136話 灯台に眠る厄災――パンドラの箱
グラトニーが感じ取った“呪力のにおい”を頼りに、アレフたちは崩れかけた建物の並ぶ街路を進んでいた。
海底都市アトランティスは、どこもかしこも欠片のように砕け、時間の狭間に閉じ込められた遺跡そのものの静寂が満ちている。
《……この先だ、小僧》
「分かってる」
アレフは頷き、剣に手を添えながら進む。
シノもライカも緊張を隠せない。
場違いなほど静かで、なのに息をひそめた“何か”がこちらを窺っているような感覚――それが街全体を支配していた。
「こっちだと思うんだけど……」
ライカが差し出した指の先、ひときわ大きな石造りの建物が見えた。
屋根は落ちているが、壁面には規則的な溝と魔方陣が刻まれている。
「工房……みたいね」
グリモワールが呟くように言う。
「工房ってことは、もしかすると“深緑の羅針盤”を作った連中の拠点か?」
「可能性はあるわ」
アレフたちは慎重に扉を押し開けた。
内部はさほど広くないが、金属片、魔道銅線、魔力水晶らしき破片が散乱している。
壁一面には工具棚。
ところどころ焦げた跡。
爆発したかのように吹き飛んだ部品の残骸もある。
「ここ、相当やばい実験してたんじゃないか!?」
「まあ、パンドラの箱なんて作る連中だしな……」
アレフは棚をひとつひとつ確認していく。だが――肝心の羅針盤は見当たらない。
「……無いな」
「こっちも無かったよー」
「残念だけど、ここでは“深緑の羅針盤”は失われたか移動された後みたいね」
グリモワールの分析に、アレフは舌打ちしそうになるのをこらえた。
探索を続けていると、ふと棚の奥で光が反射する。
「ん? これは……腕輪?」
アレフは埃を払って取り出した。
金属製のリングに黒い宝石。表面に微細な魔力回路のような刻印が走っているが、一部は焼け焦げていた。
「魔導具……? いや、呪具か?」
「それは“グラビティ・リング”。重力を操る腕輪の魔導具……だったものね」
「だった?」
グリモワールは近づき、戒めるような声で続けた。
「ダンジョンの影響で呪具に変質してしまったみたい。それに大半の機能が失われているわ」
「失われてるって、どの程度?」
「本来は使用者を中心として広範囲に力場を形成できるの。でも……残った機能では、触れているものの重力くらいしか操作できないわね」
「なるほど……」
アレフは少し考え――にやり、と笑った。
「なんか、面白いことに使えそうだな」
「え、嫌な予感するんだけど……」
「まあまあ、ライカ。とりあえず持っておくだけだから」
アレフは“グラビティ・リング”を懐にしまいこんだ。
手がかりのない工房を後にし、アレフたちは街の中心へ向かって歩き出す。建物が途切れ、視界が開けた先――そこには巨大な塔が立っていた。
「……あれは、灯台?」
「こんな街のど真ん中に……?」
海底都市であるはずなのに、灯台は非常に高く、天井の見えない空間へ向かって鋭くそびえている。
まるで空を知らぬ海底の民が、“失われた空”を求めて建てた象徴のようだ。
そして。
「アレフ……あれ、見て!」
ライカが指差す。
灯台の最上部から、一筋の“光”がまっすぐに空へ向かって伸びていた。
青白く、しかしどこか緑がかった不思議な光。
「まさか……“深緑の羅針盤”の示す光か?」
「可能性は高いわ」
グリモワールは光を解析しながら言う。
「羅針盤は“最果ての地”への方向を示す装置。あそこにあるのなら、アトランティスの中枢に保管されていた……ということになるわね」
「じゃあ行くしかないな」
アレフが歩みを進めようとしたその時――
《待て、小僧》
グラトニーの低い声が響いた。
《強力な呪いの残滓がこの灯台の中にある。おそらくダンジョン・コアだ》
「ってことは……守護者がいる可能性が高いわね」
グリモワールでさえ苦笑する。
アレフは深呼吸し、灯台を見上げた。
「つまり――ここからが本番だな」
「アレフお兄ちゃん……気をつけて」
「もちろんだ。ここまで来たら……引き返すわけにはいかないだろ?」
アレフたちは灯台の入り口に足を踏み入れる。
そして、その瞬間――
空気が変わった。
灯台内は、まるで生物の体内に入り込んだかのような圧迫感に満ちていた。壁は石でできているはずなのに、どこか湿り気があり、脈動しているようにも見える。
階段の先からは黒霧のような呪いがほんのりと漂ってくる。
「……ここに、守護者がいるんだな」
アレフの呟きに、グリモワールが頷く。
「パンドラの箱は都市の切り札だったもの……。街を壊滅させられるほどの機能を持った、ね。街の中心部で管理されるのは当然だわ。しかも、おそらくその守護者が“箱の残滓”を纏っている」
「やべーやつ確定じゃん」
「でも、行くしかないのであろう?」
アスタロスとデュラが構える。
アレフも剣を抜いた。
「よし。行くぞ――上だ」
彼らは階段を駆け上がる。
上層へ向かうほどに空気は重くなり、視界の端に黒い影がちらつき、呪力の圧が全身を包み込む。
「……ここにあるのか、パンドラの箱」
アレフが呟くと、ジェームスが前に出て軽く一礼した。
「お気をつけくださいアレフ様。パンドラの箱は“希望すら呪いに変える”と聞き及んでおります」
灯台の最上階に到達した時、扉が勝手に開いた。
黒い光が噴き出す。空間が揺れ、圧力が全身を締め上げてくる。
そこは、巨大な魔力炉のような空間だった。
壁に埋め込まれた巨大な石棺が震え、中心部の裂け目から光が漏れ出す。
箱から漏れ出す呪力は凄まじく、まるで意志ある怪物のようにアレフたちへ伸びてくる。
そのとき――
ゴゴォン……!
壁に埋め込まれた巨大な石棺が震え、中心部の裂け目から光が漏れ出す。
箱が開いていく。
《気を抜くな小僧。この圧力……単なる呪いじゃない。意思がある》
「意思って……」
アレフの足が止まる。
「まさか……人か?」
しかし、答えを待つまでもなかった。
――その箱の前に、ひとつの“影”が立っていた。
女性のシルエット。
だが、輪郭は黒い炎のように揺らぎ、実体を保っていない。
「……人? いや、違う……!」
「これは……“守護者”ね。でも、普通の守護者じゃない……ダンジョン・コアを取り込んだ守護者よ!」
グリモワールの声が震えていた。
アレフたちは身構えた。
この灯台の最奥で、彼らを待ち受ける“異形”との戦いが、今まさに幕を開けようとしていた。
次回タイトル:137話 希望を喰らう箱、絶望を超える炎




