140話 世界樹の精霊と神域への門
世界樹の根の扉を抜けた瞬間、アレフたちの前に広がったのは――薄青い光に満ちた、静謐で神秘的な空間だった。
巨大な根が天へと伸び、空間全体が脈動する。
まるで世界樹そのものが息をしているかのようだった。
ファムが先導し、アレフたちは巨大な幹の内側へと歩を進める。
枝葉のざわめきが、風の囁きのように耳に届く。
「もう少しだよ。本当の“幹の入口”は、この奥に――」
そう言いかけた、その時だった。
「――それ以上、近寄るなッ!! 呪われし人間!!」
空気が裂けるような鋭い声が降ってきた。
次の瞬間、淡い緑の風が渦を巻き、半透明の少女の姿が現れる。
肩まで届くエメラルドの髪が風に揺れ、瞳は嵐のように鋭い。
風の精霊――スクルド。
彼女はアレフを見るなり、敵意を爆発させた。
「ファム!! 穢れた人間を世界樹に連れてくるなんて……あなた、一体どういうつもりなの!!」
「ひっ……! ご、ごめんなさい……っ!」
ファムはアレフの背後に隠れ、ぷるぷる震えてしまう。
「おい、お前!いきなり怒鳴るこたぁねぇだろ!」
アスタロスが一歩前に出た。
足元から赤黒い魔力が吹き上がり、空気が重く沈む。
「……あ、悪魔まで……!?」
スクルドは怒りを通り越し、卒倒しそうになっていた。
しかし、すぐに風が奔り、彼女の瞳に戦意が宿る。
「……このままじゃ、世界樹が汚されちゃう……! 風よ、吹き荒び――浄化の陣――」
まさにアレフたちを吹き飛ばす寸前。
――空気が震えた。
「待って、スクルド!」
柔らかくも、世界を覆うような圧倒的存在感を帯びた声。
空間の奥から、一人の女性が歩み出てきた。
彼女の姿を見た瞬間、風の精霊が飛び上がる。
「ヴィ、ヴィヴィ様……!」
世界樹の精霊ヴィヴィ。
銀葉の髪を揺らし、瞳は世界樹と同じ深い翠色。装束は木漏れ日で織られたように淡く光り、歩くたびに周囲の空間が穏やかに揺れる。
アレフは思わず息をのんだ。
――これが世界樹の精霊。
ヴィヴィはアレフたちを見ると、一瞬だけ目を細め、そしてゆっくりとアスタロスに視線を向ける。
「あなたが手にしているその斧……水の精霊の加護が宿ってるわね?」
アスタロスは眉をひそめた。
「ん……? ああ、これか。……酔っぱらっててよく覚えちゃいねぇが、ザーバラの街のオアシスで会った、クソ生意気な水の精霊にもらった……みてぇだ」
その言葉を聞いたヴィヴィは、ぽかんとした表情になり――
「……ク、クソ生意気……? ぷっ……ふふっ……あはははは!」
世界樹の精霊らしからぬ勢いで笑い出した。
スクルドが真っ青になる。
「ヴィヴィ様!? な、なぜお笑いに……!」
「だって……ウルドらしいわ……。あの子、本当に相変わらずなんだから……あぁ、思い出すだけで……ふふっ……!」
アレフたちは、世界樹の精霊という大御所が笑い転げている光景に、どう反応していいのか分からない。
ようやく笑いを収めたヴィヴィは、アレフたちへ向き直り、スッと頭を下げた。
「とつぜん不躾な態度をとってしまって、ごめんなさい。あなたたちを拒むつもりはないの。ただ……最近、この森には穢れた力が入り込んでいるの。だから、警戒してしまったのよ」
「ヴィヴィ様! ですが――!」
「スクルド」
ヴィヴィは穏やかながらも逆らえない声で言う。
「ウルドが加護を授けた相手ですもの。きっと大丈夫よ」
スクルドの顔が一瞬で青→赤へ変わった。
「み、水の精霊ウルドが……!? か、加護をぉ!? 悪魔なんかに!? なんでぇぇぇ……!」
「おい、俺に叫ぶな」
「ひぃぃっ!!」
スクルドは反射的に飛び退いた。
――なんなんだ、このカオスな空気は。
