134話 深淵回航のアトランティス号
甲板が、呻くように軋んだ。
「こんなデカブツ、どうやって倒すんだよ!!」
アレフはもう叫ぶしかなかった。
幽霊船――いや、“ダンジョン化した幽霊船”の本性を現したそれは、もはや一艘の船などではなかった。
海面を割って立ち上がる巨大な船体は、無数の触手と化した木片を伸ばし、甲板全体を呑み込む勢いで迫ってくる。
まるで、海そのものを呪いと怨念で固めて、船の形に押し込んだような怪物。
アレフはその圧倒的な質量を前に、歯噛みするしかなかった。
「アレフ! こやつがダンジョンなら、どこかにコアがあるはずじゃ!」
シノが叫び、迫る触手の一本を斬り払う。
「そんなの分かってるけどよ……どこにあるんだ!?」
「ダンジョンの心臓部は必ず“中心”……!」
「じゃあ、船の心臓ってどこだよ!!」
アスタロスは触手を灼き払いながら叫ぶ。
「甲板でも船首でもねぇ! だったら――」
《下だ、小僧! 下から呪いが溢れている!》
脳に直接響く声。
グラトニーの低く重い声は、混戦の中でもはっきり届く。
「下……?」
《船底だ。この船のすべての怨念が、一点から滲み出ている……ダンジョン・コアがそこにある!》
アレフは叫び返し、触手の隙間を跳躍して後方へ走り出す。
「アレフ! 下へ行くなら、わらわたちがここを食い止める!」
「早く行け、兄貴! 俺様たちの船も襲われてるみてぇだ!」
「シノ、アスタロス……頼んだ!!」
アレフは仲間の声に背中を押され、船内へ飛び込む。
暗く湿った船内は、すでに船とは呼べない。
壁や床の木材は脈打つように歪み、腐った臓物のように膨らんだりへこんだりしていた。
進むほどに、空気は重く、粘つく。
呪いの濃度が、皮膚にまとわりつくように増していく。
(ここまで強烈な呪いだと……相当だな)
グリモワールがいれば講義を始めそうなほどの異常濃度だった。
アレフは剣を構えながら、船底――最下層へと続く梯子へ向かう。
そこから漏れてくる“腐臭”と“呻き声”は、紛れもなくダンジョン・コアのもの。
梯子を飛び降りた瞬間――アレフは確信した。
「……いたな」
そこには、禍々しい光を放つ黒い宝珠が、半ば床にめり込みながら脈動していた。
宝珠には無数の黒い鎖が絡みつき、周囲の木材は溶けて肉のように変質している。
ダンジョン・コア――
幽霊船そのものを支配する、呪いの核。
「ここが……お前の心臓部か。なら、ぶっ壊すだけだ!」
アレフは剣を両手で握り、呪力を集中させる。
その瞬間、コアから触手が溢れ出した。
ギチギチギチギチッ!!
「くっ……!」
腕を、足を、胴を、首を――
とにかく全身を絡め取ろうと、呪いの触手がアレフに殺到する。
《小僧! 斬れ!!》
「言われなくてもわかってる!!」
アレフは魔剣グラトニーを力任せに振るい、触手をまとめて切り裂く。
だが、切れば切るほどそれは再生し、数を増やして襲ってくる。
「チッ……! やっぱりコアを壊すしかねぇ!!」
アレフは地を蹴り、コアに向かって突進する。
「《黒炎渦・終焉の一閃》ッ!!」
漆黒の渦を纏わせた斬撃が、コアへ叩き込まれる。
ガンッ!!
音は重く鈍いが――ひびが入った。
「よし……!」
さらにもう一撃を叩き込もうとした、その瞬間――
足元の床が裂け、巨大な触手がアレフの脚を掴んだ。
「な――!」
引きずり込まれ、そのまま壁に叩きつけられる。
「ぐっ……!!」
肺から空気が漏れ、視界が揺れる。
《小僧、立て!! 殺されるぞ!!》
「わかってる……!」
アレフは痛む肋骨を押さえながら立ち上がる。
コアは黒い光をさらに強め、まるで“怒り”を増したように触手を乱れ咲かせていた。
「怒るのは勝手だが――」
アレフは口元を歪め、魔力をさらに高める。
「ーー壊される覚悟くらい決めとけよ!」
アレフは跳躍し、全呪力を剣に集中させる。
「《終喰・黒断》ッ!!」
剣圧と黒炎が一体となり、巨大な刃と化してコアを斬り裂いた。
パキィィィン――ッ!!
黒い宝珠は悲鳴のような衝撃音を発し、砕け散った。
同時に――
船全体を満たしていた呪いの気配が、嘘のように霧散していく。
触手は崩れ落ち、壁の脈動は止まり、腐敗した空気が澄んでいく。
「……終わった、のか?」
《ああ。完全に消えた。よくやったぞ、小僧》
グラトニーの声が、珍しく柔らかかった。
アレフは深呼吸し、崩れた触手を踏み越えて甲板へと戻った。
そして――目を疑った。
「…………は?」
そこにあったのは、ついさっきまでの怪物とは似ても似つかない姿だった。
幽霊船は、その外観を一変させていた。
黒く腐っていた船体は輝く金属と深緑色の装飾をまとい、
朽ちた帆は透明な魔布に張り替わり、
船首像は威厳ある古代兵の姿へと変貌していた。
「何だこれ……超カッコいいじゃねぇか……!」
アレフが呆然としていると――
甲板にいたシノとアスタロスも言葉を失っていた。
「お、おお……これは……わらわたちの船より良いではないか……!」
「ここって幽霊船だよな……? どう見ても同じとは思えねぇんだけど……!」
そのとき、船が静かに動き出した。
まるで誰かが舵を握ったかのように、滑らかに海を進んでいく。
「お、おい……勝手に動くなよ!」
「アレフ、これはもしや……わらわたちを案内しとるのではないか?」
「俺たちを……?」
アレフがそう呟いた瞬間、幻想的な光が船体から放たれ、海面に広がった。
光が海に触れた場所から――巨大な渦潮が生まれる。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
「ちょっ……待て待て待て!!
なんで渦潮ができんだよ!? さっきまでなかっただろ!!」
「アレフ!! 舵を握るのじゃ!!」
「無理だって! アイツの意思で動いてるんだよ!!」
渦潮はあっという間に拡大し、幽霊船――
いや、“アトランティス号”を飲み込もうとする。
そのとき、アレフたちの背後から別の船が迫った。
「アレフ君ーーッ!!」
「シノーッ!!」
黒衣の英雄号だ。
ジェームスの操舵のもと、渦潮へ飲み込まれる仲間を追うように突進してくる。
「今迎えに行きます、アレフ様!!」
「いや、引き返せ!! ここは危ねぇ!!」
アレフの叫びも虚しく、両方の船は渦潮へ突っ込んだ。
「いやあぁぁぁぁぁあ!!!」
「ぎゃああああああ!!!」
「ちょ、待っ……無理ィィィ!!!」
「落ち着け皆の者ッ!! 叫んでも仕方がない!!!」
「お前が一番叫んでるんだよ、デュラ!!」
そして――世界がひっくり返る。
上下も前後もわからない回転の中、アレフたちは完全に飲み込まれた。
――次に目を開けたとき。
「……は?」
そこは、見知らぬ港だった。
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