっかかって動かない“だらしなオーガ”。
天井からぶら下がったまま動かない“睡魔のコウモリ”。
寝言で魔法を暴発させてくる“夢狐”。
どいつもこいつもやる気皆無のくせに、強い。
「ねぇ……これ、普通のダンジョンより疲れるんだけど……」
「わかる。精神的に来る……」
「兄貴……俺、眠くなってきた……」
「寝るんじゃねえ!!」
アレフの一喝でアスタロスは目を覚まし、一行はようやく中央階層の扉にたどり着いた。
巨大な金属扉が、重々しい気配を放っている。
扉の中央には、巨大な紋章が刻まれていた。
――《怠惰》。
「……ついに来たな」
アレフが剣を握り直す。
「ここがボス部屋ってわけか……兄貴」
「ああ。Sランクダンジョンの守護者……“怠惰”の化身がいるはずだ」
ライカが不安げに手を握り、アレフの袖を引く。
「大丈夫……だよね?」
アレフは迷いなく頷いた。
「怠惰だろうが何だろうが……ここまで来たんだ。倒すしかない」
「うむ。“怠惰”ゆえに、逆に侮れぬぞ。気を引き締めていくのじゃ」
シノが尾を揺らしながら警戒を強める。
アスタロスがニヤリと笑う。
「相手が眠ってても……叩き起こしてやるだけだ!」
アレフは深呼吸し、掌を扉へかざした。
「行くぞ……!」
ギギギギ……!
ーー軋む音が、神域の空間に重く響き渡る。
扉がゆっくりと開き、冷たい風が一行を飲み込む。
その先。
暗闇の中心に――
巨大な玉座と、ぐでっと崩れ落ちた“何か”の影があった。
アレフたちは一歩、足を踏み入れる。
ここからが、Sランクダンジョン最大の試練となる。
次回タイトル:143話 怠惰の深淵




