141話 Sランクダンジョン――ヴァルハラ宮殿
最後にヴィヴィが結界を閉じるようにそっと手をかざした瞬間、光が裏返るように世界が歪み――アレフたちの視界が大きく跳ねた。
着地したのは、どこまでも透き通るような白銀の大地だった。
まるで雲の上を歩いているような柔らかさ。
しかし踏みしめる感触は確かに“地面”だ。
頭上には空など存在しない。ただ、薄い光の幕が永遠に広がっているだけ。
――ここが、神域。
心の中で呟くだけで、体が震える。
寒さではない。
緊張と、得体の知れない恐怖。
ヴィヴィが歩み寄り、静かな声で言う。
「ここはかつて“神々が住まっていた領域”……今は、怠惰の呪いで大部分が侵されているわ。あなたたちは決して気を緩めないで」
「……分かった」
アレフは短く返す。
声が少しだけ震えていることを、誰にも悟られないように。
ファムがライカの肩に乗り、小さく囁く。
「ライカ……怖いならあたいの手、握っててもいいよ?」
「だ、大丈夫っ……だけど、ありがとう」
ライカがぎゅっと拳を握り締める。震えているのはむしろファムのほうだった。
スクルドが進行方向を指差す。
「目的地は一つ――“ヴァルハラ宮殿”。神が最も深く眠っていたと言われる場所よ。そこがSランクダンジョンの本体」
「ついにS ランクダンジョンを攻略するってのか……兄貴、絶対やべぇよな」
「今さら戻れねぇだろ」
アレフの答えに、アスタロスは苦笑するしかなかった。
神域はただ移動するだけでも精神を削るような場所だ。
景色はどこまで歩いても一定の白銀――変わらないのではなく、変わる必要すらない領域。進んでいるのかどうかも曖昧になる。
だが確かに“目的地の気配”だけは、前方に広がっていた。
歩み続けてどれほど経っただろう。空間に生じた亀裂のようなものが前方に現れた。
「……あれが?」
「ええ。ヴァルハラ宮殿へ続く境界よ」
スクルドが頷いた瞬間、白銀の大地がゆっくりと揺れる。
まるで生き物の鼓動が強まったように。
「気をつけて……この辺りには“神の残滓”が漂ってるわ。現世でいう魔物よりも危険よ」
「残滓って……幽霊の親玉か?」
「幽霊なんてかわいいものじゃないわ」
そう説明するスクルドの言葉が終わるより早く、空気がひび割れた。
パキ……ン。
凍った硝子を砕くような音が響き、何かが姿を現す。
――形を持たない闇。
いや、形はあるのに、目が拒絶するような“無”の存在。
影でも霧でもない。そこにいるのに、視界から滑り落ちる。
「くっ……! 兄貴、あれ絶対ヤバいやつだ!」
「分かってる!」
アレフが剣を抜くと同時、闇の塊が一閃――否、距離を無視した直線で迫る。
避ける暇はない。
――がっ。
風が舞い上がり、スクルドが結界を張って防いだ。
「動きが速すぎる……っ! アレフ、あなたの剣じゃ当たらないわ!あれは“実体”があるようでないの!」
「ならどうしろってんだ!」
「精霊術で“質量”を作り出す!ファム、ライカ、手伝って!」
「は、はい!」
「えっ、わ、私も!?」
二人の魔力がスクルドへ渡り、風が渦を巻く。
闇の塊が近づくたびに吹き飛ばされるが――次の瞬間、闇の腕らしきものが伸び、スクルドの首を狙う。
「しまっ――」
寸前、アスタロスの斧が割って入った。
ギィン!
斧が闇を弾いた瞬間、アスタロスの腕が弾き飛ばされた。
「っぐぉ……!」
「アスタロス!」
「へ、平気だ!かすり傷だ!」
叫ぶアレフの前で、闇が再び形を変え、槍状に伸びる。
「アレフお兄ちゃんっ!」
ライカの声と同時、ファムとスクルドの魔力が合致し、風の檻が闇の核を閉じ込めた。
「今よ!アレフ!」
「――任せろ!」
アレフは魔剣を振りかぶり、一撃で闇の核を断つ。
光が弾け、空間に溶けていく。
――ああ、これが神域の“雑魚”か。
アレフは胸中で苦笑する。足が震えていた。
闇の残滓が消滅すると、前方の亀裂が大きく広がり、巨大な門のような形をとり始めた。
スクルドが深呼吸し、改めてアレフを見る。
「……アレフ。入る前に聞きたいことがあるの」
「なんだ?」
「あなた……Sランク冒険者なのよね?」
「ああ、そのはずなんだが……」
「なら、ユニークスキルが覚醒してるはずよね。どんなスキルを手に入れたの?」
その問いに、アスタロスも身を乗り出してきた。
「そうだぜ兄貴、俺たちにも教えてくれよ! どんなすげぇスキルを覚醒したんだ?」
「……」
アレフは顔をそむけた。
嫌な記憶が蘇る。
ユニークスキルを得る祝福の儀式――部屋中が神聖な光で満たされ、周囲が固唾をのんで見守る中、アレフだけが“何も起きなかった”。
「……しなかったんだ」
「えっ?」
アスタロスが聞き返す。
「兄貴、よく聞こえなかった――」
「覚醒しなかったんだよ!!」
怒鳴りながらも、声はどこか情けなさを帯びていた。
アレフは拳を握りしめる。
「俺の……“不幸体質”の呪いが邪魔しやがったんだ」
「アレフ……」
ライカがそっとアレフの手を握った。
「大丈夫だよお兄ちゃん。ユニークスキルなんてなくても、アレフお兄ちゃんはすっごく強いもん!」
「そ、そうだぜ兄貴。俺様やみんながいるんだ。ユニークスキルなんざ必要ねぇよ!」
その言葉に、他の仲間たちも頷く。
「あなたたち……」
スクルドが微笑む。
「深く信頼し合ってるのね」
「まぁな。確かに俺様と兄貴は深い関係にあるぜ……」
アスタロスがしみじみと言い、アレフは即答する。
「ほんとに“不快“な関係だな」
「えっ?」
「えっ?」
同時に固まるアスタロスとスクルド。
仲間たちがクスクスと笑い、アスタロスが肩を落とす。
「兄貴、ひでえ……」
やがて、アレフたちの前に姿を現したのは、巨大な黄金の門だった。
壁は星のように輝き、天井はどこまでも続いている。
これが――神が座した宮殿。
皆が思わず息を呑んだ。
スクルドがゆっくりと告げる。
「ここから先が……Sランクダンジョン――“ヴァルハラ宮殿”。神話の中でしか語られなかった場所」
風が静かに吹き抜け、門が自動的に開く。
アレフは自分の鼓動が早まっているのを感じながら、一歩足を踏み出した。
「行くぞ。ここを攻略して……呪いを解く」
「おうよ、兄貴!」
「うん!」
「承知」
「その意気よ、アレフ君」
「わ、わらわを置いて行くでない……!」
「アレフ様、あなたならきっと道を開けます」
「はぁ……ほんとに人間って無謀だわ」
それぞれの声を背に受け、アレフは黄金の闘宮へと歩みを進めた。
次回タイトル:142話 怠惰な迷宮




