135話 沈んだ叡智、アトランティス
――白い光に呑み込まれた次の瞬間だった。
足元の感触が変わった。
波に揺られる甲板の感覚は消え、かわりに、固い石の地面が背中に押し返してくる。
「いってぇ……ここ、どこだ?」
アレフはゆっくり身体を起こし、周囲を見渡した。
そこは、青白い光に照らされた広い港だった。海底のはずなのに、空気がある。
水は頭上でゆったりと揺らめき、まるで天井のように街を覆っている。
周囲には古代建築のような建物が立ち並ぶ。
アレフは立ち上がり、呟いた。
「ここは……」
潮風に混じる魔力。
海底とは思えない光量。
そして、ありえない結界の気配。
「もしかして……アトランティス、か?」
答えは風が運んだ潮の香りの中にあった。
「えっ……ここが……?」
ライカが息を呑む。
「周囲の様子を見る限り、ここが海底都市アトランティスである可能性が高いかと……」
ジェームスが静かに言った。銀髪が青白い光を反射し、いつもより冷たく見える。
アレフは顔をしかめた。
「予想はしていたが……やっぱり、ダンジョン化してるみてぇだな……」
港だけでも異様だったが、さらに街の奥を見れば、巨大なドーム状の結界が都市全体を包んでいるのが分かる。
ところどころ黒い靄が漂い、ダンジョン特有の瘴気が渦巻いていた。
「街なのに……空気が腐ってる……」
《気をつけろ、小僧。ここは“死んだ文明そのもの”が魔物になった場所だ》
グラトニーの声が脳裏に響く。
「出迎えがいないのはありがたいが……逆に不気味じゃのう」
シノが身構えながら歩き出す。
「とにかく、深緑の羅針盤を見つけなきゃ話にならねぇ」
アレフたちは港を抜け、アトランティスの街へ足を踏み入れた。
建ち並ぶ建物は、どれも古代魔法文明を象徴するような巨大さで、壁には光を宿した石材が埋め込まれている。
空気中には微弱な魔力が漂い、まるで街そのものが呼吸しているかのようだ。
だが、人の気配は一切ない。
「まるで時間が止まったみたい……」
「いえ、止まったわけではないわ」
グリモワールが壁に触れながら言う。
「建造物に施された結界が今も維持されている……“誰か”がそれを望み、守り続けたということよ」
「その“誰か”ってのが……古代人か?」
「ええ。その可能性もあるし、もっと別の……ね」
グリモワールの言い回しが妙に意味深で、アレフは眉をひそめた。だが尋ねるより先に――
「兄貴、これ見ろよ」
アスタロスが指差す先に、崩れかけた図書館のような巨大な建物が立っていた。
「古代の知識が残ってるかもしれんな。行ってみるか」
内部はほこり一つない。誰かが定期的に清めているとしか思えないほど整理されていた。
「……生きてる?」
ライカのつぶやきに、アレフも無言で頷く。
しばらく探し回っていると、シノが声をあげた。
「アレフ! これ……読めるか?」
大きな石板に刻まれた古い文字。グリモワールが近づき、指先を滑らせた途端、淡い光が走る。
「翻訳するわ。少し待って」
光が文字の形を変え、すぐに現代語が浮かび上がった。
アレフたちは息をのんだ。
――アトランティス滅亡の記録。
「……これ、歴史書とかじゃなく、“実際の記録”そのものだな」
アレフが呟く。
内容は衝撃的だった。
アトランティスは古代魔法文明によって海上に築かれた。
据わったような構造も、海底とは思えない巨大な建造物も、すべては古代文明の技術によるもの。
しかし、繁栄の影には〝恐れ〟があった。
周辺諸国はアトランティスの力を恐れ、いつしか軍を率いて侵攻を始めた。
対抗するため、古代人は叡智を絞り――
『パンドラの箱』という魔導具を生み出す。
「パンドラ……嫌な名前じゃのう」
「“厄災を生む箱”って書いてあるな。どう見てもマトモじゃねぇな……」
パンドラの箱は凄まじい力を持ち、侵略者を撃退した。
だが、軍は何度も何度も攻めてきた。
このままではいずれ都市は滅ぶ。
古代人たちは焦り、箱の力をさらに“調整”した。
――より強大な厄災を生むように。
次の侵略者が現れたとき、箱は開かれた。
そして。
記録は淡々と語っていた。
箱は古代人の想像を遥かに超える“災厄”――
“大災害”を解き放った。
「嵐……豪雨……大津波……」
ライカが記述を読み上げながら、小さく震える。
「最後は都市ごと……沈んだ、のか」
アレフは拳を握りしめた。
記録は続く。
大災害によりアトランティスは滅びたが、極一部の魔導に長けた古代人は生き残った。
彼らは都市が完全に沈む前に結界で覆い、いつか街を再建する日を夢見て、最果ての地へと逃れた。
そして――
他に生き残った者がいた時のために、『深緑の羅針盤』を残した。
「つまり……羅針盤は、最果ての地へ導く〝案内〟そのものだというわけか」
「じゃが……肝心の場所は書いておらんのう」
「なら、もっと奥に進むしかねぇな」
アレフは石板から目を離し、街の奥――中心部へと視線を向けた。
「気を付けて。都市が沈んだのは数百年前……けど、この結界……まだ生きているわ。何者かが維持してる。今もね」
グリモワールの声が低く響く。
「何者か……って、古代人が生き残ってるってこと?」
ライカの問いに、グリモワールは答えなかった。
代わりに、アレフの腰の魔剣が鳴動する。
《小僧……街の奥から、強い呪力の匂いがするぞ》
「呪力……?」
アレフは本能的に背筋が冷える。
まるで、都市そのものがまだ終わっていないと言わんばかりに、アトランティスは青白く揺れ、低いうねりを上げた。
「行くぞ。ここからが本番だ」
アレフたちは石板の前を離れ、薄暗い都市の中心へと歩き出す。
そして――
まだ知らなかった。
その更に奥、都市の中心部で、
〝パンドラの箱〟の残滓がまだ脈打っていることを。
次回タイトル:136話 灯台に眠る厄災――パンドラの箱