アレフは半ば呆れ、苦笑しつつも、ヴィヴィへ丁寧に頭を下げる。
「俺たちは世界樹を傷つけに来たわけじゃない」
「分かっているわ。あなたたちの心の“色”は穢れていないもの」
ヴィヴィはアレフを見つめ、微笑んだ。
「だから――話してもいいわね。“あなたたちが探している場所”のことを」
全員が息をのむ。
ヴィヴィは世界樹の根へ視線を向け、静かに話し始めた。
「あなたたちの目的は“Sランクダンジョン”でしょう? 迷いの森の異変も、その影響よ」
「異変は……ダンジョンが原因なのか?」
「正確には、その中に眠ってる“怠惰の呪い”のせいね」
アレフが眉をひそめる。
「怠惰……やっぱり呪いの力か」
「ええ。とても濃く、重い。放置すれば世界樹の根を腐らせかねないほどの“深淵”」
ヴィヴィはアレフの瞳をのぞき込み、言葉を続ける。
「Sランクダンジョンは、ただの迷宮ではないの。“神域”と呼ばれる異空間に存在する。世界樹の内部――うろ(樹洞)がその入り口よ」
「神域……」
「そう。かつて神々が怠惰の神器をダンジョンに封じ、世界と分離させた空間。ですが今、その怠惰の呪いが入り込み、世界樹そのものを蝕んでいるの」
スクルドが震え声で言う。
「だから……これ以上、穢れたものの存在をこの地に入れるわけにはいかないのです! ですが……ですが……」
「ウルドが“認めた”なら話は別よ」
ヴィヴィはくすりと微笑む。
「風、水、火、土――四大精霊は互いに協調して力を与え合う。水の精霊ウルドが加護を与えたということは、彼らは“世界樹の友”になり得るということ」
「友……?」
「ええ。精霊は嘘をつかないわ。だから私は、あなたたちを信じる」
アレフは迷わず頷いた。
「案内してくれるのか?」
「もちろん。ただし――警告しておくわね」
ヴィヴィの微笑みが消えた。
「神域は危険。怠惰の呪いは、人の意志そのものを殺す。動けなくなる。思考が停止する。魂が眠り続け、二度と戻れなくなる者もいる」
「……それでも行く」
アレフは一歩前へ進む。
迷いは一切なかった。
それを見て、スクルドは目を見開く。
「な……なんて目……。呪われてるのに……どうしてそんな……」
ファムがアレフの袖をつまむ。
「あなた……こわくないの……?」
「怖いさ。それでも、行かなきゃならないんだ……」
ライカとジェームスが頷き、シノはにやりと笑った。
アスタロスは斧を担ぎ、満足そうに鼻を鳴らす。
「ヴィヴィ。場所を教えてくれ」
「ええ。ついてきて」
ヴィヴィは世界樹の幹の奥へ進み、巨大な根が重なる場所で立ち止まった。
根の中心部にぽっかりと開いた“うろ”がある。暗闇のはずなのに、内側から青白い光が脈動していた。
「ここよ。神域への入り口」
アレフはうろの奥を見た。
「行くぞ」
返事を待たなかった。仲間たちも歩調を合わせる。
「ちょ、ちょっと待って!? まだ説明が……!」
スクルドが慌てて叫ぶが――
アレフは迷いなく、そのまま光の渦へ飛び込んだ。
直後、風が悲鳴のように吹き荒れる。
「ちょ、ちょっとぉ!! 話を聞きなさいよ! ほんとに危険なんだからぁ!? アホなの!? 死ぬのよ!? え、ほんとに!? マジでぇぇぇぇ!!!?」
スクルドが取り乱すのを横目に、ライカたちが次々と続く。
そして――ファムも決意の表情で飛び込んだ。
「ああ、もう! わ、わたしも行くわよ……! 森のために……世界樹のために!」
ひとり残ったヴィヴィは、静かに手を合わせる。
「どうか……彼らに祝福を――」
光が収束し、すべてが静寂に包まれる。
次回タイトル:141話 Sランクダンジョン――ヴァルハラ宮殿




